傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

大人に必要な想像

 姉ちゃん俺あれかも、がんとかかも。とかってなによと彼女が尋ねると弟はあっけらかんと、なんか疑いがあるから詳しく検査するんだってさあ、と言う。会社のさ健康診断あるじゃん、毎年受けないと怒られるやつ、あれなんか意味あんのかなって思ってたんだけどあったね、わりと。
 弟はちゃんと毎年健康診断を受けているのだ、と彼女は思った。少し感慨深かった。そもそも会社員をやっているのが感慨深いし、社員同士がみんな知りあいみたいな中小企業の人間関係もそれなりにこなしているようだから、もう完全に大人、まっとうな大人だ。弟がそんなふうになるなんて彼女は思っていなかった。悪いことはしないけれども自由すぎる弟で、何年か前にバックパッカーをするというからあらそうと見送ったら二年も帰ってこなかった。どうやって生きていたのか知らない。
 あんた医療保険入ってるのと彼女は訊く。さすが姉ちゃん、真っ先にそれ聞いてくれる、と弟はこたえる。彼女はすごい動揺してるし、金の心配とかしないからね。金の話じゃなくてしくしく泣くんだよ。ほら愛でつながってるからさ。なんつうか清らか。ロマンティックといってもいい。姉ちゃんはドライで現実的ですばらしいね。入ってないのねと彼女は静かに確認した。もちろんと弟はこたえた。あれって自分が病気になるほうに賭けてるわけだろ、金を。毎月。俺自分が病気になると思わなかったんだよね。
 彼女は電話を切って計算を始めた。彼女は学生時代の経験から、月々十万あれば平気で生活できる、それもけっこう楽しく暮らしていけるという自信を持っていた。しかし収入のない貧乏とちがって自治体に税金を払わなくてはいけない。保険にだって加入している(弟とちがって)。仕事の関係の出費もゼロにはできない。両親は経済的にはほとんどあてにならない。
 彼女は削れない支出をひとつひとつ書きだし、収入からそれを引いた。それから高度先端医療の費用を調べかけたところで手を止めた。費用はきっと多彩だろうから今は見ないほうがいいと彼女は判断した。費用を把握する利点よりその種の情報に触れることによるダメージのほうがきっと大きい。
 彼女はたまたま会う約束のあった友人にその話をする。そんなことになったらうちでしばらくごはん食べてればいいと彼は言う。敷金礼金保証金なし、初期費用ゼロで窮乏生活のスタートが切れる。掃除のひとつもしてくれたら僕も助かる。そういうこと簡単に言うんじゃありませんと彼女はたしなめる。ただ住むなんて簡単なことだよと彼はこたえる。奥さんもらいなよと彼女が言うと、簡単に言うんじゃないと彼は切り返す。奥さんという人がどっかにいるわけじゃないんだ、誰かが僕の奥さんになるんだ、そこには個別的な関係性が生じるし、個別的な関係性は簡単に処理できるものではないよ。あなたのことはもう知っているからうちに住んでもいいと思ったんだ、ややこしいことは昔に済ませているからね。彼女は笑って、ほんとに困ったらそうしようかなと言う。よろしい、と彼はうなずく。
 それで結局弟さんは病気じゃなかったんだねと私は確認する。彼女は少しだけ頭を傾けて言う。正確にはちょっと病気だったけど、高度な医療を必要とする病気じゃなかった、どうしてわかったの。私は少し呆れた。そんなのは顔を見て話を聞いていればわかる。
 うちを第二の居候ハウスにしてもかまわないと私が言うと彼女は笑って、なあに、そのネーミング、と言う。私は説明する。一箇所にずっといると家主も居候も煮詰まると思うんだよね、だからちょっとステイ先を変えるといいかと思って、別荘に行くみたく。
 彼女は笑う。病気じゃなかったのに、おかしな人。病気じゃないときに言っておかないと、と私は言う。私たちの人生にはいろいろな困難がある、それに直面したとき正しい判断ができるほど冷静でいられないかもしれない。だから先に言っておくの。私はあなたのためになにかする意志があると、平和なときに言っておくの。
 どうもありがとうと彼女は言う。どういたしましてと私はこたえる。弟が言うにはね、と彼女は話す。これからは大人になるために病気になることや死ぬことを想像するのですって。弟はそれをしないでたいそう愉快に生きてきたけれど、そろそろ年貢を納めるというの。自分だけじゃなくって、恋人も家族も友だちもおなじ。病気になるかもしれない、お金がなくなるかもしれない。そのときに自分は何かをするよと、近しい人に言うために、死と病と困難を想像することにしたのですって。悪くない大人の定義だなと、私は思う。