傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

インターネットに向いてない

 おいバズってるけどだいじょうぶか。

 そういうLINEが入った。私はソーシャルメディアが得意でない。 Twitterは数日に一度見る。言われて見てみるとたしかに私が投稿した短編がバズっていた。稀にあることだ。今年の春先にもあった。でもそれより規模が大きい。

 ほんとだ、と返信する。別の友人からもLINEが入る。バズってるね。そうだね、いま見た、と私はこたえる。メッセージがポップアップする。

 寒くなってきたから上着を持ち歩くんだよ。さやかさんは薄着でうろうろして「寒い」と言うのだから、あらかじめ天気予報を見るなどして気をつけなくてはいけないよ。バズってへんなメールが来たら次に会うときの酒の肴にするんだよ。

 友人たちは私を心配してLINEを送ってくれたのだ。私はバズると少し体調を崩す。正確に言うと、バズったためにそれまで私の文章を読んだことのない人がいっぱい来て、なかにはよくわからない人がおり、執拗な、あるいは奇妙なメッセージを送ってくるので、それで少し調子を崩す。

 一年くらい前に、「とにかく自分の相手をしてほしい、返信がほしい」というようなメッセージが何通も来たことがあった。見るだけで消耗するので、もとよりごく少なかったTwitterのフォローをゼロにし、DMの受付を不可能にして、リプライも見ないことにした。インターネット上の窓口はメールだけに絞った。だから多少バズったところで問題はないはずだった。今どきメールでブログの感想を送る人は少ない。年に何通とかしか来ない。お手紙みたいな感じでていねいに書いてくれる人がほとんどだ。平和である。

 平和であった。メールボックスをひらいて私は自分の語尾を修正した。罵詈雑言のメールが来ていたのではない。こんなのが来ていた。

 ファンレターをお送りしたく稚拙な筆を執らせていただきました。わたしはこのような人間です。(中略)マキノさんはわたしのことが嫌いだと知っています。わたしはいわゆる、腹を蹴られに来た犬です。わたしはマキノさんの文章に励まされたわけではありません。それどころか気力を挫かれ、気分を害しています。「わたしはあなたに嫌われているが、あなたの文章を素敵だと思っている」ということではないかと、自分でもよくわかりませんが、それだけを理解していただくべきだと愚考しました。今後ともどうぞご健勝でお変わりなくお過ごしください。

 私はそのメールを閉じた。私はその人のことを知らない。知るつもりもない。インターネットにメールアドレスを公開しているのだから、どんなメールが来る可能性もあるのだ。ありがたかったら返信し、名誉毀損なら法的手段をとり、それ以外は無視する。それだけが私にできることである。

 私にはわからない。無関係の赤の他人に嫌われるとか腹を蹴られるとか書いて寄越す意味がわからない。中略部分はプライベートなことがいろいろに書いてあったが、自己紹介としてもよくわからなかった。この人は私と自分を間違えているのかもしれないなと思った。赤の他人に対する距離感ではない。

 インターネットで文章を書いていると知らない人からほめてもらえる。ほめられたら嬉しい。そもそも私はインターネットでものを書き始めてわりとすぐ、以前から読んでいた作家に「できのよい短編である」というコメントをもらって、それで味をしめたところがある。知らない人にほめてもらえるのだから、知らない人からけなされるのも道理で、だからけなされるのはわりとどうでもよい。名誉毀損にあたるものにだけ法的手段をとればよい。しかし、こうした謎の負のエネルギーに満ちたものは、どうしたらいいのか。

 バズってますねえ、マキノさん、景気いいっすねえ。インターネット業界の人からそのようなLINEが来た。私は少し考えて返信した。注文原稿がバズったのではなくて、私の自主的なブログが読まれただけなので、経済的利得は発生していません。それどころか変なメールが来て少し消耗しています。

