傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

メイクと実存

 年に一度、友人にメイクを習いに行く。友人は何段にも分かれたメイクボックスを持っていて、いくつかの色をわたしの顔にあてる。彼女は眉の描き方を修正し、アイカラーとアイライナーを変えて塗り方を教示し、新しいアイテムとしてハイライトをわずかに使うことを提案して、実際に塗ってくれた。

 わたしは彼女の指示をメモする。彼女がつくってくれた「今年のわたしの顔」を撮影する。彼女はアイカラーをふたつくれる。いくらでも買っちゃうから、もらって、と言う。メイクボックスの薄べったい抽斗に目をやると、ずらりとアイカラーが並んでいる。必要があってこんなに買うのではないの、と彼女は言う。だからあげても問題はないの。コスメを買いすぎるのはね、実存の問題ですよ。

 実存の問題、とわたしは言う。実存の問題、と彼女も言う。そうしてぱたりとメイクボックスを閉じる。

 わたしは母の鏡台を思い出す。父方の祖母のお下がりで、ものすごく古かった。そこは家の中で母に与えられたただ二つの場所のうちのひとつだった。台所と物置部屋の鏡台の前。母はそこに正座し、紅筆で中身をこそげながら口紅を使っていた。口紅だけは毎日塗っていたように思う。

 母は美しい人だった。分家のお嫁さん全員と比べてもいちばんきれいだと親戚たちが言っていた。まあ、そういう取り柄でもないと、嫁に取ってもらうはずもないよな、と彼らは言って、笑った。そうそう、あと、あのでけえおっぱいな。

 母はわたしを小型の自分にしたかったのだと思う。そして旧弊な田舎の地主の「嫁」である自分を肯定してほしかったのだと思う。でもわたしはものすごく生意気な子どもで、中学生にもなると図書館で本を読み、人類は平等だ、と思っていた。威張るだけの父とぼんくらな兄が座りっぱなしでテレビを見る食卓、母とわたしが「お世話」して彼らの言うことにへつらわなければ彼らの「ご機嫌」が悪くなる食卓。年に何度もやってきて飲み食いして「お接待」をさせる親戚の男ども。ばかみたいだと思っていた。

 わたしは台所で下仕事をしながら母と言い争うようになった。母はあまり頭の回転の早い人ではなかった。母はまずわたしを無視し、次に「そんなこと言われたらお母さん何にもお話できなくなっちゃう」と泣き声を出した。母はわたしが台所に入ると強い緊張を漂わせるようになった。そして「お母さん具合悪くなっちゃった」と繰りかえすようになった。

 わたしは容赦しなかった。わたしは高校生で、こんな家にずっといるくらいなら野垂れ死にしたほうがマシだと思っていた。母もきっとそうだと、どこかで思っていた。母の具合が悪くなるとしたら、それはわたしのせいではなく、このろくでもない家のせいだ。そう思っていた。だから言いたいことを言った。母はある日、とうとう金切り声を上げた。じゃあ、あんたがわたしを養えるっていうの、ええ?

 わたしは黙った。この人は、と思った。この人は、土地持ちの「本家」を出て行くなら、自分を養えと言っているのだ。高校生の娘に向かって。わたしはそのことを、三秒かけて理解した。そして気が遠くなるほど母を憎んだ。

 母はシンデレラだった。美しさと「心ばえ」のほかに取り柄のない女だった。美しいシンデレラは王子さまに「見初められて」お城のような大きな家に嫁ぎ、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。そういう人生を送ってきた人だった。

 母はわたしが兄よりはるかにいい成績を取り続けても一度だってほめてくれなかった。母はわたしが十二歳のとき親戚に胸を触られて泣いて台所に逃げ込んで訴えても「冗談でしょ」としか言わなかった。それでも、十七歳のわたしはこう言うつもりだったのだ。わたしが東京の大学に入ったら、お母さんも来ていいよ、ふたりで住んだらどうにかなるよ。

