傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

みっともない消費

収入が一昨年の二倍になった、と彼は言った。そりゃあ豪気だねえと私は言った。なんかこう、ぴかぴかしたすてきなものをばんばん買ったらいい。彼は苦笑して、いやだよそんなの、と言った。みっともない。
どうしてと私は訊く。お金がいっぱいあるんだよ、あれもこれも買ったらいいじゃない。そういうのってすごく楽しいと思う。私ねえ苛々すると冷蔵庫がいっぱいでもスーパーマーケットに行っちゃう、どうしてかっていうとお金を使うとすっきりするからだよ。
スーパーマーケット、と彼はつぶやき、可笑しそうにうつむいた。私が首をかしげると彼は面をあげて、でもまだ少し上目遣いで、ごめんねと言った。ごめんね、ばかにしてるんじゃないんだ、いいなと思って、とても善良で、いいなって。
彼はスーパーマーケットの邪悪さをわかっていない、と私は思う。野菜売り場の隅に置かれたワゴンの中の腐りかけた三本五十円の有機栽培の人参の、どれも同じようなのに七種類そろえられたお風呂の洗剤の、びっしりと山盛りにされた均一な色のカリフォルニアオレンジの、青色2号の赤色106号のデヒドロ酢酸ナトリウムのラウロイルサルコシンソーダの、ひそやかな不吉さを。
でも私はそのことを説明しない。しないで、みっともないってどういうこと、と訊く。なんとなくわかっているけれども、わかっていることを確認するのは楽しいし、話したいことを話している人を見るのはうれしい。
お金の使い方はどうしたってその人にとっての表現になってしまうんだよ、と彼は説明した。親切な口調だった。消費はその人の欲望をあらわしてしまう、「その商品がほしかったんだねえ」という以上に、その人が隠したいところまで容赦なく示してしまう。僕は自分の浅薄な欲望を無防備に人目にさらしたくない、自分を底上げするためにあられもなく消費するところを見られたくない、僕はちゃんと自分がほしいものについて考えて吟味してそれから買いたい、僕は僕のような欠落がある人間の焦りやさみしさをまぎらわすために作られた商品にとびつくのは癪だし、金という権力を行使する喜びを味わうためだけにものを買うこともしたくない。
私は彼のことばが終わるのを待ちかまえ、間を空けずに口を開く。そんなの卑しくなっちゃったほうが楽しいに決まってる、私があなただったら絶対そうする、誰かのほっぺたを札束でたたいて何か愉快なことをしろって言う。
彼はもういちどひっそりと笑い、よくない冗談だ、と言う。ごめんなさいと私は謝る。それから、プライドが高いね、と言う。羞じらいが強いんだよと彼は訂正する。何を誰に対して羞じるのと私は尋ねる。僕自身を、世界に対して。彼はそうこたえ、なんだそれじゃ私とおんなじじゃないかと私は言う。そうだよと彼は言う。でも僕はあなたより強がるのがずっと上手いんだ、違うのはそれだけ。