 返信が来た。マキノさん、読者のこと人間だと思ってるでしょ。だから疲れるんですよ。

 私は驚いた。インターネットの向こうにいるのが人間以外の何だというのか。返信は続いた。マキノさん、インターネット向いてないですよ。向こうはこちらを一方的に消費して「コンテンツ供給マシン」か何かだと思ってるんです。それで何千人も何万人もいるんです。だから読者は、「読者」っていう抽象的なカタマリなんです。人間ではない。

 上着を持ち歩こう、と思う。肌寒くなってきた。健康に気をつけよう。そしてただ文章を書いて、出そう。インターネットに向いてないけど。

セフレですよ、不倫ですよ、ねえ、最低でしょ

 仕事の都合で別の業種の女性と幾度か会った。弊社の人間が、と彼女は言った。弊社の人間が幾人かマキノさんをお呼びしたいというので、飲み会にいらしてください。

 私は出かけていった。私は知らない人にかこまれるのが嫌いではない。知らない人は意味のわからないことをするのでその意味を考えると少し楽しいし、「世の中にはいろいろな人がいる」と思うとなんだか安心する。たいていはその場かぎりだから気も楽だし。

 彼らは声と身振りが大きく、話しぶりが流暢で、たいそう親しい者同士みたいな雰囲気を醸し出していた。私を連れてきた女性はあっというまにその場にすっぽりはまりこんだ。私は感心した。彼女は私とふたりのときには同僚たちに対していささかの冷淡さを感じさせる話しかたをしていた。

 どちらがほんとうということもあるまい。さっとなじんで、ぱっと出る。そういうことができるのである。人に向ける顔にバリエーションがあるのだ。私は自分用と親しい人用のほかには一個しか手持ちの顔がないので、いっぱいある人を見るとリッチだねえと思う。それをほしいとは思わないが。

 彼らは私の仕事に関係する話を少しして、それから、どうですか景気は、というような話をした。彼らはゲストである私と私の所属している企業をほめた。堅実で、とか、実績がおありで、とか、世の中は実はそういう人たちが動かしているんですよ、とか。私はハイとイイエの間くらいの感じで首を動かしていた。それで「男の人たちのネクタイが太いなあ。うちの会社にはあんなネクタイの人はひとりもいないよなあ」とか思っていた。

 やがて彼らはあけすけな色恋の話をはじめた。ずいぶんと具体的な描写をしては私の顔を見るのだった。こいつクズなんですよ、と別の誰かが言った。こいつセフレ二人いるんですよ。私は少し驚いた。クズとはなんだ。性愛は自由である。相手が二人いても三人いても百人いても当事者の自由だ。当事者間の合意がある関係を罵倒する理由はない。

 そんなのは自由です、クズではないですよ、と私は言った。すると彼らは喉の上のほうから出す声でひときわ強く笑った。そして仲間うちでやいやい言い合ったあと、私に向き直り、いやこいつのほうが最低です、と別の人をさした。不倫常習者ですからね。私は今度は驚かなかったけれど、やはり同じようなことを言った。それは民事なので、他人がジャッジすることではないです。

 おい、おまえ、不倫相手、今ので何人目だよ。いや、あの、うち、女子もたいがいですから、男だけじゃないです最低なのは。な、そこの肉食女子。えー、わたしなんかぜんぜんたいしたことないです。

 私は彼らを見ていた。珍しくて少しおもしろかった。でも彼らの声が耳についてだんだん疲れてきた。彼らは、仕事の話や如才ない世間話をしているときには落ち着いた良い声を出していたのに、色恋の話に移るととたんに喉が締まったような特有の発声をして、頭につきぬけるような笑い声をたくさん上げる。そういう音声は長いこと聞いていられるものではない。

 私を連れてきた女性が皆の会計をまとめる。彼女は私を帰途に誘導する。残りの人々はまだ飲むようだ。彼女は言う。あんな話を振ってごめんなさいね。いえ、と私はこたえる。恋愛やセックスの話は好きです。いやな時はいやと言います。すると彼女は立ち止まり、向き直って私の顔を見た。

