傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

減点式採点の段階的な廃止

 同期のアシスタントについた派遣社員がとてつもないということで、愚痴を聞くために集まった。彼女ははため息をつき、あ−、だりー、とことのほか粗雑なものの言いかたをした。あのさあ、持ち上げるのと小馬鹿にするのを両方やるのって、当人の精神が不安定だからだと思うんだよね。あの人、やけに卑屈にしてみせるかと思うと、お酒の席で下卑た冗談言ったり「おっとヒラサカさんはお茶なんか汲みませんよね、俺が淹れて差し上げるんですかね?」とか言ってくるわけ。なんで私があいつの情緒不安定の相手をしなくちゃいけないわけ。あんたが年下の女のアシスタントになりたくないのはよくわかったけど、なんで私が、それに反応を示すと思えるの、って、訊きたい。
 今まで示してもらえたんでしょうと私はこたえる。あるいは示してもらえるべきだと思っている。その人は現代人としてあらまほしき精神的素養の一部が欠落しているので、介助が必要なんだね、つまりこの場合は見下させてくれる何かが。介助は愛によっておこなわれるか、でなければお金払ってプロにやってもらったらいいので、赤の他人に俺のおむつを換えろと迫るのは狂気の沙汰だね。そういう人間はたまに見る。まとめて火にかけられたら良い。
 私がにこにこしながらそう話すと彼女は手をたたき、そういう口汚いのを期待してサヤコを呼んだのよと言う。私の名前はサヤカだけれども、彼女と今日来ているもうひとりの同僚だけがサヤコと妙なあだ名で呼ぶ。見ると彼はこれ見よがしに眉を八の字にしている。もしかして例のアシスタントが好きなのと訊くとまさかあとこたえ、でも、と言う。
 そこまでひどければ罵って当然だと思う、でも、僕だってよろしくない思考を持つことはあるよ。サヤコの採点基準、知らないけど、もしかしたらすごく厳しいかもしれない。しかも採点法は確実に減点式だと思うんだよね、サヤコにしか見えないそのラインを下回ったらどんなに良いことをしても戻れない。だからときどき悲しくなるの、「いつか僕もなんか下手なこと言ってサヤコに『あれは燃やせば良い』って言われるんだー!わああん」とか思って。
 彼は泣き崩れる小芝居をしてみせ、空想で泣けるなんて暇ねと彼女が言う。暇じゃないもん乙女なんだもんと彼は反論する。彼はそのように自分の女性的な部分というかおかま的な部分を時おり意図的に露出する。私は彼らを見てほほえんでいるふりをしている。私はその語を、人前で吐きだせない苦い飴のように舐めている。減点式採点。
 三日前に国際電話みたいな番号からショートメッセージが届いた。私の名前が入っているからスパムじゃないと思った。誰何すると返信があった。国内からでもiPhoneのアドレス帳に載っていない番号だとそういうふうに出るんです、失礼しました。私はPCを新しくするときにアドレス帳の移動に失敗していた。あらいけないと思ってそのまま電話すると、知っている声だった。久しぶり、ごめんねアドレス帳、消えちゃって、最近どう、元気、ごはん?行く行くー。いつがいい?おっけー、近くなったらまたメールするね。ほとんど自動的に私はそのような発話をして、それから、そういえばどうして私はこの人と久しぶりなのだろうと思った。
 私はアドレス帳のリカバリのための努力をする気になれず、連絡したい人と連絡があった人の番号だけを新しく登録した。そういう整理整頓を私はしたかったのかもしれなかった。そのときにこぼれ落ちた相手の一部は、おそらく私の減点式採点によって、一度か二度の(私には重要だけれども、彼らにしてみれば)小さなできごとの帰結として、「連絡を取りたい人」でなくなった。おそらく。でもそれは声を聞いた刹那に思い出すことのなかった程度のできごとにすぎない。
 私は嫌いな人の嫌いなふるまいを口汚く罵る。状況がそれを許すなら関わりを持たない。私はそれらを正当な防御の作法だと思っていた。軽蔑は防御の作法。関わらないのはもっと上等な作法。でも過剰防衛だって罪を構成するじゃないか。
 サヤコに嫌われたら泣いちゃうと彼は言う。私に遠ざけられて泣く人がいると私は思ったことがなかった。だから平気で他人を遠ざけていた。私は自分の罵倒なんかみんなの持つ大きな力の前では逃げるためのけちな煙幕くらいにしかならないと思っていた。それくらいしか自分は持っていないのだと思っていた。でもそれはたぶん正しくなかった。あるいは正しくなくなりつつあった。だいじょうぶと私は彼に言う。私はたしかに減点式採点をしてきたけど、それは良くなかったって思うよ、ちょっとずつやめようと思うよ、だからだいじょうぶだよ。