傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

手はそんなに滑らない

ちかごろおもしろい仕事した、と訊いてみた。彼女は十メートルばかり歩いてから、先月プルトニウム撮ったよと言った。原子力発電所プルトニウムって水に沈んでるのね、それを上から撮るっていう仕事。あのつまりそれって爆発したらみんな死ぬよね、と私は言った。死ぬねえと彼女はこたえた。爆発じゃなくって核分裂っていうんだって、まあともかく、そういう状態になるとみんな死ぬ。
私がそれを想像していると彼女は笑ってだいじょうぶだいじょうぶと言った。いちカメラマンのミスで日本滅亡みたいにならない仕組みができてるからだいじょうぶ。
私たちはお行儀の良さそうな人々が行きかう繁華街にいて、梅雨の晴れ間の日差しの中、にぎやかな道を歩いている。それなのに私は聞いた話だけで不安になっている。彼女はそれを実際にやってのけて帰ってきて平気な顔でプールに行こうなんて言う。私がそのことを口にすると、平気なわけじゃないけどと彼女は言う。
そういう仕事のときは平気じゃないよ、そりゃあどきどきする。プレッシャーのかかる現場の前日はうまく眠れない。でも撮るっていう作業の基本は一緒だからね。気をつけてちゃんとやればできる。
でも手が滑ったり、うっかり間違ったりするかもしれないでしょう、と私は言う。彼女は笑って手はそんなにしょっちゅう滑らないと言い、私にプールのシステムについて訊く。私は使い方を説明し、ここ穴場なんだ、公営のわりに空いてるし帰りにごはん食べるところにも困らないよと、自分が作ったみたいに得意になって教えた。
アキレス腱を注意深く伸ばしながら、あのね手って思った通りに動くものだよと彼女は言う。彼女はとても真剣に柔軟体操をする。プールの天井は透明で、水面がちらちら光ってきれいだ。
彼女は動きながら話す。手が震えることもなくはない、でもカメラは三脚の上に載っているんだし、私の手は二つある。滑ったら持ち直せばいい。右手が滑ったら左手で支えればいい。手が滑って取り返しのつかないことが起きるなんてことはないの。あなたにはたぶんそういう信頼が足りないんだと思う。
私たちはプールサイドにぺたりと座って交代でお互いの背中を押す。彼女の関節はうらやましいくらいよく曲がる。彼女は話を続ける。
手は自分の思う通りに動くという信頼がないと、手を使う仕事はできない。あなたはだからカメラマンにならなかった、外科医にならなかった、歯医者にならなかった、料理人にならなかった、ふすま張りや塗装の職人にならなかった。
そのとおりと私はこたえる。職業を選ぶとき、ミスが許されないタイプの手を使う仕事をまっさきに選択肢から外した。私はいつも手が滑ることを考えてしまう。私は私の手を十全に信頼することができない。私の足を、私の背中を、私の肩を、私の皮膚を、きっと信頼していない。
それは不幸なことだよねと私は言う。たしかに、と彼女は言う。でもそういうふうになっちゃったのはしょうがないんじゃないかな、今からでもからだが思い通りに動くっていう経験を重ねてあげれば少しずつよくなると思う、たとえばこんなふうに、泳ぐだとか。だって泳いでいてもめったに足は攣らないでしょう。
彼女はにっこり笑ってするりと水に潜った。私はその影が揺れるのを見て指で四角いフレームを切り、プルトニウムのことを考えて、それから少し冷たい水にからだを沈めた。私の手と私の足と私の背中を、私の持っているすべての皮膚を。私は水の中でくるりと天井を向き、それらがきちんと機能することをたしかめる。水面がゆらゆら光ってとてもきれいだ。