 ねえ、マキノさん。彼らは、恋愛やセックスの話をしていたんじゃないんです。自分がいかに他人を振り回して身勝手に振る舞えるかという話をしていたんです。あのね、彼らは、権力の話をしていたの。相手だけが自分を好きで、自分は関係の楽しい部分だけを吸っていて、いいなりにさせていて、相手はたぶんそれを不本意に思っているけれど、関係がなくなるのが怖くて言えない。その非対称性を、自慢していたのよ。そういうのが権力だと思っているのよ。

 ねえ、マキノさん、わたしもそう思うことがあるの。わたしの会社は風紀が乱れているけれど、それは偶然じゃないの。うちで成功する人間はみんな権力に貪欲で、そして、いろんな場面で、他人を振り回すと権力を感じるの。

 私は今日いちばん驚いた。そしてなんとなく左右を見た。左右には電柱と車道しかなかった。それから夜だけしか。

 彼女は右も左も見なかった。私をまっすぐに見ていた。そして右の眉をちょっと寄せ、左の口元をちょっと上げて、笑ったような顔になった。そうして言った。マキノさんって、なんだか、赤ちゃんみたい。私はそのせりふをちゃんと聞いていなかった。彼女の顔を見ていた。きれいな人だと思った。

脆弱とマヨネーズ

 世の中にいるのはみんないい人だと思っていた。僕は二十七歳で、パリ近郊の鉄道駅にいて、一文無しになったところだった。

 会社が海外でMBAを取らせてくれるというからフランスに行くことにした。ラッキー、と思った。学校では主に英語を使うけれど、現地語もできなくちゃいけない。ぜんぜん休めなくて、「ちょっとこれはまずいかもしれないな」と思ったところで大学の休業期間に入った。バックパックを背負って周辺をくるりと回って、住処の近くのターミナル駅まで戻った。そんなに長くフランスに住んだわけでもないのに、早くもホーム感があった。部屋に帰ったら、すごくだらしない格好で寝そべって、何ひとつしないで眠りこんでやろう、と思った。

 おい、あんた、コートがえらいことになってるぞ。声をかけられて自分の背中を見た。もちろん見えない。声をかけてきた男は斜め上から僕の背中をのぞきこみ(僕だって小さくはないけど、彼はアフリカ系で、身長が二メートル近くあった)、マヨネーズかなんかじゃないか、と言った。コートを脱いで見るとたしかにマヨネーズがめちゃくちゃついていた。なんだこれは。

 どうもありがとうと言おうとするともう彼はいなかった。僕のバックパックもなかった。その中の新しいノートパソコンも、背伸びして買ったハイブランドの財布も、その中のいくらかの現金も、クレジットカードも。

 というわけで、泥棒に遭ったんだ。なかなか知的なやり方だ。殴られなくてなによりだった。とりあえず警察に行ったけど結局大使館に行かなくちゃいけないんだ。そう話すと、現金を持って助けに来てくれた友人があきれかえって言った。そんな手口を信じたらいけない。電車で旅行してて背中にマヨネーズがつくなんておかしいだろう。

 まったくそのとおりだねえと言って僕が笑うと友人はすこし黙って、おまえはそのおためごかしをそろそろ捨てたほうがいい、と言った。僕はこの友人のことをよくは知らない。フランス語のクラスで仲良くなっただけなのだ。海外で日本人に囲まれていたらなんの勉強にもならないけど、ひとりくらい日本人の友だちがいないとやっていけない。最初はそういう動機で話しかけた。専攻もバックグラウンドもちがう。彼は僕より経済的に余裕がなく(公費留学生でアルバイト禁止なのだそうだ)、いろいろと悲観的だ。「俺は薄暗いたましいを持って生まれてきたんだよ」などと言う。

 友人はゆっくりと、低い声で言う。おまえはその泥棒に引け目を感じているんだ。だから疑っているそぶりを見せることができなかったんだ。そういうのをおためごかしと言うんだ。おまえは、「相手が移民に見えるからといって悪い人間だと思ってはいけない」という規範を持っているんだ。相手の肌の色が白っぽかったらかえって警戒してバックパックを地面におろしたりしなかったんじゃないか。なぜかといったら、その場合は警戒しても自分のことを差別的だと思わなくて済むからさ。

