傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

読書感想文とタカエちゃんのこと

ひとりで本を読んで終わったら次の本を読んで、それが楽しくてずっとそうしてきたんだけれど、どうしてかこのところひとりで黙って読んでいるとさみしい。さみしいというのはつまり他者を求めているということで、だからいろんなところがうっすらとさみしいのは健康でいいことだと思う。特定の狭い部分だけが熱烈にさみしいのはあまり良い状態ではない。それが満たされる快感は異常に強く、ほとんどそのために生きているんじゃないかと思えるくらいだけれども。
それで感想文を書くことにした。私は読書感想文を書くのがわりに好きで、中学生のときには人のぶんまで受注して小銭をもらっていた。お得意さまはタカエちゃんで、タカエちゃんは背が高くて大人びた女の子だった。タカエちゃんは勉強が嫌いで、なかでも字を読むのは鳥肌が立つほど嫌いなのだった。タカエちゃんは数学だけは教室でなんとなく聞いていればそこそこの点数がとれて、お裁縫が上手だった。
タカエちゃんはスカートをすごく短くして十三歳のときから彼氏がいた。家に遊びに行くとときどき大人の(ように見えた)男の人がごろりと寝そべっていてタカエちゃんはそいつ放っておいていいよと言った。
私たちはホットケーキミックスを使ってカップケーキを焼き、大きいラジカセ(昔あった機械で、ラジオとカセットテープの再生ができた)から音楽を流して踊った。私は踊るのがとてもへたでタカエちゃんはそれを見てよく笑った。私は笑われるとひどく緊張して間違いを正さなくてはいけないと思うのに直せなくて謝りつづける子どもだったけれどタカエちゃんが相手なら平気だった。私は得意になってかくかくと動きタカエちゃんはそのたびに笑った。タカエちゃんはテレビで見た振りつけを覚えていて上手に踊った。タカエちゃんはすごいなあと言うとこんなの簡単だよとタカエちゃんは言った。私はタカエちゃんの両親を見たことがない。
読書感想文を書くとタカエちゃんはいつも五百円くれた。最後の二回ぶんは返した。タカエちゃんの友だちがタカエちゃんが妊娠したからみんなで助けようと言うので千円渡した。私たちはそのあとすぐ中学校を出て、私はそれからタカエちゃんに会っていない。
私がタカエちゃんのぶんまで感想文を書いたのは五百円もらえたからで、五百円がどうしてうれしかったのかというと、これ私が書いたみたいだ、五百円なら安い安いと言ってもらえたからだ。私はタカエちゃんのぶんを書くときには漢字を減らし、語彙と語尾を少しつたなくして、タカエちゃんが気に入ったところを紹介するつもりで書いた。タカエちゃんは本を読まないから、私が読んで話して聞かせるのだ。そうすればタカエちゃんがどんなところを気に入るかわかる。
タカエちゃんは努力して報われるみたいなお話が好きで、私はそういうのははずかしくて自分の感想文には書けなかったんだけど、タカエちゃんの感想文にだったら書けた。私は嘘を書くのが好きで、誰かから聞いた話を書くのが好きだった。そのほかに書けることはなかった。
タカエちゃんは一度だけ、私が書いた私のぶんの感想文を読みたいと言った。私はなぜだかそれがすごくはずかしくてはぐらかした。タカエちゃんはあんなに字を読むのが嫌いだったのに読みたいと言ってくれたんだから読んでもらっておけばよかったと思う。そのあと二十年もひとりで黙って本を読んでいたのは間違いだったように思う。それで私はこのところタカエちゃんに読ませるつもりで感想文を書いている。もう五百円はもらえないけどそれはべつにかまわない。