傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

JR両国駅前24時30分の和平

 わたしはあたたかいラーメンを待っていた。両国には商業施設もあるが、お隣の錦糸町よりは繁華でない。終電近くの時間帯に駅前のラーメン屋に入るのはだいたい帰途にある住民である。そんなだから、見知らぬ者同士ながら、店の中には何となく連帯感が漂っている。わたしの隣の席の白髪の男性はラーメンに半チャーハンをつけてむっしゃむっしゃ食べている。斜め向かいの青年はビールだけを飲んでいる。ほどなくわたしのラーメンが来た。わたしの丼を置いた女性店員はそのまま別の客の会計に行った。

 おい、どうしてくれんだよ。

 会計をしていたスーツ姿の男性が怒鳴った。おまえこれどうすんだよ、ぼったくりじゃねえかよ、え? ああ? おまえどう責任とんだよ、え? 俺の日本語わかってんの? おまえみたいなのに日本のカネさわる資格なんかねーんだよ、てめえ、店員呼んでこい、店員、てめえじゃ話になんねーの、ちゃんとした人間の店員呼べよ、ワカリマスーカー? 

 東京の下町はたいへん治安がよい。たまに酔っ払いがそこらへんに落ちてる。したがってわれわれ地域住民は酔っ払いへの対応をよく知っている。店内を視線が行き交う。怒鳴られている女性店員は日本語名の名札をつけているが、おそらく海外の出身である。

 カウンターの反対側にいた中年女性が怒鳴っていた男性の前に立った。彼女は男性が怒鳴り始めてすぐ移動し、男性の斜め後ろに陣取って男性を見ていた。財布を手にしてにこにこしている。いい笑顔である。怒鳴っていた男性はややトーンダウンし、てめえ、何、みてんだよ、と言った。お会計まちでーす、と中年女性は言った。

 人間のうち鬱屈を抱えた者のさらに一部は、酔っ払うと人にからむ。からむ内容はだいたい普段から腹に据えかねていることである。このスーツ男性はおそらく外国人が嫌いなのである。でもいくら酔っていても、「自分には不当なところがある」という意識があれば、人目を意識した段階で矛をおさめる。だからこの中年女性が会計にかこつけて「見ているぞ」というパフォーマンスをやったのは正しい。

 男性の店長がさっと出てきて、怒鳴られていた女性店員を背後に下げる。店長も案の定酔っ払いの取り扱いに慣れており、威圧的な口調の男性に対して卑屈にならず上手に状況を聞き取って、きっぱりと「警察を呼びましょう」と宣言した。

 スーツ姿の男性が店長に迫った。するとカウンターでビールを飲んでいた青年が絶妙なタイミングで野卑な声を放った。おっさん、うっせえんだよ、さっきからよお、やんのかよ。

 店長に暴力を振るったらスーツ男性は傷害罪になりかねない。「やんのかよ」と怒鳴った青年はだから、店長だけでなく、スーツ男性をも助けたのである。青年はいかにもガラの悪そうな格好でオラオラした空気感を出している。目がぜんぜん怒っていない。完全にわかっていてやっている。

 普通の酔っ払いならこのくらいの介入があれば捨て台詞を吐いてラーメン代おいて帰る。しかしスーツの男性は血走った目でスマートフォンを取り出し、みずから110番した。どうやら通報される側ではなく、通報する側に回ろうとしたらしい。最寄りの交番や警察署じゃなくて110番にかけたらよけいおおごとになるのに。

 スーツの男性はレジの前から動かない。わたしはラーメンを食べ終える。怒鳴られていた店員が回ってきたので、大きな声で「ビールをください」と言う。さっきオラオラ感を出していた青年も「ビール、おかわり」と言う。「ことがおさまるまで、自分たち、ここにいますんで」という宣言である。最初にレジ前でファインプレーをやった中年女性はパフォーマンスの都合上お会計して帰ったので、残りはわたし、隣の席の白髪の男性、そしてオラオラ青年である。