 僕は黙る。友人は言う。おまえは自分が恵まれていることに引け目を感じている。努力してもその努力を誇示してはいけないと思っている。なぜなら恵まれない環境で努力している人間もいるからだ。しんどくなってもしんどいとは言わない。なぜなら今の自分の境遇は自分の選択によるもので、それに対してぐじゃぐじゃ言うほど弱い人間じゃないと思っているからだ。

 おまえは生まれ育ちに不運な部分がない。生まれつき勉強ができて、障害がなくて、男で、見栄えも悪くない。だから意地でも「この世界はいいところだ」と言い張らなきゃいけないと思ってる。世界に対して友好的な態度を取って明るい顔して過ごすべきだと思ってる。自分の弱者っぽい部分から目を逸らすために全力で「みんないい人だ」「世界はいいところだ」と言う。そんなだから泥棒に遭うんだ。いいかげんにしろ。泥棒を罵れ。犯罪被害に遭って恐ろしかったと言え。海外生活に疲れたと言え。そんなのは当たり前のことだろう。

 僕はしばらく黙ったままでいた。友人も黙ったままでいた。いやだ、と僕は言った。移民の犯罪率が高いとしたら、それは貧しいからだ。構造的な問題だ。泥棒個人を罵ってもしょうがない。僕は望んでここまで来たんだし、勉強は順調だ。休暇だってまだ残ってる。寝て起きれば元気になる。

 泥棒にマヨネーズをつけられたコートはクリーニングに出しても完全にはきれいにならなかった。僕は帰国するまでそのマヨネーズ・コートを部屋にかけておいた。

メイクと実存

 年に一度、友人にメイクを習いに行く。友人は何段にも分かれたメイクボックスを持っていて、いくつかの色をわたしの顔にあてる。彼女は眉の描き方を修正し、アイカラーとアイライナーを変えて塗り方を教示し、新しいアイテムとしてハイライトをわずかに使うことを提案して、実際に塗ってくれた。

 わたしは彼女の指示をメモする。彼女がつくってくれた「今年のわたしの顔」を撮影する。彼女はアイカラーをふたつくれる。いくらでも買っちゃうから、もらって、と言う。メイクボックスの薄べったい抽斗に目をやると、ずらりとアイカラーが並んでいる。必要があってこんなに買うのではないの、と彼女は言う。だからあげても問題はないの。コスメを買いすぎるのはね、実存の問題ですよ。

 実存の問題、とわたしは言う。実存の問題、と彼女も言う。そうしてぱたりとメイクボックスを閉じる。

 わたしは母の鏡台を思い出す。父方の祖母のお下がりで、ものすごく古かった。そこは家の中で母に与えられたただ二つの場所のうちのひとつだった。台所と物置部屋の鏡台の前。母はそこに正座し、紅筆で中身をこそげながら口紅を使っていた。口紅だけは毎日塗っていたように思う。

 母は美しい人だった。分家のお嫁さん全員と比べてもいちばんきれいだと親戚たちが言っていた。まあ、そういう取り柄でもないと、嫁に取ってもらうはずもないよな、と彼らは言って、笑った。そうそう、あと、あのでけえおっぱいな。

 母はわたしを小型の自分にしたかったのだと思う。そして旧弊な田舎の地主の「嫁」である自分を肯定してほしかったのだと思う。でもわたしはものすごく生意気な子どもで、中学生にもなると図書館で本を読み、人類は平等だ、と思っていた。威張るだけの父とぼんくらな兄が座りっぱなしでテレビを見る食卓、母とわたしが「お世話」して彼らの言うことにへつらわなければ彼らの「ご機嫌」が悪くなる食卓。年に何度もやってきて飲み食いして「お接待」をさせる親戚の男ども。ばかみたいだと思っていた。

