傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

偶然が好き

歩いているとチラシを配る人がいた。マンションを買いませんかというようなことを言っていた。
私はその人の横を通りすぎてから、ねえ道ばたで呼び止められてマンションを買う人っているのかな、と訊いた。「ふむふむ、この立地で坪単価百五十二万円ですか、悪くないですね、よし、買いましょう」とかって。
彼は少し考え、ごくたまにはいる、とこたえた。なにかで読んだよ、そうやってマンション買っちゃった人の話。べつにお金が余っててしょうがないというわけでもなかったのに、なんだか買っちゃったらしい。いくらなんでもそのころの自分はぼんやりしすぎていた、とか書いてあって可笑しかった。
そういうの好き、と私は言った。稀な話ではあるんだろうけど、なんだかやけにリアルだよ、実話だからリアルで当たり前かもしれないけど、個別にリアルというよりは、そういう人がほかにも何人もいそうな、うっすらした一般性を感じる。
そうだねと彼は言った。この世にはわりといるんだよね、大事なことをよく知りもしない相手にすすめられてあっさり決めちゃう人が。自分のことを振り返っても、どうしてあのタイミングであれを決めたんだろう、みたいなことってあるし。めんどくさいからかもしれないし、なにかに取りつかれた状態だったのかもしれない。あるいはそのことについてあまりに深く考えてしまって、たしかな判断材料が見つからないからそこらへんの人に投げちゃいたい、と思いつめたのかもしれない。とにかく、人がなにかを決めるときって、往々にして合理的じゃないんだね。いつも合理的な、立派な人もいるにせよ。
自分が論理的に行動できない人間だかもしれないけれども、私はときどき唐突に変な基準でものごとを決めてしまう人のほうが好きだ。いつもそんなふうではもちろんまずい。でもときどきに不合理になるのは、むしろ自然なことのような気がする。偶然を呼びこむことが必要な場合もあるように思う。合理的な判断が常に正しくてたまるものかと、そうも思う。人生がつねに論理だか合理だかでコントロールできるような代物であってはいやだと思う。
私がそういう意味のことを話すと、彼はふたたびそうだねと言った。僕も偶然は好きだよ。