 警察がやってくる。さすが110番、たかが酔っ払いひとりに警察官四人体制である。二名が酔っ払いを連れて店の外に出る。店長がそれについていく。よろしければ、と警察官がわたしたち客に向き直る。わたしは外の酔っ払いに聞こえるよう、大きな声で言う。はい、わたし、証言します。隣の白髪の男性も言う。ああ、わたしも証言するよ。

 わたしたちは酔っ払いがレジ前でごねてヘイトスピーチを展開したこと、物理的暴力には至らなかったことを説明した。あとは警察の仕事である。白髪の男性が店員に会計をたのみ、それから英語で「もしかしてミャンマーのご出身か」と尋ねる。女性が頷き、ふたりはわたしの知らないことば(たぶんミャンマー語)で楽しげに話す。わたしもお会計をして、ごちそうさまでした、と日本語で言う。

彼女は私をゴミみたく捨てる

 人間が精神的に乱れるのは思春期にかぎったことではない。人生の中で何度か起こりうる。そのときはできるだけいろんなリソースを使って立ち直るのがよいと私は思っている。だから昔の友人知人が連絡してきて不安定なようすであった場合、できるかぎり力になろうと思っている。

 私だっていつ失職したり病気になったり災害に遭ったりするかわからないのだし、そうしたらきっと精神がだめな感じになるだろうし、そのときはまわりの人がきっと助けてくれるだろうから、そのぶん自分が健康なときには人を助けておきたいと、そういうふうに思うのである。人間の精神はそんなに丈夫ではない。だめになるときはなる。だめになるかならないかは持ち回りみたいなもので、いま私の精神がそこそこ健康に機能しているのは「たまたま」である。

 彼女から連絡が来たのは三ヶ月ほど前のことだった。十年ぶりの連絡だった。彼女と私は学生時代の英語のクラスが一緒で、在学中はけっこう仲良くしていた。ほがらかで英語の発音がよくて身ぎれいな女の子だった。在学中からつきあっていた彼氏と結婚して、私は二次会にだけ呼ばれて行って、お祝いをしてきた。そのあと子どもが生まれたと聞いて何人かで贈り物をした。それがだいたい十年くらい前のことである。

 彼女が通話をしたいというので通話アプリのIDを送った。そうしたら何度も通話がかかってくるようになった。彼女は家庭に深刻な問題を抱えていた。最初は結婚相手の問題かと思ったが、どうもそうではなく、次には子どもの発育上の問題かとも思ったが、それもどうも本質ではなく、幾晩かの長電話ののちになんとなく察したのは彼女と彼女の実母の間に根深い問題があるらしいということだった。

 私は適切と思われる専門機関を調べ、リストを作り、当座の費用を概算し、彼女が居住している自治体から受けられそうな支援について資料を集めた。そしてそれを送った。実のところ、そういう作業ははじめてではなかった。私には少なからぬ友人がいて、そしてそのうちの何人かは人生のある時期に専門的な支援を必要とする状況に陥った。だから私は慣れていた。「これで彼女は少しラクになるだろう」と思っていた。ほかの友人たちはみんなそうだったから。

 でも彼女は私の家を訪ねてきた。どうやって私の今の住所を知ったのかはわからない。十数年ぶりに顔を見る彼女は奇妙に若いままで、もしかすると若いころよりきれいで、目を爛々と輝かせていた。なんというか、引力があった。彼女は通話アプリで私が打ち切った話を続けようとした。

 彼女は私が他の友人や第三者機関の話をすると「聞きたくない」と言った。彼女は私と二人きりで話をしたがっていた。私はそのことに気づいていないのではなかった。しかし私はそれに乗らなかった。精神の具合が悪いときに閉じた二者関係を形成するとろくなことにならないと私は思っているからだ。それに、ごく率直に言って、私は彼女の特別な相手ではないし、特別な相手になるつもりもないからだ。

 私は話し続ける彼女を遮り、専門機関へのアクセスを勧めた。頑として自宅には入れなかった。彼女は燃えるような目で私を見た。その目から一瞬で温度がうしなわれた。彼女はふいと背を向けて、そのまま帰った。