 わたしは台所で下仕事をしながら母と言い争うようになった。母はあまり頭の回転の早い人ではなかった。母はまずわたしを無視し、次に「そんなこと言われたらお母さん何にもお話できなくなっちゃう」と泣き声を出した。母はわたしが台所に入ると強い緊張を漂わせるようになった。そして「お母さん具合悪くなっちゃった」と繰りかえすようになった。

 わたしは容赦しなかった。わたしは高校生で、こんな家にずっといるくらいなら野垂れ死にしたほうがマシだと思っていた。母もきっとそうだと、どこかで思っていた。母の具合が悪くなるとしたら、それはわたしのせいではなく、このろくでもない家のせいだ。そう思っていた。だから言いたいことを言った。母はある日、とうとう金切り声を上げた。じゃあ、あんたがわたしを養えるっていうの、ええ?

 わたしは黙った。この人は、と思った。この人は、土地持ちの「本家」を出て行くなら、自分を養えと言っているのだ。高校生の娘に向かって。わたしはそのことを、三秒かけて理解した。そして気が遠くなるほど母を憎んだ。

 母はシンデレラだった。美しさと「心ばえ」のほかに取り柄のない女だった。美しいシンデレラは王子さまに「見初められて」お城のような大きな家に嫁ぎ、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。そういう人生を送ってきた人だった。

 母はわたしが兄よりはるかにいい成績を取り続けても一度だってほめてくれなかった。母はわたしが十二歳のとき親戚に胸を触られて泣いて台所に逃げ込んで訴えても「冗談でしょ」としか言わなかった。それでも、十七歳のわたしはこう言うつもりだったのだ。わたしが東京の大学に入ったら、お母さんも来ていいよ、ふたりで住んだらどうにかなるよ。

 わたしは鏡を見た。いけない、と思った。この顔はなんだ、まるっきりシンデレラの顔じゃないか。シンデレラになるくらいだったら野垂れ死にしたほうがましだ。わたしはシンデレラじゃない女になって、お城も王子さまも要らない女になって、そしてシンデレラより美しくなるんだ。そうすれば美しさしか取り柄のないあの女を完膚なきまでに叩きのめすことができる。

 わたしは大学を卒業して就職して王子さまじゃない男とお城じゃない家に住んで家賃を折半している。そして年に一回、友人にメイクを習う。友人が言う。新しいメイクを工夫したいっていう相談は、ときどきあるけどさ、それが毎年の帰省の前っていうのは、なんていうか、変わってる。わたしはこたえる。うん、ちょっと、実存の問題でね。

切り離された跡

 勤務先は単科病院としては小さくない規模で、それでも医師はわたしを入れて十人。非常勤を入れてローテーションを組む。コメディカルの人数も知れたもので、全員で助け合わなければやっていられない。専門性と年齢とキャリアは考慮するけれど、負担は比較的平等に、事情があれば交代して、できるだけ風通しよくしたいと、おそらく八割がたの人間がそう思っている。やさしいからじゃなくて、そのほうが合理的だから。

 おはようございます、とわたしは言う。おはようございます、と今日の手術パートナーが言う。現代医療は標準化されていて、しかもチーム仕事で、だから「名医」というものは存在しない。標準を守れば飛び抜けようがないし、飛び抜ける必要がない。だめな人間が消えていくだけだ。それが合理というものである。

 手術の準備をする。この医院の手術はほぼすべてが内視鏡で済むものだ。人死にが出るようなものではない。患者さんが亡くなることはもちろんあるが、原因は手術ではない。だから手術はそれほど激しい疲労をともなう業務では実はない。個人的にはガン告知のほうがよほどしんどい。告知にも二種類あって、ざっくり言えばすぐ死にますという意味の告知としばらくしてから死にますという意味の告知があり、前者のしんどさは独特である。何かがごっそり持って行かれる感じがする。

