傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

満点の女の子

 怒ってるの。子どもの声が言う。ごめんなさいと言う。視覚の認知と聴覚の認知の不調和に私は一瞬だけ眉根を寄せ、寄せきらないうちにここには大人しかいないと再度認識する。
 私は彼女を見る。大学の遠い後輩で、ちょっとしたできごとのあと、ときどき話すようになった。彼女はこの春に大学を出て私と同じ業界に就職した。若い人に助言めいたせりふを言う自分がくすぐったくってうれしかった。彼女は会社勤めをはじめて身なりも話すこともずいぶんと大人っぽくまとまって、けれどもアイライナーがうまく引けないと言っていた。そのような女性と私は話をしていた。でもあれは十の子どもの声だった。二十三の社会人の声ではなかった。そういえば私が彼女に非難がましいことを言ったのは今日、ついさっきがはじめてだったかもしれない、と私は気づく。
 私はうんとやさしい声をつくる。怒ってないよと言う。私の感覚ではちがうと言いたかっただけだよ。それにたとえ怒ったところでどうってことないでしょう。あれを怒りととらえたとしても、とても小さなものだし、だいいち私はあなたに何の権限も持っていない。私はただの大学の先輩で、それからささやかな友だちで、ただそれだけでしょう。私はあなたになんにもできない。悪いことも、それから、良いことも。
 彼女は首を横に振る。まだ子どもの顔をしている。私は彼女にまつわるできごとを思い返しながらゆっくりと話す。あなたの受け答えはいつもとてもお利口で、私は自分が有益なアドバイスをしているみたいに感じていい気持ちがした。あなたは私たちを引き合わせた人にお礼だって言った、私をずいぶん持ち上げてね。そのほかのいろんなことで、あなたはこの小さな関係のなかで考えうるかぎりいちばん私に都合の良いやりかたをしていた。あなたは満点だよ。満点の女の子。いつも誰にでもそうなの?いつもたくさん考えて先回りして満点をとっておくの?
 どうしてそうしないのかわからない、と彼女は言う。そうしなくていい場合があるみたいだけど、それ、意味がわからないです。彼女は茫洋として、でも半分くらいは二十三歳に戻っているように見える。どうしていつも点数をつけられる側なのと私は質問を重ねる。あなたは私に点数をつけたことがある?あるいは点数なんかあてにならないと思ったことは?あなたがおんなじことを言ったって私は同意するかもしれないし非難するかもしれない。たとえば歯が痛いとか、そんな理由で。だから点数のことなんか考えたってしかたないんだよ、私は公平な採点ができる人間じゃないから。私だけじゃなくって、みんながそうだと、どうして思わない。
 彼女は少し笑って、どこか痛い人なら私は気づきますと言う。ご機嫌かどうか、人に良くしたい気分か、つらく当たりたい気分かも。私はぞっとする。そんなのも「問題」に含めて満点を取ろうとしているのか。どうして満点の振る舞いをしてやらなければいけない。大切な人にだってずっとそうすることはきっと間違っているのに、私のようになんでもない相手にまで。
 私は古びた美しい細工の青いコーヒーカップを手に取る。私たちはコーヒーの専門店にいてそこには一脚として同じカップはない。主が気分で選んで出す。それは正解ではない。私は正解を好きではない。私は偶然が好きだ。甘えて気を抜きなよと私は言う。それで私に甘えすぎって言われたらいいじゃないか。
 もうひとつ質問がありましたねと彼女は言う。彼女は質問を忘れない。必ず戻ってきて回答を提出する。提出する義務の有無を検討することは決してない。私が槙野さんに点数をつける側にならないのかってことですけど、それはないです。理由はなくって、空が青いのと同じくらい、それは、ないんです。
 子どもを受動態の生き物と定義したのは誰だったろうと私は思う。私たちは部分的にまた重層的に成長し成熟し、老いる。私のなかにも七つの子や、十二の子がいる。彼女だけでなく、私たちのおそらく大半は部分的に子どもを抱えたまま大人の顔をしている。それはたいていの場合、適切に隠蔽されている。さっきの彼女みたいに、あんなふうに小さい子をむきだしにしてはいけない。片手で殺せるようなものを見せてはいけない。自分が簡単に左右できるものを見せられたら、いいようにしてしまいたくなる。私のいいように。影響力はそれだけで人を酔わせる。
 つけられた点数を蹴飛ばしなさいと私は言う。誰が怒ったってあなたはへっちゃら。関係ないんだ。あなたはもうそれができる。自分でそれに気づかないといけない。でないと、ずっと、される立場の、子どものままだよ。

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