 それ以来連絡がない。そのことを共通の友人に伝えると、友人は言った。そりゃ、あんた、彼女に「見限られた」んだよ。あのね、ある種の人間は、二人きりの関係に閉じこもって相手を操作する術に長けているんだよ。そしてそれを使っていろんな人間を使い捨てて生きている。でもあんたは「使えなかった」。おすすめのカウンセリング機関? 行政から受けられる支援の情報? ばかばかしい。彼女はそんなものひとつも必要としていない。彼女が欲しいのはただ自分のために心を砕き、自分の激しい感情を無償で受け取り、自分が「死ぬ」と言ったらパニックに陥るような、そういう相手だよ。

 いいかい、そういう相手は、何も色恋沙汰をやらなくたって手に入る。彼女のような人間はそれを知っている。ご近所さんだろうが昔の同級生だろうが、その心を奪うすべを知っている。でも自分の人間操作術が万能じゃないことも知っている。だから彼女のような人間は、何度か操作を試みて、使えないとわかったら捨てるんだよ、あのね、彼女はたぶんもう、あんたに一ミリも関心ないよ。

 私はしばらく返事ができなかった。私は彼女に親切にしたつもりだった。でも彼女にはそんなものぜんぜん必要なかったのだ。そして彼女は私を「捨てた」のだ。ゴミみたいに。

主人は子煩悩じゃありませんから

 子どもたちがいっせいに笑った。読み聞かせが受けたらしい。読んでいるのはわたしの夫である。保護者会の後に子どもたちと保護者たちの交流の時間があって、その一環として読み聞かせの場がセッティングされ、わたしの夫が立候補したのだった。わたしがにこにこしてそれを見守っていると、顔見知りの保護者が、あらあ、と言った。レイカちゃんパパはほんとに子煩悩でいらして。ねえ。ほんとにねえ。

 わたしはその保護者の名前を思い出す。沢田さん、と言う。こんにちはと言う。沢田さんは話し続ける。

 レイカちゃんパパみたいな方、最近はいらっしゃるのよね。うちはそういうんじゃないから。主人ともよくそういう話してるんですよ。ほんとうにね、レイカちゃんパパは、子煩悩でいらっしゃって。

 わたしの夫は娘を好きです。わたしはそう言う。そして混乱する。なんだろう、この人、何か、いやな感じがするんだけれど、それはなぜだろう。わたしの知らないところで娘がなにかしでかしたのだろうか。でもそれならそうと言ってくれればいいと思う。しかし、娘から沢田さんのお子さんと遊んだという話は聞いたことがない。もしかすると、この人は、わたしたち夫婦のことを、嫌いなのではないか。でもなぜだ。嫌うような接点がない。

 わたしは混乱を抱えたまま帰る。帰って友人にLINEを送る。友人の子はわたしの娘よりひとつ年長だ。わたしの娘は今年小学校に入学したから、小学校のことは親子ともにまだよくわかっていない。それでこの友人を頼りにしている。小学校の保護者会でこんなことがあって、と書いて送ると、ほどなく返信がある。

 その沢田さんというご夫婦は、たぶん「子どもをかわいがるのは本来男のすることではない」という意識を持っているんだよ。子煩悩という語は男に対してしか使わないでしょう。

 わたしはその文字列をながめた。人間の親というものは、特段の事情がなければ子育てをするものだと、どこかで思っていた。自分の夫が子育てすることを当たり前だと思って六年間育児をしてきた。夫は家事能力があまり高くないけれど、育児に関しては驚くほど有能だった。わたしたちはできることと得意なことを分担してどうにかやってきた。保育園ではわたしの夫以外にも送り迎えのどちらかを担当する父親がたくさんいた。保育園の先生方も保護者の性別なんか問題にしていなかった。だから子どもが小学生になるまで「子煩悩」などと言われたことはなかった。そのことばに侮蔑が込められていることに混乱した。それを理解するためのフレームが自分の中になかった。

