傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

愛のもたらす具体的な効用

 痛み止めを使えばすべての痛みが取れるのだと、ぼんやり思っていた。市販薬ならいざしらず、入院して病院で入れてもらうような痛み止めが効けば、苦しくないのだろうと。でもそうじゃないみたいだった。考えてみれば当たり前のことだ。解熱剤があれば熱が出ないのではない。安定剤を使えば安定するのではない。
 けがをして苦しそうな夫を見ながらそんなことを考えた。わたしの共感の能力はあまり高くない。目の前の親しい人が苦しそうだからといってずっと苦しい気持ちになったりはしない。最初の三十分を過ぎたらなんとなしに慣れて、わりと日常的な感覚になる。夫のけがは命に別状のないもので、応急措置も済んだのだから、よけいに平常心だ。
 わたしは驚くほど、親しい人と心をひとつにせず、親しい人の役に立つことがない。愛とかってあんまり役に立たない、というのがわたしの意見だ。愛はすてきだけど、地球を救わない。というか、たいていのものごとを救わない。わたしは夫がけがをしても、ただ手を握り、声をかけ、あたりさわりのないところをそっと撫でることしかできない。それはわたし自身のためにしている行為だ。役には立っていない。
 夫が目をひらく。わたしはちょっとほほえむ。夫もほほえもうとしたようだ。それからなにか言う。耳を近づけると、わたしの名を呼んで、言う。大好き。
 わたしは驚く。夫はふだんから臆面もなく愛情表現をするタイプだけれども、それにしたって交通事故で病院にかつぎこまれてもうろうとしながら口にするせりふではない。そのように驚いているのに、わたしの喉はいつもと同じ返答をいつもと同じように、する。わたしも、あなたが大好き。
 夫の顔色が明るくなった。呼吸が深くなった。わたしはまた、驚いた。その日、カーテンで仕切られた病室の、うす明るくあいまいに閉じた繭のような空間のなかで、同じやりとりが繰りかえされた。大好き。大好き。
 まるで治療薬のようでした。やりとりすると都度、痛みが減っているように見えるのです。わたしがそのように報告すると、姑は首をかしげ、両のてのひらをあわせた。そうすると指がやわらかに、羽のようにしなる。夫には遺伝しなかった、美しい関節だ。その指先をおとがいに当てて、姑が言う。あの子はその「治療薬」を、たしか三歳のときから知ってるの、大好きな人に大好きと言われると身体の苦痛が減るということを。
 子どもってよく熱を出すでしょう。熱が出て苦しい状態でがまんしなくちゃいけない時間がけっこうあるのよね。楽になりそうなことはだいたいやって、薬もそれ以上はのまないほうがいい状態。そんなときに枕元にいると、あの子は言うの、ママ大好き、って。最初は寝ぼけてるんだと思った。
 でもね、何度も言うの。断続的に言う。寝ぼけてるだけの発言じゃなかった。大好きって言われてママも大好きってこたえると、熱がすこし下がるんだもの。下がっているように見えるし、あきらかに楽になっている。あれはどういう現象なのかしらね、誰にでも起きることなのかしらね、誰にでも起こりうることだって気がするわねえ、程度の差はあるでしょうけれど。あの子はそれを経験的に知っていて、だからママ大好きって何度も言ったんだと思うのよ。熱を出すたびにね。なつかしいわ、いつから言わなくなったのかしら。中学生くらいから熱を出してもうるさがって看病させなくなったのよねえ。今でも言うなんてねえ。かわいいわねえ。面倒かもしれないけど、できたら相手してやってね。たまのことだから。
 知りませんでした、とわたしはこたえた。あの人が三歳のときから知っていることを、わたし、三十の今まで、知りませんでした。大好きって言われるだけじゃきっと片手落ちなんです。大好きな人に大好きと言って、そうして言われるのが、いいんだと思う。あの人はそんなむつかしいことを、たったの三歳で、よくも会得したものです。保育園で教えてもらったわけでもないでしょうに。わたし、ちっとも知らなかった。愛は最高だけど具体的にはあんまり役に立たないと思ってた。きれいな置物みたいなものだと思っていました。きらきら光る石みたいなものだと。
 姑は笑い、それからてのひらをほどいて、わたしの肩に触れた。役に立つわよ。愛はね、すごく具体的に、役に立つものなのよ。解熱剤みたいに。痛み止めみたいに。心配しなくても、あなただって今までにもきっと人の役に立てたり、人からもらったりしてきているはずよ。