傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

想像上のカウンター

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのさなかにこの町に引っ越してきたので、しばらくは飲み屋に行くこともできなかった。わたしは働き疲れて小さな居酒屋で小一時間飲んでささっと帰るような日が、けっこう好きなの…

遠い薔薇の日々

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それは何度か繰り返され、行動制限と呼ばれるようになった。先だってそのすべてが解除され、しかし感染状況は相変わらずなので、大勢が集まる場はなんとなく左右を見ながらぬるりと…

恨みの要件

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。何度か出された通達が「いくらなんでももういいだろう」という感じで止まり、いわゆる行動制限が解除されたのがつい最近のことである。 疫病自体はぜんぜんおさまっていないので、相…

恋のような湿度と温度

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから三年、人に会うことに制限はなくなったが、その間についた習慣が消えるのではない。わたしにとってのそのひとつが友人からの通話である。 わたしたちは中年であり、通信量が…

彼女がいちばんきれいだったころ

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから三年ばかり、久しぶりの連絡が増えている。そうして「実はあのころ」という話を、ぽつぽつと聞く。実はあのころ、子どもが不登校になってね。いいえ、中学校に上がったらけ…

利益つきの友情

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。通達は何度かマイナーチェンジしながら繰り返され、近ごろ事実上ゼロになった。「行動制限なし」というふうに呼ばれている。 昔の友人から「行動制限もなくなったし子どもたちも大き…

育ちの良い女の子を見抜く方法

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために恋愛や結婚の相手を探すプロセスも大幅に変化したようである。わたしはいま現在新しく相手を探す必要を感じないが、人生には何があるかわからないのだし、昨今はどうなの…

女に甘い女

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために三年ちかく会っていなかった古い友人から連絡があって、顔を合わせたら、年月では説明がつかないほど人相が変わっていた。どうしたのかと尋ねると、恋愛をしたと言うのだ…

人間でない男

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために友人たちとの集まりも控えていたのだが、近ごろは「いくらなんでももういいだろう」という雰囲気である。疫病以来の帰省、疫病以来の再会、疫病以来の帰国といった話がよ…

僕の目下の男

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから三度目の冬が来て、僕はつくづく「目下の男」のありがたさを実感しているところである。 「目下の男」というのは、僕が特別仲良くしている同性の友人を指す。僕の以前の彼女…

羽鳥先生の静かな正月

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それ以来、盆正月恒例の集まりは基本的にオンライン、ときどき対面というぐあいになった。 恒例の集まり、といっても親戚づきあいではない。大学の先輩後輩三名の集まりである。同業…

敏感な世界に生きる鈍感なわたし

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。弊社ではリモートワークが定着し、勤務先の人々の顔を見る機会が減った。社内に物理的に存在する人間が少ないために、数少ない対面が密室化しやすくなった。そうして、その中で重大…

成長は自動で訪れない

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために多くの学校でオンライン授業が導入されたが、わたしの勤め先の専門学校は比較的早く対面を再開した。 それでも学生たちの生活に影響が出ないはずはなく、休学や退学は増え…

やさしさの出力調整

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために多くの学校でオンライン授業が導入されたが、わたしの勤め先の専門学校は比較的早く対面を再開した。実習なしには成り立たない分野であり、いわゆるエッセンシャルワーカ…

愛されずに育ったが、人生に支障はない

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。 ああ、人がいっぱい死ぬんだ。そう思った。 わたしは平凡な人間である。当たり前に大学を出て当たり前に働いている。 そうしてわたしは退屈していた。わたしは本を読みすぎたし、人…

推しのいない人生

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから二年半、メディアでフォーカスされた消費行動が「推し活」である。アイドルや演劇などの舞台をはじめとしたさまざまな趣味に熱中しお金や時間を使う人々について、おおむね…

通り魔と気が荒くてしつけがなってない犬

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために、以前よりは近所で過ごすことが増えた。わたしは落ち着きのない人間で、疫病前は休みがあれば旅行に出ていたのである。 疫病流行の最初の年、運動不足を解消するためにジ…

死ににくい年代と死にやすい病気

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。いまだそのさなか、わたしはがんになった。 医者はいかにも隠しきれない、うきうきしたようすで、わたしにそのことを告げた。わたしは典型的な文系で、職業もマイナーな言語二カ国語…

見よ、わたしの伯母力を

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにホームパーティもだいぶ減ったのだが、二年半も経てば「そろそろいいのではないか」という感じになる。基準もなにもない、気分の問題だが、わたしが思うに大半の人間は気…

向上心の範疇

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために人と気軽に会う機会がぐんと減り、代わりにインターネット上でのコミュニケーションが活発になった。たとえば学生時代のサークルのグループLINEがそうである。 以前はたい…

たんぱく質と平和と成熟

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。当初は自宅以外でのほとんどすべての室内活動がしにくかったけれど、しばらくするとジムは開くようになった。そうするとヒマだから運動しようという気にもなる。わたしはリモートワ…

泥団子をこねろ あるいは反「言語化ありがとうございます!」

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。異常と思われた状況も三年目、すでに日常である。この間、わたしの趣味用のSNSアカウントにいささかのフォロアーと肯定的なリプライがつくようになった。 趣味のドラマと映画とアー…

洗いたてのタオルのために

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。その後しばらくして増え、いまだ数を減らさないのが自殺である。逃げる道のない者が家に閉じこめられると死ぬ、とわたしは思う。そして寄付などする。 なぜするかといえば、わたしが…

マイ・イマジナリー・アキコ

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから今まで二年半のあいだ、わたしは何度か章子と顔を合わせた。でもそういえば、と章子は言った。「アキコ」の話はしてなかったよね。疫病からこっち、アキコはどうしてる? 章…

わたしのお姉ちゃん

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために海外在住の姉は気軽に帰国しなくなった。「しょっちゅう行き来するのは不経済だしねえ」と姉は言う。そのこと自体はさみしく思わない。わたしも語学留学や夫の仕事の都合…

わたしの妹

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしはその前から仕事の拠点を海外に置いていて、頻繁な帰国ができなくなった。そのためにこの三年ほどで妹との物理的な距離ができた。以前は何かというと会っていたのだ。 そうし…

ナナフシとモブと圧倒的美人

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために弟は帰省を自粛していて、今年はじめて、お盆の時期は避けて両親の住む家に戻ってきた。わたしは両親と同じ関東に住んでいるから何度かこっそり帰省していて、だから両親…

ふたり狂い

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから半年でわたしの部下のひとりの様子がおかしくなった。部下といっても年次も近く、長年の友人でもあったから、わたしはたいそう心配した。でも彼はしだいにわたしの仕事を非…

いなくなったあの人のこと

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから二年半、わたしの会社からは何人かがいなくなった。転職や定年退職はカウントしていない。職場を変えるのではなく、ただ辞めた人の数である。 このところ疫病の感染状況はま…

疫病罹患日記

疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから二年、夫が罹った。 夫は近所の病院に片っ端から電話をかけ、「うちでは無理ですが、○○医院ならあるいは。お約束はもちろんできませんが」「うちだとかなり待ちますし週末は…