 つまりね。友人のLINEは続いた。沢田さんご夫妻は、子育てをしない父親を「男らしい」と思っているんですよ。そしてそうじゃない父親を見るとどうしても一言いってやりたくなるんですよ。

 友人にそこまで説明してもらってはじめて「そうか」と思った。そして自分の両親を、とりわけ父を、なつかしく思った。わたしの実家は商店で、父も母もいつも店にいた。夏休みの時期には父がお昼に戻ってきて、「まったく、給食ってのはありがたいもんだ」などと言いながら焼きそばだのチャーハンだのをぱぱっと拵えるのだった。夏場の真昼に火を使うものだから、まだ若かった父は大汗をかいて、食べ終わると皿のついでに顔も洗って仕事に戻るのが常だった。わたしは父と母の両方に対して、「おなかがすいたらごはんを食べさせてくれる人」だと思っていた。

 一人暮らしをはじめるときと結婚するとき、あらたまって、「お父さん、お母さん、今までありがとうございました」とは言った。言ったけど、実はそれはけっこう形式的なせりふだった。せっかくだからそれっぽいこと言おうと思って、まじめな顔して頭を下げたりしたんだけど、結局は二回とも笑ってしまった。父も母も可笑しそうだった。だって、お父さんとお母さんがわたしにごはんを作ってくれるのは、当たり前のことだったのだ。今だって、わたしが実家に帰って「おなかすいた」と言ったら、きっと作ってくれる。だって、わたしのお父さんとお母さんだから。

 でもそれが当たり前じゃない家もあるのだ。男だけが子育てをしない家があって、そして「おまえがおかしい、こちらが当たり前だ」というような、妙なプレッシャーをかけてくるのだ。わたしはとてもさみしくなった。世の中には家庭において何ら役割を果たさない父親がいるという話を聞いたことがないのではなかった。でもまさかその人たちから侮蔑をこめたことばをかけられるなんて思ってもみなかった。

犠牲者は誰だ?

 彼と組むくらいなら辞めます。女性医師がそう言う。「彼」が何をしたのかといえば、彼女には何もしていない。ただ酒の席で不用意な発言をしたらしいという、それだけのことが明らかになっている。それでもわたしは、何度検討しても彼に辞めてほしくって、彼女にはこの病院に残ってほしいのだった。

 わたしの仕事は医院の院長だ。院長としては少々若い部類かもしれない。職場は祖父母の代からある、どうということのない医院である。小規模で、医師の数もすくない。くだんの女性医師は何ごともよくできて勉強熱心、患者さんの評判も上々の、いわばエースである。

 「彼」は若手の男性医師であり、それまで大きな問題を起こしたことはなかった。なかったが、少し空気が読めないというか、無神経な発言をすることがあるという話を何度か聞いてはいた。わたしと同世代で忌憚ない物言いをしてくれる古参の看護師にこっそり水を向けると、あのセンセーはねえ、空気読めないんじゃないのよ、と教えてくれた。院長先生の言うことは聞くんだから、ありゃ空気が読めないんじゃなくて、自分が見下してる相手に対してだけ、空気を読まないのよ。これって大きな違いですよ。

 そのような不穏をはらみつつ、しかし当院は問題なく回っていた。つい半月前までは。

 わたしのいなかった酒の席で、どうやらその男性医師は(口に出すのも憚られることだが)、「女性というものは、無理矢理にでも性行為をすれば、その相手のものになるのだ」という意味のことを言ったらしい。「今の妻もそうやって手に入れた」とも。

 それがどれだけ強いニュアンスで発言されたのかはわからない。個別に事情を聞いたところ、本人は「強引に交際を迫る」という程度の言い方だったと主張している。居合わせた他のスタッフはそうではないと言っているが、彼らの言うことが完全に一致しているのでもない。全員が彼の発言に注意してしっかり聞いていたのではないのだ。

 この場合、彼を処分するほどの根拠はない。ないと思う。エースである女性医師も同じ見解を示した。その上で、言うのだった。もう彼とは一緒に仕事ができません。だから自分が辞めるしかないと思っています。

