傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

墓荒らしの量刑

 あなたは私に気を許してなんでも無防備に見せている、それが気持ちいいから私にはあなたのことがわかると誇示したかったんだと思う。彼女はそのように話す。とても醜い欲望だよ、許されないのも承知の上で私はそれに負けた。だからしかたがないんだよ。
 彼女の友人がそんなのを織り込んで彼女を許したらいいのにと私は思う。でもそれは観客である私の欲望にすぎない。
 不自然に白い皮膚を押して古いなと彼女は思う。古い古い傷だ。ほとんど傷でないように見える。なにかの拍子に色素が抜けた箇所のような。でもそれはあきらかに鋭角を持つ切り傷のかたちをして、深く切ってぱっくりと割れたのでなければ人体にそんな痕跡のつくはずのないことを彼女は知っていた。そしてそれを口にした。いつ切ったの。
 彼女はそれを見慣れていた。彼女が友人にアーモンドの油を塗ってその不器用な筋肉をほぐしてやるのは今にはじまったことではないし、人に触れるとき彼女の目は虫の複眼に似て注視と俯瞰を同時におこなうことができる。だからそれについて口にしたのは彼女自身にとっても不意のことで、要するに私は調子が悪くて誰かに身勝手に関与したかったのだと彼女は思う。よりによって古い友だちをその餌食にするとは自分でも意外だけれど、でも私はずっとそうしたいと思ってきた。おそらく。
 彼女の両のてのひらの下でいくつかの筋肉がこわばる。彼女はそれを感知する。なにしろこんなところだからわからないよ、思春期のしわざなら思慮深い子どもだね。軽い口調でそのように告げながら私は今とても悪いことをしていると彼女は思う。悪いことはいつでも魅力的だ。そうでなかったら誰が悪いことをするだろう。
 思春期のしわざよと友だちはこたえる。平気な声をしている。顔は見えない。見てやりたかった。そのための動作を試みる前に自分にはできないと知っていた。見なかったそれは彼女の知らないところでとうに消えている。てのひらの下の身体はすでに彼女から遠く離れたものとして感じられる。
 彼女たちは毎月のように会い、うち半分は奇数の月の末の日曜日で、それが外されたことはなかった。今日なに食べたいと友だちはメールを送ってくる。彼女はあいまいにそれに回答し友だちを訪ねる。するとそこにはおいしいごはんがあり彼女たちはそれを食べる。それから彼女は友だちの身体をととのえてあげる。食べたかったものと似た作用を彼女のやりかたで与える。次の奇数月の月末にメールはなかった。
 どうしてそれをそっとしておけなかったのと私はたずねる。そのときはじめて気づいたのでもないのでしょうに。それはおそらくその人のなにかのひそやかなお墓で、だからあなたはそれに静かなお参りを繰りかえしていて、私はそういうのをすごくいいと思うよ、情愛とはそのようなものだと思うよ、それなのにお花を手向けて手を合わせるだけではどうしていけなかったの。
 調子が悪かったんだろうねと彼女はふたたび言う。それで墓荒らしをした。私はだから彼女をうしなってもしかたがない。私はどうしてかひどく切羽詰まってそれに反論する。日曜日にどうしてメールを送らなかったの。待たれていたかもしれないのに、ごめんねって言ったらいいのに。
 彼女は心から私に同情している顔をしてひっそりと笑う。笑いじわがひどくうつくしいので私はぞっとする。この子はなにも知らないのだと、この人はきっとそう思っている。私をいつも子どものようにあつかう、けれどもほんとうはほんの少ししか年上でない女のひと。やわらかなくせ毛でまるい輪郭をぼかして、チョコレートのパッケージに印刷された天使みたいな顔をしていた。
 だってとってもいい気持ちだったと彼女は言う。私あのときとってもいい気持ちした、私だけが知っていて、私だけが暴くことのできるお墓。それを前にしておとなしく野の花を摘んでお利口に手を合わせて死ぬまでそうしているなんてばかのすることだよ。長年の友情だとかおだやかな情愛だとかそんなものは犬に食わせればいい。
 どうしてと私は小さい声で訊く。どうしてそれが自分で切った傷だとわかるの。私はきっと、見たってわからないよ。あなたにも同じくらい古いそれがあってそっくりだったから、だからわかったのではないの。私の切実な語尾を笑い声で彼女は消去する。ああばかばかしいと言う。どうしてあなたにわかって彼女にわからないのかしら。私がそれを指摘して欲しかったのはあなたじゃないのに。私はひどく後悔してごめんなさいと、この世でいちばん無力なせりふを口にする。