傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

釘のない生活

そういえば私もワタナベ以来恋愛に縁がないね。彼女はそう言い、私はとりあえず荷物を網棚に収め、それから訊いた。ちょっと、ワタナベさんの後につきあってたタシロさんと、あとほら、ヨシくんの立場はどうなる。
うん、その二人もちゃんと彼氏だったよ、でもそれは恋愛とは少し違う気がするんだよね。彼女はそう言い、窓際に座っていいよと言った。私たちはささやかな休暇をとり、特急列車に乗って涼しいところへ行こうとしていた。
べつに不真面目につきあってたわけじゃなくって、ただ、彼らとはただ楽しく過ごしただけで、なんというか、そこに必然性みたいなものはなかったし、強い執着もなかったと思うんだ。それは彼らが悪いというのではなくて、うまく言えないんだけど、私はいろいろあって二十七、八で人間ができあがっちゃった気がするのね。
私はうなずく。私は十五のときから彼女を知っているけれども、たしかにそのあたりで彼女はさまざまな経験をし、おそらく努力し、いろいろな側面での自立と安定を手に入れた。ものの考えかたが深みを増し、視野が広くなり、何かに対してあふれるような思い入れを語ることがなくなった。
すごく大人になった、と私は言った。電車ががたりと揺れ、急激に速度を増してゆく。冷凍みかんがほしいなと私は言う。彼女はずいぶん気前よく笑って、そんなの今どき売ってるのと訊く。私はちょっと意地になって、ぜんぜん現役で売ってる、箱根に行く特急の駅で売ってる、と言いはった。
なにかが足りないとひとりでちゃんと生きていかれないから、足りないところが減るようにがんばる、と彼女は言い、胸の高さに浮かせた掌ふたつでくるりと球形を描く。がんばって亀裂のないまるい人格をつくる。ここまではいい?
私はうなずく。彼女は続ける。でも人が人を求めるのは自分になにがしかの不足があるからだし、誰かに思い入れを持つのはその人に足りないものをあげられるという感覚を、それが錯覚でもいいんだけれど、持つから。つまり、欠落は人と深くかかわるためのとっかかりでもあるということね。
愛を引っかけるための釘、と私は言う。小説家のせりふだよ。いいせりふと彼女は言い、その釘が、と話を引き取る。私にはもうその釘が、少なくともわかりやすいかたちでは出ていないんだと思う、だから関わりは深くならない、私と相手は互いに代替可能であって、だからそこには理不尽な情熱が生まれない。
桃はおいしいけど、梨でもりんごでもいいっていうことだね。私がそう言うと、冷凍みかんでも、と彼女はこたえて、笑う。その笑いのかたちを不意に変えて、言う。
釘がない生活をしているとね、ほころびなく完結したひとりぶんの生活をしていると、男の人とつきあっても、ただ相互に娯楽を提供する、お互いに親切にするという関係でしかなくなる。それはそれでいい関係なんだけど、同じ種類の娯楽には飽きるし、親切はそれだけでは長続きしない。
なるほど、それでワタナベさん以来、恋愛に縁がないと。確かめると彼女はうなずく。ワタナベはまったき他者だった、私たちは必死で互いを理解しようとしたし、そのための釘を持っていた、私たちは未熟で、だからこそ濃密な関係が成立したんだと思う。
なるほどと私は繰りかえす。じゃあ球形にできあがった人たちに他者は必要ないのかしら。他者が必要じゃない人間なんていない、と彼女は言う。ただ私たちにはわかりやすい釘がなくなって、欠落のもたらす飢えの痛みを感じにくくなっただけ。
彼女はしばらく窓の外を眺めてから言う。私はもう一度なにかを欲することを思い出すべきなのかもしれない。球形の自分をいちど手放すべきなのかもしれない。欲したものを得られなかったとしても、いまと同じ生活には戻れるんだから。ただ恐ろしいのはね、なにかを欲しそれを得たり得なかったりすることで、なぜこういう生活で満ち足りていたのかを、思い出せなくなることだよ。ねえ、今どのへん。
私は時計と路線図を見ておおまかな地名を言う。それから、満ち足りた感覚を取り戻せなかったとしても、それは球形に成長する以前のあなたと同じではないと思う、と言ってみる。山手線みたくぐるぐる回るってことはそんなになくって、この電車みたくぱーっと目的地にたどりつくこともなくって、おおかたは同じことをしているように見えて螺旋階段を上がっているものじゃないかって、そう思う。