 少人数の医院で特定の二名の接触を避けることはできない。医療の現場はフィジカルな距離が近い。その距離の近さを許容させるのは職業意識と職業人同士の信頼感である。無理なんです、と女性医師は言った。生理的に、無理になってしまいました。

 わたしは男性である。そして、職場の誰も知らないことだが、男女双方に性的な魅力を感じることがある。数としては男性のほうが多い。そうしたことには淡泊で、惚れっぽくもないから、年齢のわりに交際した相手は少ないのだけれど、そんなことはどうでもいい。わたしは、「無理矢理にでも」という信念を持つ男と、ふたりきりになったことがある。恐ろしかった。

 幸い実害には至らなかった。でもわたしは、そのできごとからいっそう、色恋沙汰に慎重になった。相手が女性なら怖くないということはない。性別にかかわらず、自分をモノのように思っている人間に対して、それこそ生理的な恐怖感を覚えるようになった。そしてすべての相手にその可能性を見いだすようになった。その可能性が払拭されるまでふたりきりで密室に入ることができなくなった。結婚や永続的なパートナーシップなしに今に至るのは、あるいはそのせいかもしれなかった。

 わたしがそういう人間だから彼の発言を過敏に受け止めて彼を辞めさせたいのだろうか。女性医師は女性だから彼の発言を過敏に受け止めて彼と働けないと主張しているのだろうか。もしも彼を辞めさせたなら、彼はわたしと女性医師の犠牲になったも同然ではないのか。だって、彼が実際には何と言ったのか、正確にはわからないのだから。

 彼を辞めさせなければ、女性医師は理不尽な理由で転職を余儀なくされる。わたしは医院のエースをうしなう。そして何より、わたし自身が彼とともに働きつづけなければならない。わたしは跡継ぎ院長で、出て行くことができないのだから。彼が異性愛者で、わたしが男性で、彼より権力を持っていたって、そんなことは関係がない。おぞましい。

 わたしは誰を犠牲にするのだろうか? わたしに相談相手はいない。仕事の相談をする相手は職場の中にも外にもいる。プライベートについて話せば聞いてくれる人もいる。でもその両方を兼ねる相手はいない。わたしはひとりで、早々に決めなければならない。犠牲者は、誰だ?

インターネットに向いてない

 おいバズってるけどだいじょうぶか。

 そういうLINEが入った。私はソーシャルメディアが得意でない。 Twitterは数日に一度見る。言われて見てみるとたしかに私が投稿した短編がバズっていた。稀にあることだ。今年の春先にもあった。でもそれより規模が大きい。

 ほんとだ、と返信する。別の友人からもLINEが入る。バズってるね。そうだね、いま見た、と私はこたえる。メッセージがポップアップする。

 寒くなってきたから上着を持ち歩くんだよ。さやかさんは薄着でうろうろして「寒い」と言うのだから、あらかじめ天気予報を見るなどして気をつけなくてはいけないよ。バズってへんなメールが来たら次に会うときの酒の肴にするんだよ。

 友人たちは私を心配してLINEを送ってくれたのだ。私はバズると少し体調を崩す。正確に言うと、バズったためにそれまで私の文章を読んだことのない人がいっぱい来て、なかにはよくわからない人がおり、執拗な、あるいは奇妙なメッセージを送ってくるので、それで少し調子を崩す。

 一年くらい前に、「とにかく自分の相手をしてほしい、返信がほしい」というようなメッセージが何通も来たことがあった。見るだけで消耗するので、もとよりごく少なかったTwitterのフォローをゼロにし、DMの受付を不可能にして、リプライも見ないことにした。インターネット上の窓口はメールだけに絞った。だから多少バズったところで問題はないはずだった。今どきメールでブログの感想を送る人は少ない。年に何通とかしか来ない。お手紙みたいな感じでていねいに書いてくれる人がほとんどだ。平和である。

