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傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

彼らに見えない物語

 人と会うことのはしごをしたために、私のその日ふたつめの待ち合わせ場所で彼らは顔を合わせた。彼は彼女に会釈し、彼女は彼に会釈して、私は彼らふたりの紹介をごく簡単にして、それから彼が去って、彼女は残った。彼氏。独特の、軽く投げ出すような口調で彼女は口火を切る。ちがうよ、友だち。ふうん、なんかおっとりした人だね、いいとこの息子さんってかんじ。いいとこのっていうか、うん、そうだね、感情的に屈折の少ない生まれ育ちだと思うよ、そういう人の中にはおそろしく素直な人がいるでしょう、もうびっくりするほど、自分の感情を自分に対して隠蔽したりしない人が。底が安定しているから欺瞞が少ない、そういうタイプ。
 鼻で笑って彼女は、背もたれのない椅子にかける。乱雑な動作を、おそらくは意図して披露し、蓮っ葉な口調をつくっている。やだあ、私そういうの、きらーい。マキノあんたまで、人生の九割は親で決まるとか、その手の言説を弄するわけ?そんなことはしないと私はこたえる。そんなことは決してしないよ。それどころかつばを吐いてそのスローガンを嫌うよ、個人的に。あの人の素直さはあの人の育った環境なしにありえないものだと私は思うけれど、環境によって決められたものではない。そのふたつはまったくちがう話だよ。早合点して誤解してはいけない。
 彼女は私を見て、わかってるもん、と言う。マキノにけちつけて絡みたかっただけだもん。親九割とかいう話を聞いて苛々していたから、と私は推測を口にする。うんそう、つまり、やつあたり。あっけらかんと彼女はこたえる。さっきよりずっと子どもっぽい顔をして、悪意なんかひとかけらもない。甘えている、と私は思う。この人は私に甘えている。適切な相手に適切なかたちで甘えることを彼女はひどく得意だ。それは長い時間と多くの労力をかけて彼女が身につけたいくつかの能力のうちのひとつだった。だから私は彼女の嫌悪を肯定するために、自分の考えていることを話す。
 人生の九割が親で決まるなら彼女の人生はずたずたにならなければならない。九割がずたずたでなくてはならない。だからその種の考えかたを、蛇蝎のように彼女は嫌っている。私たちが若かったころ、復讐として優雅な生活を実現するのだと宣言し、いま現在もそれを遂行しつづけている彼女の、嫌いなものについて話すときの牙を剥くようなようすを、私は少し好きだった。彼女の憎しみ、彼女の怒り、与えられた欠落に対する激烈な反抗。それはたしかに彼女の人生の一部であり、おそらく死ぬまで消去されない。けれどもそれは、彼女の人格が生育環境に決定されたことを意味しない。
 あるできごとが起きて、できごとに影響を受ける、受けない人はいない、親のような影響力の大きい存在ならなおさら。そんなのは当たり前のことだ。それに、影響の受けかたが人によって異なることも、意志や他者がそれを変容させうることも、事後的に影響の働きかたを更新しうることも、同じく当たり前だ。けれども後者だけが、ときに堂々と無視される。私たちが初期条件を受け入れてすべての刺激に同じ反応を返す量産型のサンプル群であるかのように。
 私がそのように話すと、それだけならまだねえ、と彼女は露骨なあざけりの声を出す。マキノが指摘した部分って、端的な正しくなさでしょ。私がいちばん嫌いなポイントはその先なの。私たちは影響の受けかたや、ほかに影響を受けることのできる他者や、新しい環境を、自分の力や他人の助力でもって切り開いていく。あるいは切り開けずに倒れる。けれどもそのなかには何かがある、その人の人生にしかない美しいものが、誰にも知られなかったとしても、絶対にあるんだ。けれども「九割親」の人はそれを認めない。それを見るだけの瞳の解像度を持たない、そこに物語があることを絶対に認めない、そこに人がいること自体に、おそらくは気づいていない。ああ自分は立派な親に育ててもらってよかったなあ、家族愛はすばらしいですね。彼らにとっての物語はそれだけなんだ。ほかのお話はないことになってる。否定しようとなんかしてない。ただ見えない。想像したこともない。彼らの世界に存在しない。彼らのそういう平板な世界を、私は少しもうらやましいと思わない。卑しいと思う。
 でも腹は立つねえと、私は言う。そうだねえと彼女はこたえる。だから話したのはいいことですよと私は告げる。腹が立ったら黙ってないで文句言えばいいんだよ。そうかいと彼女は言って、それから、はずかしそうに笑った。