 人死にには慣れている。人間は何にでも慣れる。あなたは遠からず死にますと宣言することにも、だから慣れる。わたしは「とても心を痛めながら冷静を装っている」かたちの仮面をつけてそれをする。わたしは慣れている。慣れているという事実こそがわたしの何かを切り離して持っていくのかもしれなかった。

 今日はその仕事ではない。患者さんの皮膚をちょっと切らせてもらってすいすいと内視鏡手術をやるだけの仕事である。執刀はベテラン二名、何も問題はない。すぐ終わる。わたしは冷蔵庫の中身を思い浮かべる。帰りに何を買ってどんな料理をしようか考える。娘の受験のことを考える。

 職場での負担は合理的に、とわたしたちは思っている。でも今日のケースはもしかするとそうではない。ローテーションでいればわたしの「当番」ではない。今日の患者さんはHIVキャリアで、その場合は常勤医師のうち年長組四名のうち二名が担当するという決まりごとがあって、そのためにわたしが当番を代わった。

 HIVキャリアの手術だから危険なのではない。感染の可能性はない。ウィルスは適切にコントロールされており、執刀者が自分を傷つけて患者さんの傷につけたってたぶん感染はしない。まともにやっていれば可能性はゼロだ。だから少しも怖くはない。怖いというなら医療訴訟や強烈な難癖のほうがよほど怖い。しんどいというならガン告知のほうが(けっこう多く発生する仕事であるにもかかわらず)よほどしんどい。

 HIVキャリアの患者さんの手術を年長組だけがするというこの職場の決まりごとは、ほんとうは合理的ではない。「すごく危険だから若い人にはやらせない」というのではないのだ。だって、危険ではない。

 合理には限度がある。わたしたちは実はそれを認めてもいる。わたしたちは最終的に合理的でない。わたしたちは理不尽な忌避感情から逃れることができない。そうなのだと思う。だから誰ひとり「HIVキャリアの患者さんの手術はシニア組の医師だけが執刀する」という決まりごとに意義を唱えない。わたしも唱えない。

 手術を終える。こんなにも近いのに、とわたしは思う。わたしは刃物でもって他人(患者さん)に侵襲したというのに、物理的にはこれ以上ないくらい近づいたのに、この人がどう感じているのか、理解していない。そう思う。もちろん、この医院のささやかな決まりごとを知ったところで、この患者さんは気を悪くしたりはしないだろう。でもそれが今までこの患者さんがさらされてきたであろう巨大な偏見の延長線上にあることは、きっと感じるだろう。わたしたちが合理的じゃないことを、この人はきっと、わかるだろう。そう思う。 

 勤務時間が終わる。わたしは職業的な仮面をはずす。人情味のある気さくな医者の顔をはずす。着替えるときに自分のからだをちょっとさわる。いつからか覚えていないが、勤務終わりにそうするくせがついた。たぶん確認しているのだと思う。仕事はわたしに多くのものを与える。でも仕事はわたしから必ず何かを持っていく。ガン告知のようにわかりやすくなくても、ひとつひとつの仕事が、わたしの何かを持っていく。今日持って行かれたもののかたちを、わたしは思い浮かべる。

このタイトルちょっと高尚なんで変えてもらっていいですかね

 出版市場は実は縮小していない。出版される本の数は増えている。大ヒットが出にくい、書き手と出版点数の増加でパイが小さくなって専業作家が成立しにくい、作家以外の職も担い手が分散している、そういう状態である。

 わたしの職能は雑誌編集、単行本企画、ライティング。特技は特急テープ起こしと他人の原稿の校閲。さる老舗出版社の専業校閲さんから「校閲部門希望で入社試験を受けてもいい」と褒めてもらったことがある(誇らしい)。一緒に育った妹に言わせれば、「お姉ちゃんはちっちゃいときから、字が書いてある紙の束があればだいたいOKなんだよね」とのことである。たぶん死ぬまでそうなんだと思う。