 わたしは鏡を見た。いけない、と思った。この顔はなんだ、まるっきりシンデレラの顔じゃないか。シンデレラになるくらいだったら野垂れ死にしたほうがましだ。わたしはシンデレラじゃない女になって、お城も王子さまも要らない女になって、そしてシンデレラより美しくなるんだ。そうすれば美しさしか取り柄のないあの女を完膚なきまでに叩きのめすことができる。

 わたしは大学を卒業して就職して王子さまじゃない男とお城じゃない家に住んで家賃を折半している。そして年に一回、友人にメイクを習う。友人が言う。新しいメイクを工夫したいっていう相談は、ときどきあるけどさ、それが毎年の帰省の前っていうのは、なんていうか、変わってる。わたしはこたえる。うん、ちょっと、実存の問題でね。

切り離された跡

 勤務先は単科病院としては小さくない規模で、それでも医師はわたしを入れて十人。非常勤を入れてローテーションを組む。コメディカルの人数も知れたもので、全員で助け合わなければやっていられない。専門性と年齢とキャリアは考慮するけれど、負担は比較的平等に、事情があれば交代して、できるだけ風通しよくしたいと、おそらく八割がたの人間がそう思っている。やさしいからじゃなくて、そのほうが合理的だから。

 おはようございます、とわたしは言う。おはようございます、と今日の手術パートナーが言う。現代医療は標準化されていて、しかもチーム仕事で、だから「名医」というものは存在しない。標準を守れば飛び抜けようがないし、飛び抜ける必要がない。だめな人間が消えていくだけだ。それが合理というものである。

 手術の準備をする。この医院の手術はほぼすべてが内視鏡で済むものだ。人死にが出るようなものではない。患者さんが亡くなることはもちろんあるが、原因は手術ではない。だから手術はそれほど激しい疲労をともなう業務では実はない。個人的にはガン告知のほうがよほどしんどい。告知にも二種類あって、ざっくり言えばすぐ死にますという意味の告知としばらくしてから死にますという意味の告知があり、前者のしんどさは独特である。何かがごっそり持って行かれる感じがする。

 人死にには慣れている。人間は何にでも慣れる。あなたは遠からず死にますと宣言することにも、だから慣れる。わたしは「とても心を痛めながら冷静を装っている」かたちの仮面をつけてそれをする。わたしは慣れている。慣れているという事実こそがわたしの何かを切り離して持っていくのかもしれなかった。

 今日はその仕事ではない。患者さんの皮膚をちょっと切らせてもらってすいすいと内視鏡手術をやるだけの仕事である。執刀はベテラン二名、何も問題はない。すぐ終わる。わたしは冷蔵庫の中身を思い浮かべる。帰りに何を買ってどんな料理をしようか考える。娘の受験のことを考える。

 職場での負担は合理的に、とわたしたちは思っている。でも今日のケースはもしかするとそうではない。ローテーションでいればわたしの「当番」ではない。今日の患者さんはHIVキャリアで、その場合は常勤医師のうち年長組四名のうち二名が担当するという決まりごとがあって、そのためにわたしが当番を代わった。

 HIVキャリアの手術だから危険なのではない。感染の可能性はない。ウィルスは適切にコントロールされており、執刀者が自分を傷つけて患者さんの傷につけたってたぶん感染はしない。まともにやっていれば可能性はゼロだ。だから少しも怖くはない。怖いというなら医療訴訟や強烈な難癖のほうがよほど怖い。しんどいというならガン告知のほうが(けっこう多く発生する仕事であるにもかかわらず)よほどしんどい。

 HIVキャリアの患者さんの手術を年長組だけがするというこの職場の決まりごとは、ほんとうは合理的ではない。「すごく危険だから若い人にはやらせない」というのではないのだ。だって、危険ではない。

 合理には限度がある。わたしたちは実はそれを認めてもいる。わたしたちは最終的に合理的でない。わたしたちは理不尽な忌避感情から逃れることができない。そうなのだと思う。だから誰ひとり「HIVキャリアの患者さんの手術はシニア組の医師だけが執刀する」という決まりごとに意義を唱えない。わたしも唱えない。

