傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

感情とその器

今なにしてた、というメールが入ったので、返信を書いた。半身浴をしてから、がんがんに冷やしておいた部屋に出て、あまりにいい気持ちなので叫んだところ。ぽぅ!
数分後にメールが来た。ぽぅってなに。私は携帯電話を操作する。マイケル・ジャクソンがやってたようなやつ。これでお風呂上がりの喜びが十全に表現されると私は思うね。ぽぅと叫ぶと充実感がからだに満ちるよ。送信。
着信。それ一人でやってるの。ばかすぎる。でもなんかこう、ぴったりの感情表現を見つけるとすっきりするよね。それはたしか。笑わないとうれしい感じって出ない。笑って足りなかったらマイケル化するのも、まあわかる。
私は髪を乾かしてからそのメールを読み、そうでしょそうでしょ、と書く。こないだ一緒に買ったサンダル、あれ家で見てたらほんとにかわいくてまたテンションあがっちゃってさあ、でもそれはマイケル化する感じじゃないんだよね。ブブゼラがほしい。ブブゼラを吹きまくる感じの喜びなんだ。おやすみ。
私はベッドに寝て、ブブゼラはやめなさい近所迷惑だから、おやすみ、と書かれたメールを見ながら考える。どうして私はマイケル化したのか。私はいま家にひとりでいて、そのことで誰かに何かを伝達したいのではない。むしろしたくない(はずかしいから)。でもいい気分であることを表出せずにいるとなんだか落ちつかない。するともっといい気持ちになる。
うつっちゃった、どうしてくれる、と彼女は言った。私たちは彼女が職場でお世話になった人へのちょっとした贈り物を選ぶために、日本でいちばんたくさんのものがありそうなところにある駅で待ちあわせをした。私たちは毎月のように会う。
なにがと私は訊く。マイケルと彼女は言う。あれいいでしょうと私はこたえる。気持ちいい感じが増幅されるんだ。彼女は天を仰いで、あんなへんな癖がついたらお嫁に行けないと嘆く。予定あるのと訊くと、ない、とあっさりこたえた。予定ができたら彼氏にもうつすといいよと私は提案する。愉快な家庭になると思う。ぽぅ。
あらわさないとどうなるのかな、と彼女は言う。片手に贈り物の小さいきれいな包みを提げて歩きながら言う。何をと私は訊く。さっきの話、マイケルとブブゼラの話、と彼女は言う。
感情をあらわさないでいるとどうなるか。うれしくても笑わない。いとしくてもさわらない。悲しくてもせつなくても感激しても泣かない。
私、だいたい週いちで泣くんだけどね、つらいことは今そんなにたくさんないんだけど、えっと、本を読んでてぐっときたときとか、あと、夜中って悲劇的なこと想像するよね、しない?私する、すごくする、それで泣く、とにかくよく泣くんだ、泣くと悲しいのとかせつないのとかが増える感じする、私はその感傷を存分に味わう、泣くの禁止になったら、私はじゅうぶんに感傷を味わえないと思う。
私がそう話すと、泣き禁止令、と彼女はつぶやく。それを実現する社会は監視コストがかさんでかなわないね。ともかく、感情は表出することで増幅される、それはたしか。表出しないと、どうかすると本人にもうやむやになってしまうかもしれない。
ということは、適した器を与えてあげないと、感情はすぐ死ぬんだろうか。私がそう尋ねると、生まれないのかもしれないと彼女は言う。私がそれを想像して少し怖くなってうつむくと、最適な器を与えてあげればとても長生きするということでもある、と彼女はつけ加える。でもブブゼラはやめなさい、近所迷惑だから。