傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

嘘の副作用

仕事で嘘をつくから、ちょっとつきあってくれないかな。そう言われて休日に中古車を見にいった。彼は中古車屋の店主と話し、乗用車についてあれこれ訊いて、にこやかにそこを出た。
覆面でさまざまな商品の調査をするのが、彼の仕事だ。中古車のあとはハイブリッド車と軽自動車をみて、それから海外の車がぴかぴか光っているショールームを訪れた。
これでおしまい、と彼は言った。私はため息をついて、見てるだけで疲れちゃったよ、と訴えた。だって、嘘ばっかり平気でしゃべってさあ。
彼はいかにも愉快そうに、そういう仕事だからね、と言った。嘘つきを見るだけではらはらするというのはいいことだよ。善良でとてもいい。
私は後学のために、嘘にはなにかコツがあるの、と訊いた。彼は気前よく解説してくれた。
他人は僕の言うことが真実かどうかなんて、そんなに気にしていない。嘘だとわかったところで、車を売っている人たちは腹を立てたりはしないと思う。彼らが不愉快な思いをするような言動をとらず、彼らの仕事を遮断するおこないを避ければいいだけなんだ。彼らの弁舌にしたがって、たとえば「お仕事で運転されるんですか」という問いにイエスと言ったほうが必要な情報が出てきそうならそうする。それだけだよ。落ち着いて善良そうな顔をしていれば、言っていることはたいていほんとうに聞こえる。
嘘が好きなの、と私は訊く。好きだねと彼はこたえる。誰だって誰かのふりをするのが好きなんじゃないかな、僕はそれがとくに強いんだ。
でもそれってなにか、よくない副作用があったりしない、と私は訊く。彼は少し考え、たとえば僕は車を持っていないんだけど、と説明をはじめた。
実用品としては必要を感じないんだ、だって移動には電車やなにかがあればじゅうぶんだから。もしもっとお金があったら、見ているだけでうっとりするようなきれいな機械がほしいと思う。今はそこまでお金がないからべつにいらない。これがもともとの僕の姿勢。
私はうなずく。彼は続ける。
でも車を買う人のふりをし続けていると、なんだかもう買っちゃったような気がしてくる。とても燃費のいい中古の乗用車を、いもしない奥さんの買い物用の軽自動車を、高速道路にさえ過剰な速度が出せるスポーツカーを、かわいらしい外見をした玄人好みの外国車を。
そんな気がして、そしたらどうなるの、と私は訊いた。彼はまた少し考えて、それからこたえた。そのどれでもない僕自身がよくわからなくなってくる、ついた嘘のうちどれでもない僕こそが、いちばん嘘っぽく思える、もちろんほんの時折、ほんの一瞬だけだけれど。

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