傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

愛の条件

何人かでお酒をのんでいて、誰かが「今より太ったら別れるって言われちゃった」と言った。みんながそれに対する感想を述べた。おおかたは「条件つきの愛情はきつい」という内容だった。
すべての愛情は条件つきだよとつぶやく声が聞こえた。すぐ横にいた私が首をかしげると、彼女はちょっと私を眺めてから言う。それじゃああなた、あなたの好きな人がね、目の前でしゅるしゅると机に変身したら、今までとおんなじように好きでいられますか。
私はびっくりしてこたえた。机になってしまったら私の好きな人じゃないよ、というか、端的に人じゃない、机はだって、スチールとか合板とかでしょう、脚なんか四本あってすごく細いし、触っても冷たいじゃない、話もできないし。
彼女は、じゃあ片方ずつ取りだそう、と言った。そして生真面目な顔で、目の前のテーブルの上の空気を指さした。ここに水槽があるとする、なんかチューブ的なもので酸素とかいろいろ送られてる、その中に脳がいっこ浮かんでる、あなたの好きな人の脳ね、かたわらのコンピュータが脳波を読みとって合成の音声を発する。やあ、愛してるよ、ハニィ。
私は動揺し、脳だけじゃ今までと同じではいられないとこたえた。対象の近辺にいられないのとどう違うの、と彼女は重ねて質問した。違うよと私はこたえた。接触や視認の可能性がなくても、感情の前提として相手には身体が必要だ。そう説明すると、彼女はよろしい、というふうにうなずいて、それから続ける。
じゃあ次は、からだだけあって意識がなかったらどう。彼女は泡盛をロックにしたグラスをからから回しながら言い、私がこたえる前にたたみかける。性格ががらりと変わったら。性格が徐々に、でも正反対に変わったら。あなたにだけひどくつらくあたるようになったら。あなたが激しく嫌悪する類のことば遣いしかしなくなったら。
私は両手をひろげて、了解、愛情は条件つきです、と白旗をあげた。彼女は軽くうなずいて矛をおさめた。ねえところで、なんで最初の仮定が机なの。そう訊くと彼女は、最初にこの種の思考実験をしたときに「おかあさんが机になったら」と思ったからだね、とこたえた。いくつの時と重ねて訊くと、六歳、ちなみに水槽の中の脳はもっとあと、ものの本に出てきた、と言う。道理で、と私が相槌を打つと、眉間に皺を立てて首をかしげるので、水槽のほうがずいぶんとまともだから、机はあまりに突飛だよ、そしてとてもいい、と私は説明した。そうかなと彼女は言った。
そういうことを考えたきっかけは覚えてる、と訊くと、彼女は覚えてる、と即答した。ほんとうに好きであるというのはどのようなことか考えてたんだよ、童話には永遠の愛というのが出てくる、お姫さまと王子さまのあいだに交わされるやつ、純粋な愛、永遠の愛、絶対の愛、そんなのどういう種類の感情かぜんぜんわからなかった、「何があっても好き」の何を、机になっても、というところから想像するしかなかった、私は、そんなもの持ってないと思った、今でも、持ってないと思う。
ロマンティックだね、と私は言う。今でもその仮定を使って愛の絶対性について考えるなんて、すごく、ロマンティックだと思うな。私がそう言うと彼女は、ロマンの定義が少しおかしい、と言った。あきらかに照れていた。