 勤務先に大きな不満があったのではない。それでもわたしは十数年つとめた出版社をやめた。会社員生活よりフリーランスのほうが(たとえ収入が激減しても)総合的に幸福な人生を送れると判断したからだ。わたしは元勤務先やつきあいのあった出版社から仕事を取り、エージェント的な中継ぎ事務所を通してWeb媒体や自治体からの請負もするようになった。

 企画と取材とライティングを担当した原稿を一本納品した。元請けメディアの担当者がさっそく電話をかけてきた。どうもどうも、お世話になっております、拝読しました、はい、全文ママでOKです、いいですね、さすがの文章力、この独特の文体、僕、大好きなんですよ。元請けはそのように流暢な職業的世辞を口にし、それから、ちょっと口ごもった。あの、原稿のタイトル、ちょっと高尚なんで変えてもらっていいですかね。

 高尚、とわたしは言った。この原稿ではそんなに難しい言葉遣いはしていない。漢字だって中学生にも読めそうなやつしか使ってない。そう思って黙っていると、えっと、と元請けは間を取った。このタイトルはですね、美しいです、美しいですが、少し格調が高いといいますか、フックとしてダメなんです、うちの媒体だと。格調が高いというのは、簡単に言いますと、共感を呼ばないということです。もっと言うと、うっすら何様感があるってことです。

 もしかしておわかりにならないかもしれないですけど、今の、紙媒体でもWeb版をつくってタイトルをばんばんSNSに流して読者を取ってくるスタイルでは、大半の人が、なじみのない単語や言い回しを好まないです。「自分にはわからないことが書かれている」「お呼びじゃないと思われている」という印象を持つからです。一瞬の印象で、誰もほとんど気にしちゃいないけど、でも薄く、薄く、どこかで、「高尚」は、不愉快なんです、僕らみたいに数字を取ろうとする人間は、その空気を、毎日毎日吸っているんです、たぶんご存知ないだろうけど。

 ご存知なくて、まあいいんですけど、原稿を載せる側は、SNSで流したときに「自分には関係のないタイトル」と思わせたら負けなんです。だからタイトルだけは変えてください。あるある感、親しみ感ください。クリックさせれば、こっちのものなんで、特別感とかツヤ感は、この本文読めば一発なんで、タイトルにはいりません。

 わかりました、とわたしは言った。そして親しみ感とあるある感を盛り込んだタイトルを三案作って送った。OKが出た。第一稿送信当日に納品完了、スムーズな仕事である。わたしは請求書をつくる。つくりながら思う。

 わたしは辞書が好きだった。知らないことばを好きだった。子どものころ、わたしの世界は狭かった。妹は外に飛び出して知らない路地を駆け、わたしは本をひらいて知らないことばを辞書で引いた。そのようにして子どもは世界を広げるものだとわたしは思っていた。でも今の子どもは路地を走らない。安全でないからだ。

 妹は小学生の時分に隣町まで自転車を飛ばして迷子になって警察官に送ってもらったことがある。両親にしこたま叱られた妹を尻目に、本は安全でいいなあ、とわたしは思っていた。毎日派手に冒険をしても、危険な目には遭わないのだもの。

 でも、いまの世界の多くの人にとって、知らないことばは、安全じゃないのかもしれなかった。今の時代にあって、「共感させない」文章は、もはや悪に近いのかもしれなかった。わたしはごく少数の親密な人々以外からの「共感」がほしいと思うことが少なかった。だからわたしは今の時代に合わないのかもしれなかった。わたしは未知を、発見を、驚きを愛していた。文章を読めばそれが手に入ると思って、自分でもそれを提供したいと思っていた。でもそういう需要は遠からずなくなるのかもしれなかった。わたしはぼんやりと自分のポートフォリオをながめ、身の振り方について思案した。

呪いをかけられなかった娘

 三十歳前後からまわりの女たちの半分くらいが変な感じになった。結婚するとかしないとかできないとかしたくないとか、そういうことをやたらと言うようになった。わたしは全員に「そお」とこたえた。そんなの好きにすりゃあいいじゃんねえ、と思った。日本における結婚は自由意思に基づく契約行為である。契約内容は民法で決まっていて、その効力は当人二名のあいだに及ぶ。それから養育される子どもや相続が発生しうる親族には関係がある。でもそれ以外にはまったく関係がない。どうして契約主体でない他人の結婚をとやかく言うのか。まして友人の結婚相手なんか完全にどうでもいい人である。そんなのをやいやい話の種にするなんて変だなと思った。