 手術を終える。こんなにも近いのに、とわたしは思う。わたしは刃物でもって他人(患者さん)に侵襲したというのに、物理的にはこれ以上ないくらい近づいたのに、この人がどう感じているのか、理解していない。そう思う。もちろん、この医院のささやかな決まりごとを知ったところで、この患者さんは気を悪くしたりはしないだろう。でもそれが今までこの患者さんがさらされてきたであろう巨大な偏見の延長線上にあることは、きっと感じるだろう。わたしたちが合理的じゃないことを、この人はきっと、わかるだろう。そう思う。 

 勤務時間が終わる。わたしは職業的な仮面をはずす。人情味のある気さくな医者の顔をはずす。着替えるときに自分のからだをちょっとさわる。いつからか覚えていないが、勤務終わりにそうするくせがついた。たぶん確認しているのだと思う。仕事はわたしに多くのものを与える。でも仕事はわたしから必ず何かを持っていく。ガン告知のようにわかりやすくなくても、ひとつひとつの仕事が、わたしの何かを持っていく。今日持って行かれたもののかたちを、わたしは思い浮かべる。

このタイトルちょっと高尚なんで変えてもらっていいですかね

 出版市場は実は縮小していない。出版される本の数は増えている。大ヒットが出にくい、書き手と出版点数の増加でパイが小さくなって専業作家が成立しにくい、作家以外の職も担い手が分散している、そういう状態である。

 わたしの職能は雑誌編集、単行本企画、ライティング。特技は特急テープ起こしと他人の原稿の校閲。さる老舗出版社の専業校閲さんから「校閲部門希望で入社試験を受けてもいい」と褒めてもらったことがある(誇らしい)。一緒に育った妹に言わせれば、「お姉ちゃんはちっちゃいときから、字が書いてある紙の束があればだいたいOKなんだよね」とのことである。たぶん死ぬまでそうなんだと思う。

 勤務先に大きな不満があったのではない。それでもわたしは十数年つとめた出版社をやめた。会社員生活よりフリーランスのほうが(たとえ収入が激減しても)総合的に幸福な人生を送れると判断したからだ。わたしは元勤務先やつきあいのあった出版社から仕事を取り、エージェント的な中継ぎ事務所を通してWeb媒体や自治体からの請負もするようになった。

 企画と取材とライティングを担当した原稿を一本納品した。元請けメディアの担当者がさっそく電話をかけてきた。どうもどうも、お世話になっております、拝読しました、はい、全文ママでOKです、いいですね、さすがの文章力、この独特の文体、僕、大好きなんですよ。元請けはそのように流暢な職業的世辞を口にし、それから、ちょっと口ごもった。あの、原稿のタイトル、ちょっと高尚なんで変えてもらっていいですかね。

 高尚、とわたしは言った。この原稿ではそんなに難しい言葉遣いはしていない。漢字だって中学生にも読めそうなやつしか使ってない。そう思って黙っていると、えっと、と元請けは間を取った。このタイトルはですね、美しいです、美しいですが、少し格調が高いといいますか、フックとしてダメなんです、うちの媒体だと。格調が高いというのは、簡単に言いますと、共感を呼ばないということです。もっと言うと、うっすら何様感があるってことです。

 もしかしておわかりにならないかもしれないですけど、今の、紙媒体でもWeb版をつくってタイトルをばんばんSNSに流して読者を取ってくるスタイルでは、大半の人が、なじみのない単語や言い回しを好まないです。「自分にはわからないことが書かれている」「お呼びじゃないと思われている」という印象を持つからです。一瞬の印象で、誰もほとんど気にしちゃいないけど、でも薄く、薄く、どこかで、「高尚」は、不愉快なんです、僕らみたいに数字を取ろうとする人間は、その空気を、毎日毎日吸っているんです、たぶんご存知ないだろうけど。

