読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

胡桃の中のふたり

 最近うちに来ないねえ。そう言われて、私はあいまいに笑う。彼女は私を見る。古いつきあいで、共通の友だちもみんな古くから一緒だったけれども、彼女が結婚してからというもの、職場でできた友だちや妹まで紹介されて、最近の飲み会はずいぶんとにぎやかだ。その妹があっけなく言う。そりゃあ、お姉ちゃんの旦那に遠慮してるんだよ、ねえマキノさん。私は諦めて、そうだね、とこたえる。よくわかるね。彼女の妹はえへんと胸をはって、だって私がお姉ちゃんと遊ぶのもあの人、嫌なんだもん、友だちとか、もっと嫌なんだよ、と宣言した。
 彼女の妹は、万事に率直な彼女よりもさらにストレートで、なぜと思ったらなぜと訊く子どもみたいなところがある。言ったら彼女が困るから、私は黙っていたけれども、ばらされたらかえってほっとした。彼女の妹はあけすけに人の心に入ると同時に、驚くほど賢くて底抜けにやさしい人でもあるのだった。
 美知子も配慮してるのに、まだ足りないの。私がそのように質問すると姉妹は同時に首をかしげる。私は言う。だって、結婚してから、家庭にいる時間を増やすために、なるべく多くの友だちといっぺんに会うようにしてるんでしょう。美知子はちょっと不満そうに、それだけじゃないけど、私の好きな人たちがまわりじゅうにいると、私が嬉しいからなんだけど、と言う。
 その場にいる彼女の友人たちがしんとして、それから全員がぼそぼそ言う。私、しょっちゅう誘わないように遠慮してるんだけどな。そうそう、私も。俺なんか男だから単独ではぜったい会わないようにしてる。けれども、と私は思う。けれども頻度や条件が問題なのではたぶんないのだ。
 結婚したら夫同伴じゃないと会えなくなった友だちもいるから、まだましだよ。私がそう言うとその場にいた人々がてんでに話しだす。なにそれ。なんで旦那の許可が要るわけ。わかんないけど、私は他人だから、はいそうですかとしか言えない、夫同伴で年に一回、彼女の自宅でなら会える。うん、そういう人いるよ、私も知ってる。私のいとこなんか、結婚したら女の友だち禁止だって、奥さんが連絡先ぜんぶ消しちゃったんだって。そんでFacebook禁止なんだって。なにそれこわい。
 場の話題は伴侶の人づきあいを制限する人種に対する批判に流れたけれども、そして私も結婚した友人と会えなくなるのはかなしいのだけれども、それでもなお、その人種を非難することが、どうしても私にはできないのだった。結婚したあと会えなくなった友だちがとても幸福なのではないかと、そう思っているのだった。
 だって愛は他者を排除するほどその甘みを増すものだからだ。ここにいる自立した大人たちは、その痺れるような甘さを知らないのだ。相手を小さい小さいものにして両の掌の裡に入れる、あるいは入る側に回る、半分ずつで一人の人間のようになる、そうしたことがどれほどの恍惚を与えるか知らないのだ。自分という人間だけで相手の空洞が満ちていく、相手という人間だけで自分の空洞が満たされる、ほかの人間はみんな雑音にすぎない、胡桃の堅い殻の中に隙間なく詰まった実の二つの部分のようであること、それがどんなに強い快感であるかを、この立派な人たちは知らないのだ。
 もちろん、それは正しくない。多くの場合、長持ちもしない。私たちはもう大人なのだから、他人に依存せずにやっていくべきなのだし、それができるように訓練を積んでもきた。だから私たちの空洞は小さい。あるいは分割され、ひとつひとつは無害な大きさにとどまっている。私は空洞のごく小さい友人を見る。彼女の夫はきっとひどくさみしかろうと思う。自分の選んだ職で自分の生きる費用を稼ぎ、掃除し食事をつくり時に引っ越しをし税金を払い、彼女と会うことを心待ちにする友人たちが行列をつくり、世界中のどこにでもひょいひょいと出かけていく、そんな妻を持ったなら、自分がいなくてもこの人は平気なのだと感じて、きっとさみしいだろうと思う。
 そのようなことをぼそぼそと私は言う。じゃあさ、と彼女は言う。サヤカは私と会えなかったらどう思う。私はサヤカと会えなかったらさみしい。会えなければさみしい、会うと楽しい、だから会う。旦那は私と暮らして、二人の時間もあって、いつも私から話しかけて、それでさみしいなら、私にはどうにもしてあげられない。
 この人を好きだなと私は思う。私はこの人をとても好きだし、頼りにしている。なんて正しい人だろうと思う。それでも、彼女を愛する誰かが彼女を小さく小さく撓めて家から出してくれなくなっても、きっと誰のことも憎むことができない。

広告を非表示にする