 平和であった。メールボックスをひらいて私は自分の語尾を修正した。罵詈雑言のメールが来ていたのではない。こんなのが来ていた。

 ファンレターをお送りしたく稚拙な筆を執らせていただきました。わたしはこのような人間です。(中略)マキノさんはわたしのことが嫌いだと知っています。わたしはいわゆる、腹を蹴られに来た犬です。わたしはマキノさんの文章に励まされたわけではありません。それどころか気力を挫かれ、気分を害しています。「わたしはあなたに嫌われているが、あなたの文章を素敵だと思っている」ということではないかと、自分でもよくわかりませんが、それだけを理解していただくべきだと愚考しました。今後ともどうぞご健勝でお変わりなくお過ごしください。

 私はそのメールを閉じた。私はその人のことを知らない。知るつもりもない。インターネットにメールアドレスを公開しているのだから、どんなメールが来る可能性もあるのだ。ありがたかったら返信し、名誉毀損なら法的手段をとり、それ以外は無視する。それだけが私にできることである。

 私にはわからない。無関係の赤の他人に嫌われるとか腹を蹴られるとか書いて寄越す意味がわからない。中略部分はプライベートなことがいろいろに書いてあったが、自己紹介としてもよくわからなかった。この人は私と自分を間違えているのかもしれないなと思った。赤の他人に対する距離感ではない。

 インターネットで文章を書いていると知らない人からほめてもらえる。ほめられたら嬉しい。そもそも私はインターネットでものを書き始めてわりとすぐ、以前から読んでいた作家に「できのよい短編である」というコメントをもらって、それで味をしめたところがある。知らない人にほめてもらえるのだから、知らない人からけなされるのも道理で、だからけなされるのはわりとどうでもよい。名誉毀損にあたるものにだけ法的手段をとればよい。しかし、こうした謎の負のエネルギーに満ちたものは、どうしたらいいのか。

 バズってますねえ、マキノさん、景気いいっすねえ。インターネット業界の人からそのようなLINEが来た。私は少し考えて返信した。注文原稿がバズったのではなくて、私の自主的なブログが読まれただけなので、経済的利得は発生していません。それどころか変なメールが来て少し消耗しています。

 返信が来た。マキノさん、読者のこと人間だと思ってるでしょ。だから疲れるんですよ。

 私は驚いた。インターネットの向こうにいるのが人間以外の何だというのか。返信は続いた。マキノさん、インターネット向いてないですよ。向こうはこちらを一方的に消費して「コンテンツ供給マシン」か何かだと思ってるんです。それで何千人も何万人もいるんです。だから読者は、「読者」っていう抽象的なカタマリなんです。人間ではない。

 上着を持ち歩こう、と思う。肌寒くなってきた。健康に気をつけよう。そしてただ文章を書いて、出そう。インターネットに向いてないけど。

セフレですよ、不倫ですよ、ねえ、最低でしょ

 仕事の都合で別の業種の女性と幾度か会った。弊社の人間が、と彼女は言った。弊社の人間が幾人かマキノさんをお呼びしたいというので、飲み会にいらしてください。

 私は出かけていった。私は知らない人にかこまれるのが嫌いではない。知らない人は意味のわからないことをするのでその意味を考えると少し楽しいし、「世の中にはいろいろな人がいる」と思うとなんだか安心する。たいていはその場かぎりだから気も楽だし。

 彼らは声と身振りが大きく、話しぶりが流暢で、たいそう親しい者同士みたいな雰囲気を醸し出していた。私を連れてきた女性はあっというまにその場にすっぽりはまりこんだ。私は感心した。彼女は私とふたりのときには同僚たちに対していささかの冷淡さを感じさせる話しかたをしていた。

 どちらがほんとうということもあるまい。さっとなじんで、ぱっと出る。そういうことができるのである。人に向ける顔にバリエーションがあるのだ。私は自分用と親しい人用のほかには一個しか手持ちの顔がないので、いっぱいある人を見るとリッチだねえと思う。それをほしいとは思わないが。