 ご存知なくて、まあいいんですけど、原稿を載せる側は、SNSで流したときに「自分には関係のないタイトル」と思わせたら負けなんです。だからタイトルだけは変えてください。あるある感、親しみ感ください。クリックさせれば、こっちのものなんで、特別感とかツヤ感は、この本文読めば一発なんで、タイトルにはいりません。

 わかりました、とわたしは言った。そして親しみ感とあるある感を盛り込んだタイトルを三案作って送った。OKが出た。第一稿送信当日に納品完了、スムーズな仕事である。わたしは請求書をつくる。つくりながら思う。

 わたしは辞書が好きだった。知らないことばを好きだった。子どものころ、わたしの世界は狭かった。妹は外に飛び出して知らない路地を駆け、わたしは本をひらいて知らないことばを辞書で引いた。そのようにして子どもは世界を広げるものだとわたしは思っていた。でも今の子どもは路地を走らない。安全でないからだ。

 妹は小学生の時分に隣町まで自転車を飛ばして迷子になって警察官に送ってもらったことがある。両親にしこたま叱られた妹を尻目に、本は安全でいいなあ、とわたしは思っていた。毎日派手に冒険をしても、危険な目には遭わないのだもの。

 でも、いまの世界の多くの人にとって、知らないことばは、安全じゃないのかもしれなかった。今の時代にあって、「共感させない」文章は、もはや悪に近いのかもしれなかった。わたしはごく少数の親密な人々以外からの「共感」がほしいと思うことが少なかった。だからわたしは今の時代に合わないのかもしれなかった。わたしは未知を、発見を、驚きを愛していた。文章を読めばそれが手に入ると思って、自分でもそれを提供したいと思っていた。でもそういう需要は遠からずなくなるのかもしれなかった。わたしはぼんやりと自分のポートフォリオをながめ、身の振り方について思案した。

呪いをかけられなかった娘

 三十歳前後からまわりの女たちの半分くらいが変な感じになった。結婚するとかしないとかできないとかしたくないとか、そういうことをやたらと言うようになった。わたしは全員に「そお」とこたえた。そんなの好きにすりゃあいいじゃんねえ、と思った。日本における結婚は自由意思に基づく契約行為である。契約内容は民法で決まっていて、その効力は当人二名のあいだに及ぶ。それから養育される子どもや相続が発生しうる親族には関係がある。でもそれ以外にはまったく関係がない。どうして契約主体でない他人の結婚をとやかく言うのか。まして友人の結婚相手なんか完全にどうでもいい人である。そんなのをやいやい話の種にするなんて変だなと思った。

 結婚しないのかとわたしに訊く友人もあった。わたしは何も考えず「しない」とこたえた。どうしてと問うので「必要ないから」とこたえた。あれはないわ、と同席していた別の友人があとから言った。あれは嫌われるわ。

 なにが「ない」のか知らない。知らないが、わたしを嫌うのであれば会う必要もない。生きていれば誰かに嫌われたり好かれたりする。そんなのはしかたのないことである。でも少し気をつけようと思った。よぶんなことは言わないようにしようと思った。

 三十代終盤にかかると今度は子どもがいるとかいないとかキャリアがどうこうとか生活ぶりがどうこうとか、そういう話をよく聞かされるようになった。わたしは全員に「そお」と言った。みんなおたがいのことをよく知っているみたいだった。SNSで見ているのだと誰かが言った。どうしてSNSをやらないのと誰かがわたしに尋ねた。わたしは「必要ないから」とこたえた。それから、しまった、と思った。十年たってもまったく成長していない。わたしには理解できないが、自分が必要としているものを他人が(たとえばわたしが)必要としていないこと、それをはっきり言われることを嫌う人が世の中にはいるのである。わたしはそれを十年前に理解したはずだったのだ。そして気をつけようと思ったはずなのだ。忘れていた。