 結婚しないのかとわたしに訊く友人もあった。わたしは何も考えず「しない」とこたえた。どうしてと問うので「必要ないから」とこたえた。あれはないわ、と同席していた別の友人があとから言った。あれは嫌われるわ。

 なにが「ない」のか知らない。知らないが、わたしを嫌うのであれば会う必要もない。生きていれば誰かに嫌われたり好かれたりする。そんなのはしかたのないことである。でも少し気をつけようと思った。よぶんなことは言わないようにしようと思った。

 三十代終盤にかかると今度は子どもがいるとかいないとかキャリアがどうこうとか生活ぶりがどうこうとか、そういう話をよく聞かされるようになった。わたしは全員に「そお」と言った。みんなおたがいのことをよく知っているみたいだった。SNSで見ているのだと誰かが言った。どうしてSNSをやらないのと誰かがわたしに尋ねた。わたしは「必要ないから」とこたえた。それから、しまった、と思った。十年たってもまったく成長していない。わたしには理解できないが、自分が必要としているものを他人が(たとえばわたしが)必要としていないこと、それをはっきり言われることを嫌う人が世の中にはいるのである。わたしはそれを十年前に理解したはずだったのだ。そして気をつけようと思ったはずなのだ。忘れていた。

 友人が勉強しなさいと言って本をいくつか貸してくれた。そこには「女はきれいでいなくてはならないというのは呪いです」「女だから料理ができなくちゃ、家をきれいにしていなくちゃ、というのは呪いです」「女に生まれると自信がなくなるようなしくみがこの世にあるのです」「女たちよ、呪いから自由になりましょう」というようなことが書いてあった。つまりさあ、と友人は言った。あなたはここに書かれている「女」じゃないのよ。だから呪われし女たちがあんたを見て腹を立てるのよ。女のなりをしているくせに「女」じゃないから。

 わたしは戸籍も性自認も女性である。女ものの服を着て化粧をしている。でもわたしは「女」じゃないのだ。呪いがかかっていないから。どうしてかしら、と友人が訊く。どうしてあなたには呪いがかからなかったのかしら。それはねとわたしは言う。わたしには魔女がいなかったからですよ。

 「女」たちに最初に呪いをかけるのは両親である。わたしの世代が子どもだったころ、子育てはほぼ母親に丸投げされていたから、最初の呪いをかけるのは多くが母親だった。母親たちは「よい女の子」を育てようとする。かわいくて愛されて選ればれる、きちんとした女の子を育てようとする。それが昨今「呪い」と呼ばれているものの内容なのだと思う。すなわち、母親は魔女、娘は姫、そして魔女はかつての姫である。

 わたしには魔女がいなかった。母親はいたけれど、彼女には魔女になる能力がなかった。「どんなひどい親であっても子どもは親の愛を求める」という言説があるが、あれは嘘である。わたしは自分の親みたいなのに愛されてもしょうがないと思っていた。わたしの母親はわたしにカネのかかることを禁じ、延々と家事をさせた。また、たとえば洗面や入浴のさいには洗濯かごにはいっている親や弟が使ったあとのタオルを使うようにしつけていた。それは家庭内の労働力を得てコストを下げるためだけのおこないではなかった。彼女はわたしに「身分」をわからせたかったのだと思う。わたしが十五歳になったころ、彼女は叫んだ。お母さんのことバカにしてるんでしょ! あんたはずっとそう! よくわかりました、とわたしは思った。よくわかりましたねえ、バカのわりに。

 だからわたしには呪いがかからなかった。「よい女の子」に育てようとして手をかける「よい母親」がいなければ、呪われた女は育たない。