傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

私を交代する

 SNSでもう一人あなたを見つけたと友人が言うので、同姓同名かと訊くと、いや、男の名前、とこたえる。でもあれはあなただと言う。URLとパスワードが送られてきて、そこに入ると、私がIDを持っていないクローズドなSNSからのキャプチャと、別のオープンなソーシャルメディアのアカウントがあった。キャプチャはSNSのコミュニティで、コミュニティのタイトルは私のブログと同じ、説明文は私が自分の文章について説明するために書いた短文の一人称を「僕」に変更したものだった。
 そのキャプチャに記されたオープンなアカウントには、クローズドの方で更新される記事の更新通知と、ひとりごとめいたせりふが書かれていた。書いている人によるとそれは「下書き」なのだそうだ。「気持ち悪いつぶやきは下書きなので無視してください」「思いついたときに書き散らしておいたほうが自由に書けるので」とのことだった。通話アプリが立ち上がり友人の陽気な声が響く。どう、マキノサヤカダッシュがいたでしょう。ダッシュの記号を思い浮かべ、そうだねと私はこたえる。マキノサヤカ'。キャプチャと「下書き」には、私のブログエントリそのままの文章と、私のブログと似ているような似ていないような文章と、それらを切り貼りした文章とが混在していた。
 異性にキャラ着られるってネット特有だなあと友人は言い、キャラ着る、と私は訊きかえす。うんそう、人の言動をコピペする人っているでしょ、とくに、若いころ、でも若くなくなってもやっちゃう人はいるんだよねえ、私そういうの、キャラ着るって呼んでる。よく着られるの。尋ねると彼女はよくあったらたまんないよう、と笑う。
 友人は「マキノサヤカ'」が使用しているクローズドなSNSのIDを持っていたので、警告のメッセージを送った。するとコミュニティの説明文がいくらか改変された。あとはそのままだった。私は自分のブログに著作権二次利用に関する説明を掲示し、友人はマキノサヤカ'の記事の記録を取った。やがて先方からメールが来た。
 「今回の件ですが、どうしてこのようなことになったのかをご説明申し上げるには、いささか長く複雑な理由が絡んでおります。従って文章にして返信するには少々困難な作業であると考えております。もし宜しければ直接お電話でご説明させていただければ幸甚です」。
 末尾に氏名と住所と携帯電話の番号とそれに付随するメールアドレスがついていた。友人に転送すると、無表情な声でなんだこれは、と言ったきり黙った。私はそのひとかたまりの個人情報をながめて、それから、この人が「槙野さやか」であったってべつにかまわないんじゃないかな、と思った。
 私はこの人の書いた文章を好きではない。そこに自分が以前書いたものが切り貼りされているのは不愉快だ。でも、見分けがつくのは私だけで、他人にはわからないのではないかと思う。「槙野さやか」なんか、はじめからいない。インターネットの中につくった風船みたいなキャラクタだ。ヘリウムガスの代わりに他の人が中に入ったっていいんじゃないだろうか。
 私はマキノサヤカ'のメールに返信を書いた。槙野さやかです。うちのブログの文章を使うのがお好きみたいですね。なんならこのキャラ、差し上げます。その名前で使っているIDをみんなあげます。そしたらあなたが明日から槙野さやかですよ。やがて返信が返ってきた。あなたは頭がおかしい。関わり合いにならないでほしい。直後、それを送信したアカウントそのものと、ふたつのソーシャルメディアのアカウント、すなわちマキノサヤカ'のすべてが消えた。
 ほしくなかったのかなあ。そのように尋ねると当たり前でしょうと、いかにも軽蔑した声で友人は言うのだった。あのね、キャラ着る人間は、キャラ立てるのがめんどくさいから人のを着るの。あなたはね、あれにとっては、自分の好みの素材を定期的にタダで生産する工場みたいなものなの。あれは工場経営なんかしたくないんだよ、工場が勝手に動いてるほうがずっと楽なんだから。
 彼女の話は続く。コンテンツ製造機のあなたに電話したいということは、あなたのインターネット以外の部分、つまり「槙野さやか」の作者をも、自分が被るキャラにしたかったってことじゃないかと、私は思ってる。興味がある、好き、みたいなものではぜんぜんなくて、「便利」とか、そういうの。でもまあ、そういう人間に「このキャラあげます」は、いい対応だったかもね。事実、マキノサヤカ'はアイデンティティ崩壊して、消えちゃったわけだし。インターネット上のアイデンティティなんて日夜生まれて消えるんだから、珍しいことでもないけど。