 友人が勉強しなさいと言って本をいくつか貸してくれた。そこには「女はきれいでいなくてはならないというのは呪いです」「女だから料理ができなくちゃ、家をきれいにしていなくちゃ、というのは呪いです」「女に生まれると自信がなくなるようなしくみがこの世にあるのです」「女たちよ、呪いから自由になりましょう」というようなことが書いてあった。つまりさあ、と友人は言った。あなたはここに書かれている「女」じゃないのよ。だから呪われし女たちがあんたを見て腹を立てるのよ。女のなりをしているくせに「女」じゃないから。

 わたしは戸籍も性自認も女性である。女ものの服を着て化粧をしている。でもわたしは「女」じゃないのだ。呪いがかかっていないから。どうしてかしら、と友人が訊く。どうしてあなたには呪いがかからなかったのかしら。それはねとわたしは言う。わたしには魔女がいなかったからですよ。

 「女」たちに最初に呪いをかけるのは両親である。わたしの世代が子どもだったころ、子育てはほぼ母親に丸投げされていたから、最初の呪いをかけるのは多くが母親だった。母親たちは「よい女の子」を育てようとする。かわいくて愛されて選ればれる、きちんとした女の子を育てようとする。それが昨今「呪い」と呼ばれているものの内容なのだと思う。すなわち、母親は魔女、娘は姫、そして魔女はかつての姫である。

 わたしには魔女がいなかった。母親はいたけれど、彼女には魔女になる能力がなかった。「どんなひどい親であっても子どもは親の愛を求める」という言説があるが、あれは嘘である。わたしは自分の親みたいなのに愛されてもしょうがないと思っていた。わたしの母親はわたしにカネのかかることを禁じ、延々と家事をさせた。また、たとえば洗面や入浴のさいには洗濯かごにはいっている親や弟が使ったあとのタオルを使うようにしつけていた。それは家庭内の労働力を得てコストを下げるためだけのおこないではなかった。彼女はわたしに「身分」をわからせたかったのだと思う。わたしが十五歳になったころ、彼女は叫んだ。お母さんのことバカにしてるんでしょ! あんたはずっとそう! よくわかりました、とわたしは思った。よくわかりましたねえ、バカのわりに。

 だからわたしには呪いがかからなかった。「よい女の子」に育てようとして手をかける「よい母親」がいなければ、呪われた女は育たない。

なりふりかまわず手当たりしだい

 自宅のある階でエレベータを降りようとしてそれに気づいて指が痛くなるほど強く「閉じる」ボタンを押した。見るな、見るな、こちらに顔を向けるな。エレベータが一階に降りても恐怖は消えず、あとも見ずに走った。

 LINEでつかまった女友達に通話を頼んで、言う。ユキコがマンションの部屋の前で待ってるんだけど。いや別れた、ていうか、そもそも、つきあってない、いずれにしてももう会えないって言ったんだけど、オートロックって役に立たないね、ドアの外から動かなかったらどうしよう。

 女友達は言う。管理会社に連絡しなよ。管理人さんか警備員さんに声かけてもらったらいいと思う。

 僕は少しむっとする。こいつ、わかってねえな、と思う。そして言い聞かせる。そんなことしてユキコの親や会社が知ることになったらどうするんだ。かわいそうじゃないか。もちろん僕だっておおごとにはしたくない。

 女友達は言う。そしたら誰かに頼んでユキコがその場から離れたかチェックしてもらいなよ。人間はトイレ行くし飲食が必要だからユキコだって必ずその場を離れるよ。そしたら家から貴重品一式持ってウィークリーマンションにでも移って引っ越し物件をあたって、「おまかせ引っ越しパック」を手配しなよ。

 僕は黙る。どうもおかしい。尋ねる。ユキコからなんか聞いてるんだ?

