傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

世間知らずはだれ

おとうさんとけんかした、と彼女が言うので、私は遠慮なく笑った。睫を一本残らずきっちりカールさせて凶器みたいなハイヒールシューズを履いているのに、まるっきり小学生みたいだ。
彼女は父親と同業の、別の会社に勤めていた。彼女はそこで、「不正とは言いきれないものの、少なくとも個人的には倫理にもとると感じられる業務内容」にたずさわらなければならなくなった。そこで彼女はそのようなやり方を必要としない職場を探し、先月づけで転職した。
父はそれが気にくわないのよ、前の会社のほうがブランドイメージが高いし、それに、私が辞めた原因がいやなの、倫理にもとると思われる業務なんて会社勤めをしていれば必ず遭遇するものであって、それがいやで辞職するなんていうのは世の中を知らなさすぎるお嬢さんの姿勢だと、こういうのね。
彼女はいつもより早口で言う。ずいぶん怒っているみたいだ。
そりゃ私がただ「なんか汚いっぽくていやだから辞めた」っていうならそう言われてもしょうがないよ、でも私はちゃんと次を見つけてから退社した、次に納得のいく職場がなかったら前のところで働いてた、私は私の考えにしたがって現実的に動いてるのに、それを見てくれない。
彼女は言いつのり、私はその隙間にコメントをはさむ。でもおとうさんとしてはちょっとあやうい感じがしたのかもしれないね、次の会社でも類似する出来事はあるかもしれないって言いたかったんじゃないかな。
彼女はふんと鼻をならした。違うね、その要素も少しはあるかもしれないけどそれがメインじゃない、あれはただ私を叱りたくて叱ってただけだよ、なんでかっていうとおとうさんは一つの会社に尽くすのが善だと思ってて、だから転職した私にむかついてるんだ、でも今の世の中でそれを主張するわけにもいかないから別の理由をつける、理不尽だよ。
おやまあと私は思う。そこまでわかっているのなら許容してあげたらいいのに、それともおとうさんにはもっと偉大で、公平で、先進的であってほしいのかな、それは無理だよ、と思う。でも口には出さない。彼女みたいな「父の娘」に言えることではない。
彼女は言う。
世間知らずはどっちよ、おとうさんの知ってる社会って、つまりおとうさんの会社のことでしょう、ほかの選択肢があることを知らない、知ろうとしてこなかった、世間知らずは、おとうさんのほうじゃないの。
私はもう一度、おやまあ、と思う。いいのかしら、そんなことを口に出して自分の耳で聞いて他人に話して返事をもらって、そんなことを続けていたらあなたの中でおとうさんがただの人になって、ファザコンがなおっちゃうよ。そう思う。でも言わない。