傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

帰れない子ども

ちょっと任せる、と塩谷さんが言った。はあいと私はこたえ、キッチンの山畑さんが少し遅れて唱和した。私たちは三人で深夜のファミリーレストランを守っていた。私は十八だった。山畑さんは大学生のアルバイトで、塩谷さんは深夜メインの副店長。私はお客が四人だけの客席をまわり、山畑さんはレンジを拭いていた。
少ししてからいつもの薄い笑顔のままの塩谷さんがキッチンに戻ってきて、果物を補充している私に言う。いつもより少しだけ近くに距離を詰めて、ぎりぎりに聞き取れる声で言う。あのね、迷子の女の子。小学生。家に帰りたくないって。今、裏に座らせてる。
私は少し驚いて言った。副店長それってまずくないですか。警察とか呼んだほうがよくないですか。呼ぶしかないねと塩谷さんは言った。どうしても警察はいやだ、親はいやだと、そう言っていて、かわいそうで、なにか事情があると思うんだけど、でも、それしかないよねえ。
児童相談所の電話は通じませんかと私はたずねた。警察だけだとあれなんで、親がいやっていうと、その、家庭がよろしくないことも、なくはないので。番号を調べると塩谷さんは言った。まだgoogleはなかった。いつでもなんにでも答えてくれる無我の神はいなかった。
パフェの注文が入り、午前三時に背の高いグラスいっぱいの甘いものを食べるなんてと思いながら(夜は寝るものだと思っていたのだ。自分も働いていたくせに)、でもこのあいだ覚えたばかりの季節もののパフェなので少しうれしくなって作っていたら、塩谷さんが槙野さんと大きい声で呼んだ。
はいと私はパフェから目を離さずにこたえた。ミントの葉のいいのを選んでいるところだった。槙野さんともう一度、塩谷さんは言った。私と、それからフライヤーを掃除していた山畑さんが、塩谷さんを見た。
槙野さんと塩谷さんは言った。奥に行ってください。迷子の子が。私が駆けよると小さい、とても小さい声で塩谷さんが言う。僕に媚びました。
私は塩谷さんと山畑さんと作りかけのパフェを置いてキッチンから走って出た。ホイップクリームを美しく絞ったところだった。お金がなくって自分では食べなかった、バニラのアイスクリームに小さいブラウニーと甘い栗を飾った秋限定のパフェだった。

先日はどうもと塩谷さんが言った。いいえと私はこたえた。私たちは掃除をしていた。24時間の営業のためにはいちばん人の少ない時間帯に店をふたつに分けて半分ずつ掃除しなければならない。
いいえじゃない、全然ないと塩谷さんは言った。結局槙野さんに丸投げしたじゃないですか、めんどくさいことバイトに丸投げとかどんだけ無責任だよ、俺はねえあんたの倍の金もらってるんだ。私はかなしくなって笑い、適切な判断ですと言った。
あの子は、男の人とふたりになるべきではなくって、女は私しかいなかったんですから、私が対処するよりほかになかったでしょう、だから、いいんです。そう言った。塩谷さんは私の背中より先で掃除をしているはずで、だから、返事がないと、なんの情報もないのだった。
あの夜に私たちのファミリーレストランに来た女の子を、警察に引き渡すよりなかった。私も塩谷さんも、もちろん山畑さんも、子どもを保護できる人間ではなかった。目の色ばかりが大人びた女の子だった。睨んでいた。私を敵だと思っていた。実際のところ、彼女がもっとも望まない親への連絡がいくであろう警察を呼んだのだから、私はきっと彼女の敵なのだ。児童相談所やら区役所やらに、十八の頭で思いつくかぎりの連絡をしたとしても。そのころから二倍ちかい年をとったあとでも。
ちがうと塩谷さんが言った。槙野さんは子どもだ。槙野さんは十八じゃないか。僕の要領を得ない説明であの子の、あの子の、良くない事情がわかって、あちこちに通報するのは、ほんとは、僕の役割だったはずです。僕だけが大人だった、きみたちは子どもで、なんにも知るべきじゃなかった。
そんなのふつうわかりません、と私は言った。振り返ったけれど塩谷さんは振り返らなかった。ソファの背もたれと椅子のあいだを掃いていた。大人の男の人に媚びる小さい女の子は、それを覚えさせられたはずです、でもそう感じるのは、たまたまです、塩谷さんは、わからなくっても、悪くないです。
槙野さんだって子どもじゃないかと塩谷さんは繰りかえした。ぎりぎり深夜も働けるだけの、子どもじゃないか。あの女の子のことを槙野さんはわかるべきじゃなかった。僕のせりふから読み取るべきじゃなかった。知らない迷子のことで傷つく必要はなかった。
傷ついていませんと私は言った。塩谷さんはこたえなかった。ただ掃除をしていた。だから私もしかたなくそうした。小さい箒で椅子の上を掃いた。私はあのとき、嘘をついた。

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