傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ほんとうが見えない

彼女は科学者で、でも辞めるという。
どうして訊くと、ほんとうのことが見えないから、と言う。
ほんとのことが知りたくて、彼女は科学者になった。
彼女はもちろん、科学が細密に積み上げられた大量の仮定でしかないことを知っていた。でもそれを続ければその先にほんとうのことが見えるはずだと思っていた。ほんとうのことに掛かる梯子の一段になること。それが彼女にとっていちばん美しい人生だった。
でも辞めるという。重ねてどうしてと訊くと、妥当性の水準に疑問を持った、という意味のことを、彼女は語った。
妥当性の水準というのは、学問ごとに共有されている、「これとこれを満たしていればほんとうだ(または、価値がある、あるいは、差異がある)ということにしますよ」という目印みたいなもののことだ。自然科学ではおおむね、それをクリアするための手続きが決まっている。
水準は人工的なものだから、疑問を持っちゃうのも、まあしょうがないよね、と私は言った。それに、人間のすることだから、そんなにばっちり妥当なデータばかりが提出されるわけじゃないし。むかし科学技術論の講義でそうだって聞いたよ。
そう言うと彼女は苦笑して、理系の人間はそんな底意地の悪いこと考えないんだよ、もっと素直なの、と言った。
私はふんふんとうなずく。理系の人間がどうかはともかく、彼女はとっても素直だ。青いものを見れば青いねえと言い、きれいなものがあればきれいきれいと喜ぶ。その様子はほとんど小さい子みたいで、私はときどきうろたえてしまう。
私、あれがほんとうのことに続いていると思えない、と彼女は言った。
こんなことしてなんになるのと思ってしまった。業績リストに一行加えるために重箱の隅をつつくような研究をして、それがなんになるのって。ねえ、こんな仕事、ほんとうのことが見えなかったら、もうおしまいだよ。幻想でいいから、見えないと駄目だと思った。やりたいことやれて、私たのしかった、でももういいの。
私はまた、こくこくうなずく。
彼女も、うんとうなずく。
彼女はそれから、でもさみしいな、とってもさみしい、とつぶやいて、少し泣いた。