傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

新しいから傷つける

友だちの家のPCの動作がおかしいというので見にいった。だいぶ古くて起動に十分もかかる状態だったので、さしあたり彼女が必要としているDVDの再生ができるようにクリーンインストールすることにした。
彼女の仕事用の携帯電話が鳴り、彼女は私にことわって出た。はい、いつもお世話になっております。いえいえ、はい、なるほど、担当がそのようなことを申しましたか。
彼女は五分ほど電話で話しつづけた。ほとんどは相槌だった。いろいろな種類の、さまざまな重さの、一定以上の温度を保った相槌だ。彼女はそのあと、仕事にしてはいささか親しげに短く笑って、いいえ、いいんですよ、と言ってから電話を切った。
私はBIOSを確認し、それを覗いた彼女はなんだか怖そうな画面、とつぶやく。怖くないよ、これはWindowsの下に入っているソフトなんだよと私は説明する。
ディスクがかりかりと音をたてて書きこみをはじめる。私は彼女の出してくれた冷たいお茶をのんで訊いてみる。ねえさっきの電話、あの相手って、おじいさんかおばあさんでしょう。
彼女はちょっと目を大きくして、そうそう、おじいさん、うちのチームで扱っている物件のオーナーさん、と言う。彼女の仕事は不動産の仲介だ。土地や建物を持っている人たちからそれを預かって管理を請け負い、誰かに貸す。
おじいさんは彼女の会社のやり方に納得がいかずに電話をかけてきたようだった。彼女は小さなチームを率いているので、ふだん担当していない相手でもそうやってかけてくることがあるらしい。私ねえ会社で「シルバーキラー藤井」って呼ばれてるんだ、おじいさんとおばあさんの相手が得意だから。彼女はそう言って、私たちは笑う。
なんかこつがあるのと私は訊く。ない、と彼女はこたえる。特別なこつは要らない、彼らの言い分を頭ごなしに否定しないでちゃんと聞いてそれから現状を説明すればだいたいわかってくれる。うちの会社に建物を預けているのは彼ら自身の意志だけれど、でも管理会社なんて彼らの長い人生からしてみたら「後からやってきてごちゃごちゃ言っていろんなことを押しつけてくる連中」という側面もあるわけ。だからね、契約上はこうですって言って押し通すのがいちばん良くない、意固地になっちゃう。
彼らはそれで電話をかけてくるんだけれど、彼らは個別の要求を、たとえば今回だったら自分の指定した業者さんに冷房の修理をさせたいってことなんだけど、それを絶対のんでほしいと思ってるんじゃないんだと思う。彼らが必要としているのは対等と尊重の感覚なんじゃないかな、そうしてそれはちゃんと伝わるものだし、それが伝わればこちらの事情も理解してくれるよ。みんなそんなめちゃくちゃな人間じゃない、ビジネスとして成立しているような内容なら、話せばだいたいわかる。
彼女がそう話すので、私はいたく感心した。なかなかそうは思えないよ、うるせえな契約書よめや、って思っちゃう人もいるでしょう、どうしてそんなふうに思えるの。
彼女は少し考えてから言う。管理会社は彼らにとって新しいもので、新しいものはほとんど必ず人を傷つけるって、私はそう思ってるの、だからかな。
説明を求めると彼女は自分のPCを指さす。たとえばあなたはコンピュータを直してくれるでしょう、直せるからあなたはコンピュータが来たのが怖い人のことをわからないかもしれない。でも「さあ新しくて便利なものが来ましたよ、どうぞ使ってください」と言われた相手は必ず薄く傷つくと私は思う。なぜかっていうとそれは今までの、その人が慣れしたしんできたやり方を否定することになるから。新しいものをもたらす側はある種の権力者だから。新しいものを学習できないかもしれないという不安を与えて、「あなたのはもう古いので捨ててください」と否定するから。
それだから新しいものをすすめる側はなるべくその傷が深くならないように対等と尊重の感覚を持ってもらうようにしなくちゃいけない、だって私たちはべつの場面では傷つく側、古い側、脆弱な側なんだもの。
彼女はそこで話を切り、私がしきりと感心するのに照れて、私おばあちゃん子だったんだよと言った。