傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

あの島

 十代のころから肩と背中が凝る。学生時代、何をしたら治るだろうかと訊いて回ったら、鍼灸をやっている人から、若くて動けるんだから指圧も鍼も灸も後まわしで運動しろと言われた。動かしてほぐす、腕を回せ、腕を。運動歴は?中長距離か、それなら水泳かな。腕を回す運動のなかでいちばんラクだと思う。クロールができない?覚えろ。
 泳ぎは得意ではなかった。けれども、ひとりでやるぶんには上手でなくてもべつにかまわないのだ。大人なのだから。私はだらだら泳ぐのはそんなに嫌いではないとわかった。中高生の時分から体育会系の部活では浮くくらい根性論に縁がなくて、大会で勝ちたいと思ったこともなかった。出ろと言われたら出て都大会の最初で負けてたいして悔しくもなく、闘争心にあふれた少年少女たちを眺めてすごいなと思っていた。そんなだから、自分を追いこむような運動をしたことがない。ようよう覚えたクロールも、教えた人から「優雅だね」とあきれられるようなゆったりした速度でしかしない。
 公営プールにはときどき強制的な休憩の時間が入る。私はその時間割を覚え、最低でも一時間は続けて泳げるように、時間帯を決めて行くことにした。疲れない程度にだらだら運動していると三十分くらいで気持ちよくなってくる。その後は疲れるか飽きるかするまで邪魔が入らないのがいい。
 そんなわけでなんとなしにプールへ行く曜日と時間帯が決まった。みんな似たようなものなのか、顔見知りも幾人かできた。文字どおり顔を見知っているだけだ。私たちはたがいに干渉せず、ひとりずつ泳いでいた。
 だから彼女は例外だった。独特の美しいフォームが印象的な老女で、彼女が前にいるのはラッキィな日なのだった。ペースが変わらず、追い越す必要も追い越される必要もない。
 とても長く泳げるのねえ。ロッカーの、私からみて三列先の、私の二段下を使っていた彼女が、たいそう自然にそう言った。前から知っている人みたいだった。長くしか泳げないんですと私はこたえた。速く泳ぐと疲れちゃって。疲れるの嫌いなので。彼女は眉を上げ、それから私を見上げて、華やかに笑った。きれいなおばあさん。私はぼんやりと思って、言う。フォームがきれいでうらやましいです、いかにもこなれていらっしゃる。
 ざっと七十年は泳いでいますから。私はまじまじと彼女を見て、生まれたときからですか、と訊いた。彼女はころころ笑ってこたえた。お若い方には年寄りの年齢なんかわからないわよね。今年で八十一になります。
 昔はね、プールなんかなくて、海で泳いでいました。私は瀬戸内の生まれでね、近くの大きい町にお嫁に行くまでは海辺で暮らしていたの。主人の転勤で引っ越して、海がないからプールで泳いでいるのよ。このプールができたのは私がいくつのころだったかしらねえ。主人はもういないけれど、向こうにはもう知っている人もろくにいないから、ここにいるの。
 それ以来、プールで見かければ会釈し、ロッカールームで顔をあわせるとちょっと話をするようになった。ある日、彼女は言った。あなたはあの島まで泳げるわね、きっと。
 彼女の生まれ育った家の近くの浜からは小さい島が見えた。すぐそこにあるように見えて、目指してみると意外に遠い。そこまで泳いで戻ってくることができたらたいしたものだと見なされていた。子どものうちにそれができたら、たとえそれまで軽んじられていたとしても一目置かれる。女の子でも文句なしに海で遊ぶことができて、男の子たちから邪魔にされたりなんかしない。
 その島まで泳いだんですか、と訊いた。ええ、と彼女はこたえた。得意そうだった。私は拍手をした。彼女はちょっと胸を張って、それからはにかんだ。日にやけた少女の顔がちらりと見えた。それ以来、泳いでいるとときどき、脳裏に島があらわれた。なにもない無人島だった。美しい島だった。
 あれから十数年が過ぎた。彼女と同じプールで泳いだ町を離れてずいぶんになる。仕事の都合でその町を通ることになったから、水着を持って行った。仕事を終えてたどり着いたのはちょうどあのころと同じ時間帯だった。
 彼女はいなかった。当たり前のことだ。
 私は泳ぐ。相変わらずゆっくりと、誰とも競争せず、タイムも取らず、ひとりで泳ぐ。やがて頭のなかに架空の海の光景が広がる。あの島、と思う。島のほうから、少女が泳いでくる。私はうなずく。彼女もうなずく。一瞬だけ、私たちは隣りあわせになり、すぐにたがいを背にする。振り返ることもない。けれども彼女は私に「あの島」を残した。十年経っても消えなかった。たぶん彼女の年齢になっても、消えることはないだろう。