傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

食べられないきれいなもの

一冊のノートを買った。ちょっと上等な紙を使ったきれいなノートだ。表紙はあざやかな赤を基調としたデザインで、八つになる女の子向けに作られた商品ではないけれども、私は彼女の親ではないから、年齢にそぐわないものをあげてもかまわないと思った。
お誕生日おめでとうと言ってそれを渡すと、彼女は生真面目にありがとうございますと言った。それから、日記とか書くね、と言った。目の前の大人の欲望に聡い。可哀想だ。
無理をして書く必要はないんだよ、紙は腐らないから。だけどね、おばさんがブログにあなたの作文のことを書いたらいろんな人がすごくほめてたよ、みんなあなたの書いたものが好きみたいだよ、だからノートがあってもいいかなっておばさんは思ったの。
そう言うと彼女はほとんど不機嫌に見える表情になった。ほめられるのが好きじゃないのだ。ひと一倍ほめられたいくせに、またほめてもらうことを期待する自分がいやで、それからほめ言葉の裏を読まなくてはいけないのがいやで、だからどうしていいかわからなくなる。
私はそれ以上何も言わずににこにこしていた。彼女はでも、とふてくされた声で言った。でも作文なんかうまくてもべつに役に立たないし、将来それでごはんが食べられるわけでもないでしょ。
無遠慮にふてくされるのはいい傾向だ。私はどうやらそれなりに彼女の信頼を獲得しているらしい。そう思って、それから私は言う。そうだね、特別に上手でもうかる人もいるかもしれないけど。でもそれってたいした問題じゃないよ。
私は彼女の気を引くことに成功したようだ。きょとんとしてこちらを見ている。
もしかするとあなたは、仕事をするには能力が必要で、自分にはそれはないかもしれないと思って、だから得意なことがあっても「でもこれじゃ食べられないしなあ」って思うのかもしれない。でもとくに得意な分野の仕事でなくても訓練すればできる。たとえば私はいろいろなことができない、人が簡単にできることが、がんばってもできない、そんなでもちゃんと働いて自分のお金でもりもり食べてる、社会で生きていくのはたいへんだっていろんな大人から聞いてるだろうからそうじゃない部分を私は言うよ、そんなの全然できる、たいへんなんかじゃない。私にだってできるんだから、あなたにもぜったいできる。
少し話しすぎたかなと思って彼女を見ると、彼女は私を見返した。私は言う。
だから食べていけるとかいけないとか、そういうことは抜きにして、文章を書くのはおもしろいし上手になりたいって思ったら、それをしてほしいと私は思う。何かをアウトプットする活動ってすごく精神によくて、えっと、なんていうか、自分でなにかを作るとすごくいい気持ちになるのね。そしてそれは食べていかれる仕事とくらべてどうでもいいものなんかじゃない、それはあなたの生活を確実に豊かにするし、ことによってはあなたを救うかもしれない。食べられなくてもきれいなものはある。それはだいじ。わかるかな。
たぶん、と彼女は言う。たぶん。私この色すき。よかったと私は言う。私たちは少しのあいだノートをはさんで黙る。彼女はそれからようやく、はずかしそうに笑った。