傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

氷の海の帆船

 ひとりで暇をつぶせないやつは僕の友だちじゃないと彼は言う。教養ある人をあなたは好むと私はパラフレーズする。彼が首をかしげるので私は親切に教えてあげる。教養とはひとりで暇をつぶす技術だと言った作家がいたんだよ。お酒が好きで好きで酔っぱらって階段から落ちて死んだ。彼の妻がその作家の名を口にし、私たちはグラスの代わりのプラスティックカップを打ちあわせる。
 私たちは彼の山小屋にいた。何年か前に生活が安定したからといって彼が文字どおり自分で(物理的に自力で)建てた、山と海のあいだにある小屋だ。彼は妻と小さい娘とそれから「ひとりで暇をつぶせる」友だちを連れてそこへ行くことを好んだ。そこには水道すら引かれていなかった。手洗いのときには十分歩いて公共の施設をつかう。彼は車で友だちを、つまり今回は私を拾って海あるいは山へ行き、野外で肉と野菜を焼き、あるいは海辺の小さい町でお寿司かなにかをつまんで、近くの温泉に行き、それから小屋でランプをともす。私たちはその灯りで本を読み、子どもを寝かしつけ、ときどき話をする。
 ああお金がほしいなと彼は言う。そしたらアツシさんみたいな家を建てるんだ。アツシさんは彼の友だちのひとりで今年七十になる。アツシさんは老いた伊達男でその妻は美しい老女で、彼らに子はなく、少し前に東北の山あいに物語めいて趣味のいいログハウスを作らせ、そこで暮らしているのだった。ふたりはいつまでも幸せに暮らしました、と彼の妻は言った。その土地から少し車を走らせると立入禁止の区域に入る。
 私がいちばん好きな彼の話は彼が二十歳のときにロッククライミングをしながら愛について考えていて岩から落ちたというものだ。しかもその女の子とはつきあってすらいなかった。すばらしいと手をたたいていくらでも私は笑った。その女の子はもちろん彼の今の妻ではない。そのことを私はとても気に入っていた。ふたりはいつまでも幸せに暮らしました。
 しかしアツシさんのような家の前に僕はヨットを買うと彼は宣言する。いくらあっても足りやしないと彼の妻がぼやく。私のほしいものはどうするのと彼女は問う。それもみんな買うともと彼は言う。彼女は彼女のお気に入りの、いつか私に貸してくれようとして長さが足りずに失敗した小さいピンクの寝袋のなかで苦笑する。ヨットでもってあなた、どこへ行くの。
 北の海に行くと彼は即答する。北海道の端で彼は生まれた。氷の海をわたってどこか遠くへ行くんだ。アイスランドにしようと私は言う。私ねえ将来友だちが建てるアイスランドのお城に招待される予定なの。彼はとても喜びお城の最寄りの港まで送っていこうと言った。私はいやよと彼の妻が言った。だってそんなのぜったい寒いじゃない。もっともだ。じゃあミサトを連れて行くと言って彼は彼の娘の眠る闇を見る。ミサトだっていやよと彼の妻はごく冷たくこたえる。
 七十になったらヨットを買うと彼は宣言する。彼が七十になったら私は六十五だ。髪はもう白いだろうか。私がそう言うと白いともと彼はたのもしく請け負う。僕らはみんな年老いて髪が白いとも。ミサトは大人になって僕らになんか見向きもしない。親たちをすごく軽蔑している。サヤカのことなんかぜんぜん忘れてる。僕らはみじめでさみしくて三人のうちひとりくらいは死んでいるかもしれない。でも僕らは長生きをしよう。ずうずうしく長生きしてまた海辺で新鮮な魚を食べよう。そこから氷の海を愉快に旅してアイスランドまで送ってあげよう。そこにはなにがあるの。
 よく手入れされた暖炉があるよと私はこたえる。かわいそうな美人の女の子がずっと手入れしていたやつだよ。お城には人脈とかそういうのがだいじな俗物の友だちが差配してほかの人を呼んでいるから私はきっとすごくもてる。六十歳くらいの年下の男の子とかから丁重にナンパされる。まんざらでもないね。どちらかというと年上のほうがいいけどね。八十歳とか。個人でお城を建てるなんて愚かだなあと彼は言う。補助金をもらえばいい、文化事業として。ブンカジギョウと繰りかえして寝袋におさまった私たちは芋虫みたいにひくひく笑った。
 ねえどうかきれいにしてお城に行ってねと彼の妻が言う。白い髪に白いつけ毛を加えて高々と結いあげてハイヒールシューズを履いて行かなくてはいけないと言う。そのような体力を保つためにサヤカは毎週走り続けなくてはいけないと言う。それに今とおなじにどこででも寝袋を使って平気で寝ちゃう雑で丈夫な人間でいなくてはいけない。私たちはうれしくて笑い、それからなんだかかなしくてもっと笑い、そうして、ランプを消した。