傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

琥珀を削る仕事

 学生時代にときどき、出版前の原稿に赤ペンを入れるアルバイトをしていた。最初は誤字脱字の修正を頼まれて、そのうち用語の統一や読みやすさに関する提案も入れるようになった。自分の専門に近い(いかにも売れなさそうな)書籍について、誤字脱字の修正をし、あるいは助詞や時制の訂正提案をおこない、文章のうつくしいところにコメントを入れてそれを損なう要素を削る。それをなんと呼ぶのか私は知らない。校正というのはもっと厳密で隙のないものだろう。読みやすさのためのコメントなんかしないだろう。専門用語の統一なんかは校閲といってもいいのかもしれないけれども、その適切さを担保する資格は私にはなかった。だって、ただの大学生だ。

 あなたは安いから、と、そのアルバイトを回してくれる会社の人が言っていた。あなたはね、日本語がなかなかおできになる、そうして学生さんだから安くて便利です。ありがとう。お金を払いましょう。

 私はうれしかった。私が安くて、便利であることが。だって、私の仕事が発注者にとって安いのは、私にととって苦ではないことがお金になって、同じ時間で他の人よりたくさんできるということだから。

 学生時代の私は、始終いろんなアルバイトをして、手を伸ばせば天井に届くトタン屋根の納屋に住み、野菜が高騰したら川の上流に出かけて野草を摘み、そうしてとても、贅沢な若者だった。生きて学ぶお金だけが欲しかったのではなかった。服とか買うのだし、それでもってちゃらちゃらと着飾ってデートをするのだし、年に一度は古着を駆使した完全なフォーマルでクラシックのコンサートに行くのだった。ちょっと元気がなくなると、鏡を見て、綺麗だね、と自分に言ってあげた。綺麗だね、可愛いね、とても素敵だね。もちろん、特別に綺麗でも素敵でもなかった。そんなことは知っていた。知っていて言うのだ。

 友だちや恋人や、そのほかさまざまに親しくしたい人との時間にも、不自由は感じなかった。コンビニエンスストアで缶ビールを調達して大学の隅で乾杯するのもいい。河原でワインボトルをあけるのもいい。たまには張り込んで大人たちのいるお店に行くのもいい。誰かの家でもいい。私の住んでいた納屋でさえ、親しい人たちは誰も悪く言わなかった。私が網戸の穴を縫って塞いだのに気づいて指でなぞり、いいね、と言ってくれた人もいた。縫い目がちゃんと四角形をしている、と。私はうれしかった。

 あのさあ、恥ずかしくないの。そう訊かれたことがあった。私の経済状況や生活ぶりを恥ずかしいと定義する人のいることを、二十一の私だって、いくらなんでも知らないのではなかった。知っていて、けれども、理解する気がなかった。そんな質問で傷がつくプライドが、もしも自分にあるとしたら、今すぐドブに捨ててやる。そう思った。

 珍しいですね。

 恥ずかしくないのかと訊かれた話をすると、仕事をくれる会社の人はつぶやいた。マキノさんは要らない部分を一瞬で削るから安くて早くて上手いのに。あのね、削りなさい、そんな質問をする人間に関する記憶は。

 私、もしかして、必要なものも、削っていやしませんか。たとえば、健常なプライドとか。そのように尋ねると彼は鼻で笑った。彼がどういう人かはほとんど知らなかった。文章の仕事をくれる会社の「嘱託の年寄り」と名乗っていた。カタカナ語の発音がカタカナではなしに綺麗な英単語であって、おそろしく痩せた、指の長い人だった。

 ええ。マキノさんはときどき、必要な部分まで削っていますよ。そんなのはわたしが、あなたの赤ペンの跡を消せば済むので、問題はない。彼はそう言い、そうですか、と私はこたえた。

 彼が納品のときにいつも出してくれるコーヒーは美味しくなかった。コーヒーという体裁だけを整えたような代物だった。私は贅沢な若者であったから、まともなコーヒーがどんなものか知っていた。私のアルバイト発注者はそのコーヒーもどきの入った、古くて大きい、どこかの遺跡から出土したのじゃないかと私がいつも思う、こまかい罅模様の入ったみどりいろのカップを持ち上げて、言った。

 削りどころをちょっとでも間違ったら大損するような、ダイヤモンドみたいな人生なんか、目指すものじゃありませんよ。マキノさんはね、その中に含まれる傷や不純物がうつくしく見えるような、趣味よく削られた琥珀みたいな、そういう成果を出してくれたから、わたしたちの会社は、安いなりにあなたにお金を払ったんだ。できればこれからもそのような仕事をしてください。あなたがもうすぐ学生でなくなって、文章の仕事をしなくなったあとでも。