傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

泡のような関係を

コーヒーを注文したところでメールが来た。旅行先で知りあった人からだった。私はメール書いていい、と訊いてから、その場で返信を出した。北海道いいねー。私もまた旅行したいと思っています。今度は海外がいいな。関東に来るときは、よかったら連絡してください。笑顔の絵文字。
何を書いたのと彼が訊くので、文面をそのまま朗読した。彼は縦に長いカップにたっぷり入ったコーヒーの、水面の微細な泡をひとつずつそっと壊すように飲んでから言う。絵文字使うんだ。そんなに親しくない人には使う、と私はこたえる。親しくなくて相手が使ってて私が使ってないとすごく無愛想に見えるから。絵文字苦手だから、親しい人だとそうことわって使わないか、そもそも相手も使わないか、なんだけど。
なるほどと彼はつぶやき、なんだかずいぶん楽しそうに打ってたね、と言う。私は首をかしげる。彼は言う。
もう会わないかもしれない相手なのに、って思ったんだ。旅先ではだいたいテンション高いから話をしても楽しかったりするけど、おおかたその場だけで終わってしまうよね。たぶん二度と会わない。そんな泡みたいな関係なのになんだか楽しそうにメールを書いているから、ちょっと不思議だった。
私は少し考えて説明する。
みんなが深い関係ばかりを大切にする気持ちが、実はよくわからない。その場かぎりだとか、表面上だとか、そういう淡い関係が、なんだか偽物みたいに言われることがあるでしょう。どうしてかなと思う。その場かぎりにはその場かぎりの礼節や親切があって、それを交換できた相手はよいものだと思うよ。同じその場かぎりでも好ましい相手とそうでない相手がいて、好ましい相手にはちゃんと好意を示すべきだし、相手からもそれをもらえたらうれしいと思う。
仕事がらみの知りあいとか、集団でなんとなくやりとりがある相手とか、インターネットでしか知らない相手とかもそう。話題は限られているけれども、その中にもよい関係はあるでしょう。自己開示が多い関係だけがよい関係なのではないし、信頼感を強く持てる相手だけを尊重するのもへんだと思う。
ろくに知らない人のささやかな親切ってすごく大事だよ、それで救われることだってある、少なくとも私は、お互いになんとなく親切にできる相手がいっぱいいる世界がいい、たとえばひとりの恋人と何でも話せる三人の友だちがいて、あとは全員敵だという世界に放りこまれたら、愉快に生きられる気がしない。
私は話し終えて彼を見る。彼は少し笑って言う。
とても健全だね、健全で好ましい、でも世の中にはその世界に住んでいる人もけっこういると思うよ、深く愛しあうひとりの恋人と何でも話せる三人の友だち、あるいは全幅の信頼をよせる伴侶と両親と子どもがいて、それ以外はみんな敵だという世界に。もしかすると自分だけがいて、あとはだれもいない世界に。そういう世界に住んでいる人にとって、泡のような関係はただ煩わしい義務にすぎない、彼らにとって、泡のような関係の相手はほとんど人ではない、景色の一部のようなものなんだ、だから人じゃないみたいにあつかわれることがあっても、無防備に傷つかないように。
私は可笑しくなって言う。私はもうそんなにやわらかな人間じゃないよ、残念ながら。それに、少数の親しい人や自分ひとりだけできれいに完結できる人を、私は少しうやらましいと思うよ。

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