傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

マジョリティの夢

夫とふたりで暮らしはじめて三年になる。夫の名は直樹という。育った家は千葉県君津市にあり、以前は酒屋だった。今はコンビニエンスストアを営んでいる。二階が住居で、両親と兄夫婦と、そのふたりの子が住んでいる。
夫の口癖は「まあいいか」で、私は夫のそういうのんきなところが嫌いではないけれども、自分が悪いときにもまあいいよねと言うのはやめてほしい。夫はよく話すけれど、内容は少し退屈だ。よく言えば常識的な、悪く言えば類型的なものの考えかたをする。趣味はとくになく、そのことを少し恥じている。
夫は怒ったり不機嫌になったりすることはあっても、それに飲みこまれるということがない。なんかさあ、三十分くらいたつと、怒ってたことがどうでもよくなっちゃうんだよね。夫はそう言う。
夫は私よりひとつ年嵩で、都内の私立大学を出たあと、食品メーカで営業をしている。仕事は無難にこなしているらしい。ちかごろ体重が増えたことを気にしているけれども、ビールを糖質ゼロの発泡酒に変えただけでどうにかなると思っているようなので、このまま中年太りすると思う。


私がこのような架空の夫を頭の中に住まわせて二年になる。結婚していないことをとやかく言われることが多く、面倒だから夫がいることにしてしまいたいなあと思っていた。それで嘘をつくとしたらどんな夫がいることにしようかしらと考えはじめたらなんだか楽しくなってしまい、一晩で頭の中に直樹が住みついた。一年くらい一緒に住んでいる状態から空想がはじまって、今でもときどき会話をしている。直樹はちかごろ値下がりした大型液晶テレビをほしがっている。
直樹は私の何なのだろうと思う。理想の伴侶ではない。理想にしては長所が少ない。恋人がいてもいなくても直樹には影響しない。心ひかれる人と直樹は似ていない。
私はたぶん直樹の妻になりたいのではなくて、直樹になりたいのだ。私はマジョリティになりたくて、マジョリティのかたまりのような人物を作りだし、それを頭の中に住まわせているのだと思う。たいていの人がそうであるように私もいくつかの側面でマイノリティであり、ときどきそのことがつらく感じられる。だからマジョリティの夢を見る。それが直樹だ。
常にマジョリティだから直樹の情緒はひどく安定している。私が荒れているとまあいいじゃんと言う。あなたにはわかりっこないと私は言って直樹に八つ当たりする。八つ当たりできるのは直樹が存在しないからだ。この世の人はみんなどこかがマイノリティだから、私は誰にも「あなたにはわかりっこない。私は少数派で、だからきつい思いをしてるんだ」と言えない。そのことばは口にしたその場でくるりと方向を変えて私に刺さる。それだから私は存在しない直樹を必要とする。
もちろん直樹の属性が実際の多数派というわけではない。直樹は「私の想像するマジョリティな人」にすぎない。マジョリティはほんとうはもっといやなやつかもしれない。直樹みたいに気のいいおじさんじゃないかもしれない。私の八つ当たりを笑って受け流して、まあまあと言ってはくれないかもしれない。きっとそうなんだろう。
でも私はマジョリティをいいものと思いたい。人をふたつにわけたときの多い側、強い側を、いやなものだと思いたくない。だから直樹はいいやつで、私にわりとよくしてくれる。直樹は無神経なことも言うし、すごく苛々するような行動をとることもあるけれど、私がひどく落ちこんだときにはハーゲンダッツのいちご味を買ってきてくれる。実際にはもちろん自分または現実の誰かが買う。架空の夫は架空のアイスクリームしか買ってくれない。

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