傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ある夜の世界戦争

 ごめん、急に電話して。いや、暇だから取ったので、かまわないんだけど、どうしたの、宗教、もの売り、それとも失恋?
 なにそれ。なにって、たいして親しくもない元同級生に電話をかける三大理由、人々に伝えたいすばらしい教えがあるか、人々に参画してもらいたいすばらしいビジネスがあるか、彼女や奥さんと別れてアドレス帳に残っている女という女の名前に手当たり次第電話してるか。すげえな、当たってる。何番目。三番目。三番目か、ろくでもないね。なんでだよ、商売と宗教よりいいじゃん。よくないよ、商売と宗教にはね、良きものを人々にすすめようという善意、あるいは、自分が得をしようというアグレッシブな熱意がある、けれども、失恋の場合、空いた穴をもてあましているだけで、当然私のことなんかべつに好きじゃないし、むしろ、どうでもいいからこそ、かける、どう、いちばんろくでもないでしょう。
 言われてみれば、そうかも。そうでしょう、なんでそんなろくでもないことになったの、なんでふられたの。ふられたんじゃない、ただなんとなく。何年つきあってたの。三年。けっこう長いね、会社の人?そう会社の、っていうか俺はもう辞めたんだけど。なんで。なんでって、俺にはつとまらなかったからだね。へえ、そういうこと率直に言えるのって悪くないよ。ありがとう、でもまあそんなわけで会社で親しくしてた連中もね、もう飲みに行ったりすることもないし。なんで、辞めたって飲んだらいいじゃない。ばかだな、マキノは、いいか、俺は落伍すんの。落伍って、ただの転職でしょうよ。それが落伍なんだ、負けておちぶれるってことなんだ、もうあいつらとはちがう、生活レベルからしてちがう。
 は、ばかばかしい、あなたは転職したって、私よりはまだ多いお給料をもらうんだろうけど、そういう生活が悪いとは私はぜんぜん思わないね、生活にレベルがあるなんて、愚かしい考えだと思うね、他人に自分の生活をレベル高いだの低いだの言わせておくなんて、まったく冗談じゃないや。わかった、悪かったよ、べつにマキノの生活を貶すつもりじゃなかったんだ。なに言ってんの、そんなので怒ってるんじゃない、他人の生活に上下つける卑しい精神に怒ってるんだ、高いの低いのって、あなたがた、それで親しい人が「低い」ところに行ったら、当たり前に切り離すわけ。切り離すっていうか、俺の側が、なんか、いやで、つまり、それなりのレベルが前提とされる関係なんだ、金だけじゃなくって、つまり、能力があって、ポジションがあって、女の子だったらきれいで、それが、当たり前で、そうじゃないやつは資格がなくって、入れない世界なんだ。
 けっ、つっまんねー世界。つまらないことはない、みんな頭が良いし、刺激だってある。そんなのどうでもいいよ、世界が明確なピラミッド構造をしている、これだけでもう、めまいがするほど退屈だ、ヒエラルキーの固定がいちばん退屈だ、そいつは物語の敵だ。なんだよ、物語って。ピラミッドじゃない話。たとえばどんな。うん、たとえばね、小国の脆弱な軍が知略を尽くして大国の侵略を追い返すとか、満たされているはずの王子が突然放浪の旅に出て苦行を求めるだとか、薄汚い野望のために高潔な仮面をかぶった人がついにそれを脱げなくなるだとか、そんなのだよ、あるいは恋愛もそうだね、あなたがたの世界の階級にしたがってたら恋人なんて手持ちの札に合わせて配当される支給品になっちゃう。
 そこまで言うとあれだけど、でも、ある意味で手持ちの札に合わせて配当されるようなもんだろう。そんなことはない、世界はもっと豊穣で混沌としているよ。譲らねえなあ。譲らないよ、だってこれは世界観同士の争いだからね、戦争だよ。戦争かあ。なあに、そんなに愉快なの。愉快だよ、俺、なんで夜中に電話で戦争してんだ。それはね、世界が混沌としているからだよ。あのさあマキノ。なに。なんで、話すわけ。なんでって、電話がかかってきたから。もうかけないよ、言っとくけど。べつにかかってこなくていい。じゃあなんだ、誰の話でも聞いてやるわけ。うん、暇なら。なんで、そうやって俺とか誰か、ろくでもないやつに、いいように使われて、平気なわけ。なに怒ってるの。だって、そんなの、勝手な都合で、話相手させるだけさせてさあ、ごみ箱じゃねえんだから。ごみ箱でかまわないよ、みんな私に話をするといいよ、私はそういうの好きなんだよ。あのさ、戦争の件だけど。うん。今回はちょっとだけ領土、取られた。そうかい、そりゃあよかった、ではもうおやすみ。うん、おやすみ。

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