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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

後ろめたさへの生贄

 仕事を終えて身支度しながら携帯端末を取り出すとメッセージが入っている。冬だからサーカスに行こう。藤井とのメディアを使った会話は、かたちを変えながら、もう二十年ばかり続いている。毎月食事をしているのにそのうえ何を話すのと誰かに笑って訊かれたことを、なんとなし私は思いかえす。
 冬はサーカスに行くの。サーカスに行くよ、だって冬は寒いから憂鬱になる、それだから楽しいことをする。はじめて聞いた。冬のサーカスのための大きい建物があるんだって。どの国だろう、ロシアとか?忘れちゃった、とにかく、何か楽しいことをしよう。
 そのメッセージが来たとき私は寝床に入ったところで、頭のなかの、いつも藤井と話すときにはあまり動かない部分が少し動いた。この人は気晴らしを必要としている、と思った。少し弱ってもいる、と思った。二十年も親しくしていれば身体も声もない短い言葉の、その使い方にも気配は感じる。メッセージを送る。狭義のサーカスではなく?狭義のサーカスではなく。OK、では何かをしよう。おやすみ。おやすみ。
 私たちはいくつかの候補を検分したのち、夜のプラネタリウムを選んだ。夜なんだから直接星を観ればいいのに人工物の投影を見るというところが良い。上映のあとコーヒーを飲みながら、ようやく藤井は本題に入る。
 藤井の家の近所にクリーニング屋があって、藤井と同級の娘がいた。友人というほどの仲ではなかったけれども、幼稚園の時分から顔を知っていて、何年かに一度、会うことがあった。クリーニング屋の娘は数年前から体調を崩していたけれども、どうやらそれは精神的なもので、そのせいか会う頻度が上がり、いろいろな話を聞いた。どうにも気の毒な話で、ほかにも話し相手がいたらいいと藤井は思ったから、遠い記憶をたぐり、クリーニング屋の娘と仲の良かった女の子、かつての女の子に連絡をした。ふだんろくに使っていないSNSが、このときばかりは役に立った。
 その人は喜んで彼女との再会を設定した。どうしてそんなにうれしそうなんだろうと藤井は思い、再会から一時間もすると、その人のことばの端々から、そうか、と思った。仲間がほしいのだ。自分と同じ独身で女で「それなりの仕事」をしていて「みっともなくない」友だちが。クリーニング屋の娘の名を藤井は、あまりよくない予感を覚えながら口にした。
 思ったとおり、その人の愛想が良かったのは「今度三人で会わない?」と誘うまでのことだった。その人は彼女を眺めまわし、それから、できの悪い子どもをやさしく諭す優秀な教師みたいな口調で言った。ねえ、そういう同情ってどうかと思うな。そういうのって本人のためにならないし、自己満足だよね。私たちみたいなのと一緒にいたらあの子が惨めになるだけじゃない。藤井さん昔からやさしいから、変なのが甘えてよっかかってくるんじゃないかって、心配になっちゃう。
 どうしてそういう発想になるのかわからないけど、と藤井は言う。あの人の考え方は私には理解できないけど、でも、自分が間違っているんじゃないかとは、思った。後輩の話をしよう、と私は言った。私の会社の後輩とその彼氏の話。
 後輩は東北の海辺に友だちがいて、震災からしばらく、ちょくちょく行って友だちを手伝ったり、そこいらでがれきを片づけたりしてた。そしたら彼氏がそれを小馬鹿にする。自己満足でしかない、その交通費を寄付したほうがいいと。でも後輩は覚えてた。震災前、募金をしたら、募金なんかどう使われるかわかったものじゃない、働いて税金を納めるのがいちばんの社会貢献だって言われたこと。後輩も働いて税金納めてるんだけどね。それから、一緒に電車に乗っているとき誰かに席を譲ったらすごく機嫌が悪くなること。最初は因果関係がぜんぜん見えなかったんだって。そのようにして彼らは別れたの。
 それは何なのかな、と藤井はつぶやく。相手より自分にリソースを割けという意味かな、でもその後輩の子とちがって、私にそれを言ったのは、十何年も会ってなかった人なんだよ。私は憶測を口にする。
 代償行為なんだと思う。自分が何もしていないことに少しの後ろめたさがあるから、それをしている人を否定すれば、自分が正義で相手がまちがっていることになるでしょう。そんなの、自分で勝手に自分が正しいって思っていればいいんだけど、彼らは、それができるほど強くないから、勝手に人を道具にするんだ、弱くて卑しくて、かわいそうだね。きっと人生がずっと冬で、サーカスもプラネタリウムもないんだね。私がまくしたて終えるのを待って藤井は、口が悪い、と苦笑する。