 彼らは私の仕事に関係する話を少しして、それから、どうですか景気は、というような話をした。彼らはゲストである私と私の所属している企業をほめた。堅実で、とか、実績がおありで、とか、世の中は実はそういう人たちが動かしているんですよ、とか。私はハイとイイエの間くらいの感じで首を動かしていた。それで「男の人たちのネクタイが太いなあ。うちの会社にはあんなネクタイの人はひとりもいないよなあ」とか思っていた。

 やがて彼らはあけすけな色恋の話をはじめた。ずいぶんと具体的な描写をしては私の顔を見るのだった。こいつクズなんですよ、と別の誰かが言った。こいつセフレ二人いるんですよ。私は少し驚いた。クズとはなんだ。性愛は自由である。相手が二人いても三人いても百人いても当事者の自由だ。当事者間の合意がある関係を罵倒する理由はない。

 そんなのは自由です、クズではないですよ、と私は言った。すると彼らは喉の上のほうから出す声でひときわ強く笑った。そして仲間うちでやいやい言い合ったあと、私に向き直り、いやこいつのほうが最低です、と別の人をさした。不倫常習者ですからね。私は今度は驚かなかったけれど、やはり同じようなことを言った。それは民事なので、他人がジャッジすることではないです。

 おい、おまえ、不倫相手、今ので何人目だよ。いや、あの、うち、女子もたいがいですから、男だけじゃないです最低なのは。な、そこの肉食女子。えー、わたしなんかぜんぜんたいしたことないです。

 私は彼らを見ていた。珍しくて少しおもしろかった。でも彼らの声が耳についてだんだん疲れてきた。彼らは、仕事の話や如才ない世間話をしているときには落ち着いた良い声を出していたのに、色恋の話に移るととたんに喉が締まったような特有の発声をして、頭につきぬけるような笑い声をたくさん上げる。そういう音声は長いこと聞いていられるものではない。

 私を連れてきた女性が皆の会計をまとめる。彼女は私を帰途に誘導する。残りの人々はまだ飲むようだ。彼女は言う。あんな話を振ってごめんなさいね。いえ、と私はこたえる。恋愛やセックスの話は好きです。いやな時はいやと言います。すると彼女は立ち止まり、向き直って私の顔を見た。

 ねえ、マキノさん。彼らは、恋愛やセックスの話をしていたんじゃないんです。自分がいかに他人を振り回して身勝手に振る舞えるかという話をしていたんです。あのね、彼らは、権力の話をしていたの。相手だけが自分を好きで、自分は関係の楽しい部分だけを吸っていて、いいなりにさせていて、相手はたぶんそれを不本意に思っているけれど、関係がなくなるのが怖くて言えない。その非対称性を、自慢していたのよ。そういうのが権力だと思っているのよ。

 ねえ、マキノさん、わたしもそう思うことがあるの。わたしの会社は風紀が乱れているけれど、それは偶然じゃないの。うちで成功する人間はみんな権力に貪欲で、そして、いろんな場面で、他人を振り回すと権力を感じるの。

 私は今日いちばん驚いた。そしてなんとなく左右を見た。左右には電柱と車道しかなかった。それから夜だけしか。

 彼女は右も左も見なかった。私をまっすぐに見ていた。そして右の眉をちょっと寄せ、左の口元をちょっと上げて、笑ったような顔になった。そうして言った。マキノさんって、なんだか、赤ちゃんみたい。私はそのせりふをちゃんと聞いていなかった。彼女の顔を見ていた。きれいな人だと思った。

脆弱とマヨネーズ

 世の中にいるのはみんないい人だと思っていた。僕は二十七歳で、パリ近郊の鉄道駅にいて、一文無しになったところだった。

 会社が海外でMBAを取らせてくれるというからフランスに行くことにした。ラッキー、と思った。学校では主に英語を使うけれど、現地語もできなくちゃいけない。ぜんぜん休めなくて、「ちょっとこれはまずいかもしれないな」と思ったところで大学の休業期間に入った。バックパックを背負って周辺をくるりと回って、住処の近くのターミナル駅まで戻った。そんなに長くフランスに住んだわけでもないのに、早くもホーム感があった。部屋に帰ったら、すごくだらしない格好で寝そべって、何ひとつしないで眠りこんでやろう、と思った。