 そりゃあねえ。女友達の声は平坦だった。わたしはたしかに、ユキコとそんなに仲良くはないけど、でもユキコは去年実家に戻ってきてから、もう手当たり次第なんだよ。木村くん、自分だけだと思った? 男だけだと思った? そんなわけないじゃん。全員が対象だよ、たぶん。うん、昔はそんな人じゃなかったよね。 わたしも「えっ」と思ったし、残念だよ、でも今はちがうんだから、しょうがないよ。ユキコはあのグループLINEのほとんど全員になりふりかまわずしがみついているんだよ。女にも男にも「相談」のLINEを送りまくって、女からは同情とケアを、男からは恋愛っぽい関係を、引っ張りだそうとしているの。とてもつらいのだろうと思う。でもわたしには何もできない。そういう状態のユキコの誘いに乗っかった木村くんにできることもない。

 あのグループLINEって、メーリングリストを引き継いで誰かが作ったんだよねえ。塾が一緒だったっていうだけで、よく保ったよね。わたしたち可愛い中学生だったよね。でももうそうじゃないんだ。ユキコはまだ法律上結婚しているのに誘いに乗るなんて、木村くんも焼きが回ったんじゃないの。

 木村くん、あのグループLINEに元カノが二人いるでしょう。二十代半ばあたりでそういう関係になった人たち。それはもちろん問題ないよ、でも、中学生のときの塾のメンバーにあらためてアプローチするくらいには彼女を途切れさせたくない人なんだなってことは、わかる。彼女たち、すごーく未練があったみたいだよ、木村くんに。

 それでさ、木村くんみたいな人って、年とっても同じようなことするんだよね。つまり、常に誰かが自分を追いかけて、自分に執着して、自分の世話を焼きたがって、自分のアテンションをほしがる状態をつくる。関係が安定するとだめなんだ、常に相手から大量の感情が自分に来ていないといやなんだ。わたしは、想像で言ってるけど、木村くんって、たぶん、そうでしょ。女と寝て向こうが彼女面するようになったら別れるんでしょ。

 木村くんが二十代後半から三十代まであのグループLINEのメンバーに手を出さなかったのは、単にほかで交際相手を調達できたからじゃないかと、わたしは思うんだよね。でもユキコが結婚相手とうまくいかなくて実家に帰ってきて「相談」してきたら、ほいほい自分の部屋に呼んだんだよね。四十路ともなると木村くんもモテ度が下がってきたのかね。それでも誰かが自分に執着して自分がその相手を捨てる立場にならないと気が済まない? わたしに「相談」してうまくもっていけば次の相手になると思った?

 通話を切った。LINEのアカウントを非表示にして連絡先を消した。これで先方から連絡があってもこちらからは見えない。あの女は今ごろ僕のアカウントに向かってテキストメッセージを送りつけているだろう。明日になっても明後日になっても一ヶ月経っても未読無視が積み上がるばかりだ。僕に二度と連絡できないと知って、後悔するだろう。なんせ、とっくに賞味期限切れの、しかも顔面偏差値40の女だ。

 指をスライドさせて新しいアカウントを表示する。そしてテキストメッセージを送る。家に帰れなくなって困ってる。

ユキコはいい子、いつも、ずっと

 ユキコはまじめな女の子だった。わたしたちは中学生で、同じ塾に通っていた。保護者が熱心に勉強させている家庭の子が行くたぐいの塾で、入塾試験が難しいと評判だった。わたしは間違って入ってしまったみたいな感じで、いつもびりに近かった。ユキコは精鋭の中にあって上位25%のクラスにずっといる成績優秀な子どもだった。

 ユキコはきれいな女の子だった。ひょろひょろと背ばかり伸びて、中学一年生としても幼い印象だったけれど、細面の整った顔だちで、所作が端正だった。毎朝きっちり編んだ三つ編みを崩すことなく、塾の入り口のベンチで親の迎えを待っているときにも背筋がぴんと伸びているのだった。

 わたしとユキコはクラスがちがったけれど、親の迎えがときどき遅れることは共通していた。塾の入り口にはそうした子どもたちを想定してか、いくつかのベンチがあり、わたしたちはそこで仲良くなった。ベンチのそばには紙カップが出てくるタイプの自動販売機があった。仲良くなった夏にわたしが飲んでいたのはカルピスサワーで、ユキコが飲んでいたのははちみつレモンだった。

