傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

おかあさんのごはん

いつもより上等の昆布買っちゃった。藤井はそう言って調理用の鋏を使う。四角いまま鍋底に敷くので、切れ目を入れなくていいのと私は尋ねる。そのほうが出汁が出るって何かで読んで、私そうしてるんだけど。
年始休暇の最後の日、三人で鍋を囲むことになった。私たちは独身または結婚相手が海外赴任中の擬似的な独り身で、その日は予定がなかった。お正月という家庭にとっての聖なる日に、と私は言った。ひとりの家庭をたのしむもよし、ひとりを持ち寄るのもまた、よし。彼女たちは持ち寄りに賛成した。
美濃部が到着し(結婚して田中になったけれども、私たちは無遠慮に旧姓で呼ぶ)、冷えてるよと言って優雅なラベルの瓶を手渡す。それをあらためた藤井がフルートグラスを取りだすので、なんだってそんなものが一人暮らしの家にあるのと、あとのふたりで囃した。藤井は澄ました顔で、もらったんだよと言う。私が泡のたつワインを好きだから。マキノや美濃部の家にも贅沢で美しくてプラクティカルから遠く離れた品物のひとつやふたつあるでしょう。
あるねえと私は言い、私そういうの結婚するときに捨てた、と美濃部が言う。もったいない、私にくれたらよかったのにと藤井は言う。ものに罪はない。使えるものは使えなくなるまで使う。
私たちはそれについて口々に論評しながら食卓につく。今日って火曜日だよと美濃部が言う。火曜日の昼下がり。それなのに鴨鍋。それなのにシャンパン。すてき。すてきだね。お正月はいいね。
藤井は自分の漬けた松前漬けをつまんで、おかあさんみたいにおいしくできない、と言う。母親を亡くしてから、彼女は何を作ってもそう言う。おばあさんになっても言うだろう。そして私は何度でも、おかあさん料理上手だったよねと相槌を打つだろう。
いいな私ちいさいころおいしいごはん食べた記憶ないな。美濃部がそう言い、自分の手の中を眺める。薄い結露を纏った華奢な姿のガラス、細かな金色の泡、窓越しの冬の陽の光。エミコはほんと料理へただからさ。上手くなる気もないんだよね。美濃部は母をエミコ、妹をチカと呼ぶ。
エミコは悪い人ってわけじゃないし、チカもちょっとは心配だから、ときどきは顔だしてる、でもいまだに落ち着かない。育った家なのに。なにもかも合わない。私だけ浮いてる。美濃部は以前そう言っていた。
おかあさんがねと美濃部は言う。彼女の言うおかあさんは夫の母だ。おかあさん私が料理しないの、かまわないって。働いて掃除とかして、料理はコウスケがしてるんだからいいじゃないのって。うれしかった。
私と藤井は美濃部の姑を誉め称える。おかあさんがほんとのおかあさんだったらいいのにと美濃部は言う。私あのうちの子になりたかった。もうそのうちの人でしょうと藤井が言う。おかあさんとは一緒に住んでなくっても。
ちがうと美濃部は言う。そうだけどちがう。嫁は子どもじゃないもん、大人だから私あそこにいられるんだもん。おかあさんの前で子どもになっていいのはコウスケだけだよ、コウスケはずるいなあ。
小さい子の顔をして美濃部は言う。私たちの顔はもう化粧品で覆われているのに、と私は思う。私たちの皮膚には皺だってあるのに、私たちの目はすでにいろいろなものを映してきたのに、私たちはまだこんなにも子どもだ。
藤井が私の持ってきたお煮染めを褒めるので、ありがとうと私はこたえる。美濃部が、マキノ料理おかあさんに教わったのと訊く。教わらないと私はこたえる。たいていのことは本で読んだ。私は本で覚えたんだよ、おかあさんに教わりたかったことはみんな。
十代のころ、三十過ぎた人の中には大人しか入っていないと思っていた。大人は自分と対等の存在や自分の守るべき存在について考えるものだと思っていた。でも今、私たちはおかあさんの話をしている。もういないおかあさん、大人になってから出会ったおかあさん、本の中にいるおかあさんについて。
私たちはいくつになっても、おかあさんの話をするのかもしれなかった。すべての女は死ぬまで娘で、娘であることの傷も欠落も、「おかあさん」によってしか補われないのかもしれなかった。どれだけ年をとっても、どれだけ大人らしくなっても、誰かの母になってもならなくても、そこからは逃れられないのかもしれなかった。