傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

便宜的な憎しみ

十代の終わりのころ、ファミリーレストランでウェイトレスをしていた。深夜になると外国から来た水商売の女性を幾人もはべらせた男の人が彼女たちにごはんを奢るために現れる。彼女たちはウェイトレスをつかまえて率直な英語で訊く。あなたいくつ?中学生?大学生?うそー!勉強たいへん?ボーイフレンドいる?ちゃんと寝てる?
私は中学校の教科書に載っているような構文で彼女たちの質問にこたえ、テーブルの上が望ましい状態になるとちいさく手を振ってそこを離れる。彼女たちはときどき複雑な文法の運用を要する質問をした。どんな勉強をしているの?ボーイフレンドはどんな男の子?将来はどんなふうになりたい?私はそんなとき、あいまいに笑ってなにかで読んだせりふを棒読みする。I'm sorry, I don't understand you.
彼女たちは一緒にいる男の人が英語を解さないのをいいことに、ずいぶんとあけすけな話をする。彼女たちは主に母国語で話すけれども、ときどき英語でもお客に対する悪口を言うので、私はなんだかどきどきしてしまう。いっそ華やかなほどの、母国語でないために必要以上に率直な、はてしない量の罵詈雑言。
私は隣のテーブルを拭いたり、トレイをもって横を通り過ぎたりしながら、なにもそこまで言わなくてもいいのに、と思う。男の人はにこやかだし、それほど横柄でもないし、無茶なことも言わない。身だしなみが悲惨なわけでもない。少なくともこのファミリーレストランでは、彼はそれなりに礼儀にかなったふるまいをしているように見える。もし彼が彼女たちに憎まれるだけのひどい行為におよんでいるのだとしても、この場で彼が礼儀正しくしている以上、彼女たちもこの場以外のところで、たとえば彼のいないところで彼の悪口を言うべきなのではないか。十九の私はそう思う。
そのころの私はごく率直でまっとうな考えを持っており、そのまっとうさはどこででも通用すべきだと思っていた。目の前の人物を当人にわからないかたちで貶めることの、背筋のちりちりするような快楽を知らなかった。そんなものは生涯知らずに生きるつもりでいた。
私と目が合うと、彼女たちは口の端をぐっと引きあげてわかりやすくほほえみ、ぱちんと片目を閉じてみせる。ウィンクって、ほんとにやる人がいるんだ、と私は思う。私はそんなことできないから、いかにも日本人らしい、そしてウェイトレスらしいアルカイックスマイルを浮かべて、ちいさく手を振る。彼女たちはその爪を見とがめて、カワイイカワイイと、そこだけ日本語で言う。アナタカワイイネ。ひっそり磨いているだけの小さい爪なのに、この人たちはなんて注意深いんだろうと、私は思う。もっといろんな色のマニキュアを塗ればいいのに。彼女たちはそう言って自分の金色の、あるいは真紅の長い爪を私に見せる。
ある日、彼女たちのひとりが言った。ごめんね、いつも、いやでしょう、悪口ばかりで、でも、こうでも言わないと、やってられないのよ。私は彼女のことばを理解したか否かが伝わらない濃度の微笑をつくって皿を下げる。
二十四時間三百六十五日、いつでも煌々と明るい、紙の上のイラストレーションのようなファミリーレストランを横切りながら、相手がひどいとかひどくないとか、そういうことは実はどうでもいいのかもいれない、と思う。とにかくばんばん悪口を言って相手をステレオタイプな悪役にしてしまわないと、お金ではべらされることがどんどんきつくなるのかもしれない、そのために便宜的に相手を憎んでいるのかもしれない、と思う。
私はキッチンに戻り、残りものを捨てるためのケースの上で皿を逆さにする。食べられたというよりつつきまわされたといったほうが適切な状態だった。私が先週作り方を覚えて注意をはらって仕上げたパフェの細長いグラスには、溶けたアイスクリームが縁までひたひたに残されていた。どれもこれも、ひどく汚れた皿だった。そうしてその汚れの材料は、みんな食べ物なのだった。私は自分が何度も口にしたことばに苛まれていることを感じた。I'm sorry, I don't understand you.

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