 わたしは月に二度はユキコの家に行った。ユキコはこぎれいな個室を与えられていて、折りたたみ式のプラスティックの小さなローテーブルを出してくれた。わたしたちはそこにノートを広げた。ユキコのお母さんが子ども部屋を見に来たときのアリバイづくりだった。わたしたちはひそひそ声でそれぞれの学校の話をし、ローティーン向けのファッション誌を両側から見た。

 ユキコはときどき居眠りをした。わたしはそれを見ていた。ユキコのお母さんが来たらすぐ起こそうと思っていた。でもユキコはいつもすぐに起きてしまって、実際にそれが必要になった記憶はない。ユキコは子どもなのに疲れていた。ユキコはすごくよく勉強していた。小学校から私立に通っていて、中学校はさらに別の学校を受験したのだと言っていた。わたしはユキコが眠っているのを見るのが好きだった。年齢よりも幼い、痩せているのに丸顔の、その眉間のこわばりが外れて、赤ちゃんみたいな顔になるんだ。

 ユキコのご両親はユキコが疲れていることをたぶん知っていた。塾にいるほかの私立の生徒の親はわりとナチュラルに「区立の子」「D(塾でいちばん成績が低いクラス)の子」を自分の娘や息子から遠ざけていた。あからさまな蔑視ではなくて、「うちとは違うでしょ」という態度で、それを子どもがまねるのだった。

 でもユキコのご両親は「区立でDクラスの子」であるわたしを許容していた。ユキコのお母さんは、一度だけその理由みたいな話をした。晩ごはんをご馳走になって、ユキコが席を立ったタイミングだったと思う。小さい声だった。ユキコはいい子すぎるの。がんばりすぎていると思うの。だから、なんていうのかしら、ユキコがほかの環境の子とお友だちになるのが、おばさん、とっても嬉しいの。

 ユキコは私立の女子高校に、わたしは都立高校に進んだ。それでもユキコとはときどき会った。ユキコはいい子のままだった。名門高校から名門大学に入り、早すぎも遅すぎもしないタイミングで彼氏を作り、三年つきあった相手と二十七歳のときに結婚した。ほどなく赤ちゃんが生まれた。実家に帰りがてら、わたしにも赤ちゃんをだっこさせてくれた。その後、しだいに連絡が間遠になった。三十代半ばを過ぎると、わたしからの年賀状にも返信がなくなった。

 そのユキコから突然連絡があった。実家に帰ってきているというのだ。わたしは大急ぎで予定をあけてユキコに会った。ユキコは『VERY』みたいな格好をしていた。夫が毎日のように暴言を吐くこと、最近は「手をあげる」こと、子どもが自分を軽んじて一緒に来てくれなかったことなどを、ユキコは話した。

 わたしはユキコの話をたくさん聞いた。その日だけでなく、いくつかの平日の夜と休日の昼に。会うよりもLINE通話が多かった。ユキコはなかなか通話を切らせてくれなかった。一時間でも二時間でも、ユキコは話した。夫がいやがるから女友達にも連絡をあまりしなかったこと。夫は子どもができるまでとてもやさしかったこと。夫の好みがとてもうるさいこと。子どもが幼稚園のころまで後追いをしてたいへんだったこと。

 わたしはDV被害者に対する公的支援を調べ上げてユキコのLINEに送った。仕事と家族の事情で忙しいと嘘をついて通話を避けた。同じ塾だった別の友達からユキコがいろんな女たちに「相談」して通話を切らせてくれないこと、いろんな男たちに「相談」して「恋愛」をしていることを聞いた。

 ユキコはいい子だった。とてもいい子だった。きっと今でも。

シンデレラボーイの妻

 夫のことをよく知らない。

 夫と知り合って十五年、結婚して十二年になる。わたしは夫の仕事の内容や給与や日常のルーティンや食べ物の好みを知っている。何に対してセンシティブで何について無関心かだいだい把握している。暇になるとすることのパターンもわかっている。小学生の息子に対する教育方針を話し合う過程で新しくわかることもある。夫婦の会話は多いほうだと思う。

