傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

私を非難しないで

うん別れた、たぶん。彼女はそう言い、たぶん、と私は訊きかえす。彼女はうなずく。私は考えながら質問する。
私のささやかな経験によれば、別れっていうのはそういう曖昧なものではなくって、いわゆる別れ話をして荷物をまとめて、持っていたら合い鍵を置いて、一緒に撮った写真を眺めて涙する、みたいな、そういう明瞭なものではないの。
それどっちかっていうと離婚じゃない、と彼女は訊く。私は少しはずかしくなって、結婚の経験はないよとこたえる。彼女はなぜだか数秒のあいだ笑って、あなたと私では彼氏の定義がちがうんじゃないかなと言う。私、彼の家に行ったことない。写真も持ってない。彼は私を撮ってたけど。別れ話っていうのもよくわからない。どっちかが別れる気になったらそれでおしまいなのに、何を話すの。
私は衝撃を受けて少しのあいだ口を利けないでいた。ひとつずつ質問しよう、と思う。まずおうちについて。どちらかの家によく行くのはわかるんだけど、一回も彼の家に行ったことがないっていうのは不思議だと思う。
住処を見てどうするのと彼女は訊き、私はその率直さに動揺してしまう。ええと、どうするっていうか、部屋にあらわれる人となりを見たくなるんじゃないかなって、私は、そうだから。そういうふうに考えたことなかった、と彼女はこたえた。そういえば何回かおいでよって言われたけど、意味がわからなかった。
次いこう次、と私は思う。どっちかが別れる気になったら終わりっていうのは、まあそうなんだけど、気持ちが翻る余地があるかとか考えると思うよ。私がそう言うと彼女はいくぶんぼんやりした顔で、そんなふうに思わなかった、別れてって言われたら、よく文句言われてたしもういいやって思って、そうかあって言って、円満に別れた。
円満、と私はつぶやく。彼女と私は「彼氏」の前に「円満」を定義すべきなのでは、と思う。でもその前に訊くべきことがある。文句ってなに。
あの人よく苦情を言うんだよね、と彼女は言う。内容はいつもいっしょ。ディティールは違うけど、私が彼に関心を持ってないっていう意味のことを言う。前に話したこと忘れたとか、体調を崩しても心配しなかったとか、そんなこと。そういうのは冷静に客観的に言ってほしいんだけどすごい感情的だから、ほんとうんざりする。そうじゃないときは楽しいんだけど。
なるほど、と私は言う。誰だって非難されるのはいやだものね。彼女はうなずき、私は慎重に話を進める。気を悪くしないでほしいんだけど、あなたの彼に対する関心はやっぱりちょっと薄かったんじゃないかしら。
彼女はふと表情をなくし、それからにっこりと笑う。そうかもね、私なりにフォローしてあげたつもりだけど。
こんなことを言ったら気を悪くされてもしかたないんだけど、と私は言う。相手に強い関心がないのにそれを欲する相手とつきあいを続けたのは適切とはいえなかったんじゃないかしら。いやなことは冷静に言ってほしいってあなたは言うけど、関心を持ってくださいって頼んで持ってもらえるものじゃないから、その願望を持ったらがまんするか去るか感情的になるかしか選択肢がないよ、最後のを選んじゃった彼は人格的に未熟な気がするから、去るのを追わないのはいいことかなと思うけど。
彼女は片手を挙げててのひらを私に向けた。私は口をつぐむ。彼女は小さい声で言う。私を非難しないで。
私が弱っていないとでも思っているの。薄情だ薄情だって言われて、まるで人を好きになれない人間みたいに。私には私の感情があるし、他人に関心がないわけでもない。そうだと思う。でもときどき私は自分にしか関心を持っていないのかもしれないとも思う。他人と過ごすことはただ心地よさを得る手段にすぎないのかもしれないって。人は私のふるまいからそれを知っていて、私だけが気づいていないのかもしれないって。私はそれが怖い。
彼女はそこまでひといきに話し、それからうっそりと翳った瞳で私を見据えて訊く。別れて泣けば薄情じゃないの?それがまともな振る舞いだとあなたは言いたいの?泣かない私はまともじゃないから平気だとでも?そういう人間はふられて友だちにその話をしても慰めてもらう必要はないと?
私はひどくうろたえて弁解する。ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったの。あなたはちゃんとした人だし、薄情なんかじゃないよ、ただ彼とか、今までの人たちとは相性が良くなかっただけだよ。ごめんね、ごめんね、私が無神経だったね。彼女はやっぱり小さい声で、ありがとうと言った。私はその社交辞令をかなしい気持ちで聞いた。