傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

みっともなくうろたえたい

最近彼女ができまして、と彼は言った。私はおめでとうと言って拍手をした。
私は他人が誰かと親密になった話を聞くと高揚し、その人の肩をばんばんたたいて、「いいぞもっとやれ」と言いたくなる。祝福の気持ちにしては盛りあがりすぎなので、他人の私生活に関する話が好きなだけなんじゃないかと思う。下世話なのだ。
彼はでも、と付けたした。でも、この年になるとなんだかいろいろスムーズで、ちょっとかなしくもあるんですよ。
どういう意味でしょうと訊くと、彼は言う。
彼女とは仕事の関係で知りあったんですけど、すてきな人だなって思って、連絡先を渡すじゃないですか。で、メールを出したら感じのいいメールが返ってきて、何回かやりとりして、食事に誘う。桜の時期だったから、少し散歩して観たりする。また食事に誘う。「あなたと一緒にいると楽しい」という意味のことを伝えて反応をみる。嫌じゃなさそうだからもうちょっと踏みこんでみる。そういう手順に、もう慣れちゃってるんです。うまくいきそうだなっていうのもわかる。まあ、もう三十すぎてますしね、順当なことではあるんですけれども。
いいことじゃないですか、スムーズなのってすごく大切なことですよ、と私は言う。彼は曖昧に笑って何度かためらってから、ぽつりぽつりと続ける。
こんなにスムーズなのは、彼女のことを身も世もなく好きなわけじゃないからだと思うんです。なんていうか、僕も相手にとって、ただの適切な人材なんだと思うんです。いえ、それでいいんですよ、世の中の大半のカップルはそういうふうにしてくっつくんだし、僕だってそうでした。
私は目で彼に話のつづきをうながす。彼は自分が話しすぎることを気にして途中で切りあげるタイプだ。彼はまた少し間をあけて、それから滞留していた水が流れだすように語る。
以前は僕も相手も、少なくとも必死でした、一生懸命だったし、精一杯だった、どうしていいかわからない場面が多いから、しょっちゅう頓珍漢な真似をしていた。そんなだからこそ、自分たちのしていることに幻想を抱くことができたんです。なにか重大な、美しい事件が起きているように思えました。でも今はそうじゃない、僕らはいろんなことが上手になってしまった、あなたはそれをいいことだって言う、でも僕はそうは思わない、正しい手順で要領よくものごとをすすめるなんてさびしいことです。
運命の恋みたいじゃないのがさびしいんですかと私は訊く。彼は首を横に振る。いいえ、僕はそんなものはないと思います。そうじゃなくて、年をとってみっともなくうろたえなくなったのがさびしいんです。僕はいつもはじめてのように、それをしたいのに。