 夫は繁忙期だけ帰りが遅い。この時期は夜半まで帰らない。息子が宿題の話をする。自分のルーツを知る、というような宿題が出ているのだという。ルーツ、とわたしは思う。

 そして思い出す。わたしは夫の過去を知らない。夫の親や親族に会ったことがない。夫の古い友だちに会ったこともない。それどころか新しい友だちにも。わたしは夫のことを、実は知らない。わたしと一緒にいるのではないときの、夫のことを。

 そんなことって、あるんですか。友人が言う。あるんですとわたしはこたえる。結婚前に親族とは疎遠だと聞いたので、そのうち事情を話すだろうと思ってそっとしておきました。それきり忘れていました。考えないようにしていたのかもしれない。結婚式はハワイで挙げました。招待客はわたしの親きょうだいだけです。そのあとわたしの親しい友だちも何人か紹介しています。だから夫はわたしのことを知っています。でもわたしは夫の関係者に会ったことがないんです。出身地と出身校と職歴は聞きました。それだけです。就職試験で提出するくらいの情報量ですよね、これって。

 生まれた家と疎遠な人はいます、と友人は言った。だから親族に会わせないというのは、うん、わかります。事情を話さないのも、その人の選択です。たとえ結婚相手にだって言いたくないことはあるでしょう。ふたりがよければそれでいいんです。しかしいくらなんでもほかに親しい人がいるでしょう。友だちとか、仲の良い同僚とか。会う以前に会話に出てくるでしょう、親しい人の話、するでしょう、恋人とか結婚相手に。しないんですか、彼は。

 しない。一度もしたことがない。上司の愚痴や同僚への評価は口にすることがあるけれど、親しいようすではない。夫には友だちがいないのかなと思っていた。わたしがそのように説明すると友人はちょっと黙り、悪いことではない、と言った。友だちが必要ない人もいます。しかし過去の話がゼロというのは、えっと、ちょっと、想像がつかないです、えっと、たとえば、子どものころ卵アレルギーだったとか、バスケ部だったとか、過去につきあった相手と別れたのは主に相手の浮気によるとか、大学生のときにはじめて海外旅行をしたとか、そういうのも話さないんですか。話さないということが可能なんでしょうか。

 可能なのだ。だって彼はそうしてきたのだから。わたしたちはわたしが二十四、彼が二十八のときに出会って、彼が話題にするのはその後のことばかりで、そうして十五年を過ごした。彼はわたしの昔を知っている。わたしは彼の二十八より前のことを何も知らない。

 友人が言う。彼はラッキーですね。お話を伺っていると、彼には人間関係の資産がほとんどなかった。理由はわからないけど、徹底してゼロだった感触があります。でも彼はあなたと一緒になって急にリッチになったのです。シンデレラみたいだ。

 人間関係は資産ですよと友人は言う。子育てを手伝ってくれたのは誰ですか。あなたのお母さんと、それからお父さんですよね。ああ、お兄さんとその配偶者もいろいろ良くしてくれたんですか、うん、従兄弟同士も仲がいいと。それであなたのお友だちが家に遊びに来たりもするんですよね。いろいろな話をして笑ったりする。マンションの自治会のおつきあいもあるんですよね。そういうのは、資産です。親密さは人生の資産です。なくても平気な人はいるけど、彼は平気じゃないから結婚したんでしょう。そしてあなたは彼に個人的な関係性のすべてを提供した。彼の親密な対象、彼の助け合う相手のすべてをプレゼントしたんだ。なんという玉の輿。あなたはまるでシンデレラにプロポーズした王子さまですよ。

 夫はシンデレラになりたかったんでしょうか。わたしは言う。わたしが、夫を好きになったから、わたしの都合で、親しい人間関係のある世界に引きずり込んだのじゃあないですか。ほんとうは夫は、そんなの必要なかったかもしれないじゃないですか。

 それはわからないですねえと友人は言う。シンデレラじゃなくって、かぐや姫だったとしても、もう月に帰るのもめんどくさくなってるんじゃないですか。子どももいることだし。