読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

だからボストンに行かなかった

 彼はそのとき十八で、半年前まで両親や妹と住んでいた家にひとりで残っていた。それはアメリカ合衆国の、メキシコにほど近い都市の郊外にあった。家族は日本での生活を再開し、彼は残って進学することになっていた。
 彼は彼の境遇に満足していた。一人になるとほとんど広大に感じられる一軒家に住み、多くはないとはいえ両親から生活費を与えられ、それになにより、誰も彼の生活にけちをつけることはできなかった。
 彼はたいして羽目を外すこともなく、ほどほどに健康的な暮らしを保っていた。音楽大学に出した一次審査の書類はすでに受理されていた。彼は受験に必要な楽器の練習をし(専門はパーカッションだった)、大雑把に洗濯と掃除をし(料理はほとんどしなかった)、友だちと一緒にガールフレンドを探した(生まれてはじめてつきあった女の子からあっけなくふられたあとだった)。彼は一人のごく親しい友人にだけ、家族が日本に帰ったことを明かしていた。たまり場になっても困るしね、と彼は思った。
 彼はその空っぽの家に奇妙な魅力を感じていた。彼は時おり夜中に家の中をぐるりと回った。しばしば立ち止まり、隅々までじっくりと眺めた。彼の家族にとって、その家ははじめから仮住まいだった。だから本格的な手入れはなされていなかった。誰かにとって大切なものはみんな日本に持ち帰られていた。彼にはそのようなものはなかった。
 僕にはそういうものはない、と彼は思った。ひとつもない。この家を出るときはごみを捨てて、着るものやなにかを持って、それで、あとは、そのままだ。だからこの家はすでに誰もいないのとほとんど変わらない状態なんだ。
 人生は十八年もあったのに、僕は何をしてきたのかな、と彼は思った。ほとんど空っぽじゃないか。そんなふうに考えたことはなかったけど。だって子どものころにこの国に来て苦労して適応したし、もっと子どものころに与えられた楽器をずっと続けているし、それである程度評価もされている。友だちもいる。彼女だってきっとまたできるだろう。
 でもそんなこととは無関係に、彼には何もないのだった。夜の空白の家で、彼はそのように感じた。半端な間取り、間にあわせの調度、あるべきものの不在。その家を支配しているのは彼ではなく空白だった。それは彼に悪を為さず、彼もまた、空白に対してある種の親密さを感じていた。
 彼は空港に赴いた。音楽大学のある都市に飛んで最終審査を受けるためだ。友だちが車で彼を送り、がんばれよと言った。なんかぼうっとしてないか、大丈夫か、昨夜ちゃんと寝たか。寝たよと彼は言った。大丈夫。
 まったく大丈夫だ、と彼は思った。彼は空港のアナウンスを聞き、飛行機の着発表示を見、航空会社のカウンタを見た。彼ははじめて世界に触れた人のようにそれらを経験した。彼は動かなかった。てのひらの中のチケットに印刷された文字がゆっくりと崩れた。彼はそれを紙くずとして認識した。
 それで、と私が尋ねると、それだけです、と彼はこたえた。現在の彼の年齢は十八の二倍に近い。音楽と関係のない大学に進み音楽とは関係のない仕事に就き、妻とふたりの子どもと一緒に埼玉県内のマンションに住んでいる。
 私は自分の古い友人である彼の妻に招かれて彼らの部屋に来ていた。私はそこを見わたした。上の子は別室で眠り、下の子が目の前のベビーベッドで眠っていた。そこは空白の家ではなかった。もちろん。
 どうしてボストンに行かなかったんでしょうと尋ねると、私たちそういうこと考えるの苦手なのよと彼の妻が言う。だからサヤカさんが適当に作っちゃって。そういう係でしょ。私は笑う。なあに、係って。
 ボストンに行ってもよかったんですよと彼は言う。音楽を学ぶには最適なところです。でも行かなかった。そしてそれは親や妹と住んでいたら浮かんでこない選択肢だったんです。あの空白の家でなければならなかった。たぶん。
 そういう場所ってあります、と私は言う。いろんな人がそういう場所を持っています。私にもあります。比喩的な深い森のようなところ、私たちの内面のもっとも孤独な部分に至る扉のあるところです。そして十八の男の子がそこから、所与の前提によって身につけた能力を一度捨てるという選択肢を持って帰ってきたんです。なぜならそのままではそれにしがみついてだめになってしまう可能性が高かったからです。たぶん。
 もっともらしい、と彼の妻が言う。適当に作ったんだよと私はこたえる。