 おい、あんた、コートがえらいことになってるぞ。声をかけられて自分の背中を見た。もちろん見えない。声をかけてきた男は斜め上から僕の背中をのぞきこみ(僕だって小さくはないけど、彼はアフリカ系で、身長が二メートル近くあった)、マヨネーズかなんかじゃないか、と言った。コートを脱いで見るとたしかにマヨネーズがめちゃくちゃついていた。なんだこれは。

 どうもありがとうと言おうとするともう彼はいなかった。僕のバックパックもなかった。その中の新しいノートパソコンも、背伸びして買ったハイブランドの財布も、その中のいくらかの現金も、クレジットカードも。

 というわけで、泥棒に遭ったんだ。なかなか知的なやり方だ。殴られなくてなによりだった。とりあえず警察に行ったけど結局大使館に行かなくちゃいけないんだ。そう話すと、現金を持って助けに来てくれた友人があきれかえって言った。そんな手口を信じたらいけない。電車で旅行してて背中にマヨネーズがつくなんておかしいだろう。

 まったくそのとおりだねえと言って僕が笑うと友人はすこし黙って、おまえはそのおためごかしをそろそろ捨てたほうがいい、と言った。僕はこの友人のことをよくは知らない。フランス語のクラスで仲良くなっただけなのだ。海外で日本人に囲まれていたらなんの勉強にもならないけど、ひとりくらい日本人の友だちがいないとやっていけない。最初はそういう動機で話しかけた。専攻もバックグラウンドもちがう。彼は僕より経済的に余裕がなく(公費留学生でアルバイト禁止なのだそうだ)、いろいろと悲観的だ。「俺は薄暗いたましいを持って生まれてきたんだよ」などと言う。

 友人はゆっくりと、低い声で言う。おまえはその泥棒に引け目を感じているんだ。だから疑っているそぶりを見せることができなかったんだ。そういうのをおためごかしと言うんだ。おまえは、「相手が移民に見えるからといって悪い人間だと思ってはいけない」という規範を持っているんだ。相手の肌の色が白っぽかったらかえって警戒してバックパックを地面におろしたりしなかったんじゃないか。なぜかといったら、その場合は警戒しても自分のことを差別的だと思わなくて済むからさ。

 僕は黙る。友人は言う。おまえは自分が恵まれていることに引け目を感じている。努力してもその努力を誇示してはいけないと思っている。なぜなら恵まれない環境で努力している人間もいるからだ。しんどくなってもしんどいとは言わない。なぜなら今の自分の境遇は自分の選択によるもので、それに対してぐじゃぐじゃ言うほど弱い人間じゃないと思っているからだ。

 おまえは生まれ育ちに不運な部分がない。生まれつき勉強ができて、障害がなくて、男で、見栄えも悪くない。だから意地でも「この世界はいいところだ」と言い張らなきゃいけないと思ってる。世界に対して友好的な態度を取って明るい顔して過ごすべきだと思ってる。自分の弱者っぽい部分から目を逸らすために全力で「みんないい人だ」「世界はいいところだ」と言う。そんなだから泥棒に遭うんだ。いいかげんにしろ。泥棒を罵れ。犯罪被害に遭って恐ろしかったと言え。海外生活に疲れたと言え。そんなのは当たり前のことだろう。

 僕はしばらく黙ったままでいた。友人も黙ったままでいた。いやだ、と僕は言った。移民の犯罪率が高いとしたら、それは貧しいからだ。構造的な問題だ。泥棒個人を罵ってもしょうがない。僕は望んでここまで来たんだし、勉強は順調だ。休暇だってまだ残ってる。寝て起きれば元気になる。

 泥棒にマヨネーズをつけられたコートはクリーニングに出しても完全にはきれいにならなかった。僕は帰国するまでそのマヨネーズ・コートを部屋にかけておいた。