傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

姿勢と感情

そのころの私には、つま先から頭のてっぺんまでたちの悪い疲労がひたひたに満ちていた。さまざまな種類の、不可逆的に関与しあった、発酵してなにかもっと邪悪なものになりかけた疲労だ。疲労と私のあいだには境目がなく、疲労が私の実体であるように思えた。どうにか仕事をして自宅に帰るなり、玄関にへなへなと座りこんでしまう。眠って目がさめると息がつまって苦しく、しゃくりあげながら身支度をする。
交通事故にあっても、運が悪いと思わなかった。それが不幸であるということがうまく理解できないのだ。折れた骨がつながっても、とくに感想を思いつかなかった。
その日は陽ざしが雲をさいて地上に落ちてくる夏のはじまりで、予定も義務もひとつもない、美しい土曜の午後だった。でもそんなことは私には関係がなかった。
電話が鳴った。ずいぶんと会っていない知りあいだった。彼女は言った。こんにちは、急にごめんね、事故にあったって聞いたものだから、心配になって。
どうもありがとうと私は言った。でも大丈夫、もう骨もつながって元気、それに折れたのは鎖骨で、手も足も使えるから、そんなに不自由じゃなかった。
ありがたいとは思わなかった。それがどういう感興なのか、そのときの私にはわからなかった。私はただ頭の中から定型文を引っぱりだして、それを口から出力していただけだ。自由とか不自由とかいうことばの意味も、もうひとつぴんとこなかった。そのときの私にぴんとくることなどひとつもなかった。
ねえ今っておうち、と彼女は訊いた。おうちにいて座ってるんだったら、ちょっと立ってみない。
私はとくに何も考えていなかったので、言われた通りにした。立つともっと疲れるなと少しだけ思った。そうそう、それでね、ちょっと、外に出て、歩いてみない。歩きながら話したいの。電話の向こうの声はそう言った。
私はやっぱりなにも考えていなかった。断るのが面倒で言われた通りにした。私は携帯電話を耳にあてたまま、なにもない町を歩いた。そのあいだ、彼女は自分の近況を話した。
気がつくと景色が変わっていた。そこには芽と葉のあいだくらいのやわらかな緑をしげらせた生け垣があり、水たまりを残したアスファルトがあり、そこに落ちる黒い影があった。私は筒のような麻のワンピースを着てサンダルをはき(そのころはからだをしめつけるものがひどくつらく感じられた)、うっすらと汗をかいていた。膝の裏をスカートの裾が撫でていた。私はいつのまにかそのことを認識していた。景色は書き割りではなく、皮膚は厚いビニールではなく、指は他人の指ではなかった。なにかに触れることができる私の指だった。私はそれを広げて見つめた。私はたしかな実体としてそこに存在していた。
電話の向こうの声がどうしたのと訊いた。なんだかいい気持ちがする、と私はこたえた。よかったと彼女は言った。私ねえ気分を変えたいときに歩くんだ、何もしなくていいときに何のためでもなく歩くのって実はすごく気分が良くなるんだよ、座ってるときと立ってるときと歩いてるときと寝そべってるときと、考えることはみんなちがう、私そう思うの、だから歩いてみてって言ったの、おうちで座ってるときと違う気持ちになってほしかったの。
そのできごとの後も長いこと、私の景色はしばしば書き割りだった。たちの悪い複合的な疲労はなかなか私のからだを去らなかった。でも私は長いことかけて、いろんな人に助けてもらって、少しずつそれを除去した。あるいは手なづけた。私は今でもときどき、何のためでもなく道を歩きながら、誰かと話すようなつもりでものを考える。

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