傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

このタイトルちょっと高尚なんで変えてもらっていいですかね

 出版市場は実は縮小していない。出版される本の数は増えている。大ヒットが出にくい、書き手と出版点数の増加でパイが小さくなって専業作家が成立しにくい、作家以外の職も担い手が分散している、そういう状態である。

 わたしの職能は雑誌編集、単行本企画、ライティング。特技は特急テープ起こしと他人の原稿の校閲。さる老舗出版社の専業校閲さんから「校閲部門希望で入社試験を受けてもいい」と褒めてもらったことがある(誇らしい)。一緒に育った妹に言わせれば、「お姉ちゃんはちっちゃいときから、字が書いてある紙の束があればだいたいOKなんだよね」とのことである。たぶん死ぬまでそうなんだと思う。

 勤務先に大きな不満があったのではない。それでもわたしは十数年つとめた出版社をやめた。会社員生活よりフリーランスのほうが(たとえ収入が激減しても)総合的に幸福な人生を送れると判断したからだ。わたしは元勤務先やつきあいのあった出版社から仕事を取り、エージェント的な中継ぎ事務所を通してWeb媒体や自治体からの請負もするようになった。

 企画と取材とライティングを担当した原稿を一本納品した。元請けメディアの担当者がさっそく電話をかけてきた。どうもどうも、お世話になっております、拝読しました、はい、全文ママでOKです、いいですね、さすがの文章力、この独特の文体、僕、大好きなんですよ。元請けはそのように流暢な職業的世辞を口にし、それから、ちょっと口ごもった。あの、原稿のタイトル、ちょっと高尚なんで変えてもらっていいですかね。

 高尚、とわたしは言った。この原稿ではそんなに難しい言葉遣いはしていない。漢字だって中学生にも読めそうなやつしか使ってない。そう思って黙っていると、えっと、と元請けは間を取った。このタイトルはですね、美しいです、美しいですが、少し格調が高いといいますか、フックとしてダメなんです、うちの媒体だと。格調が高いというのは、簡単に言いますと、共感を呼ばないということです。もっと言うと、うっすら何様感があるってことです。

 もしかしておわかりにならないかもしれないですけど、今の、紙媒体でもWeb版をつくってタイトルをばんばんSNSに流して読者を取ってくるスタイルでは、大半の人が、なじみのない単語や言い回しを好まないです。「自分にはわからないことが書かれている」「お呼びじゃないと思われている」という印象を持つからです。一瞬の印象で、誰もほとんど気にしちゃいないけど、でも薄く、薄く、どこかで、「高尚」は、不愉快なんです、僕らみたいに数字を取ろうとする人間は、その空気を、毎日毎日吸っているんです、たぶんご存知ないだろうけど。

 ご存知なくて、まあいいんですけど、原稿を載せる側は、SNSで流したときに「自分には関係のないタイトル」と思わせたら負けなんです。だからタイトルだけは変えてください。あるある感、親しみ感ください。クリックさせれば、こっちのものなんで、特別感とかツヤ感は、この本文読めば一発なんで、タイトルにはいりません。

 わかりました、とわたしは言った。そして親しみ感とあるある感を盛り込んだタイトルを三案作って送った。OKが出た。第一稿送信当日に納品完了、スムーズな仕事である。わたしは請求書をつくる。つくりながら思う。

 わたしは辞書が好きだった。知らないことばを好きだった。子どものころ、わたしの世界は狭かった。妹は外に飛び出して知らない路地を駆け、わたしは本をひらいて知らないことばを辞書で引いた。そのようにして子どもは世界を広げるものだとわたしは思っていた。でも今の子どもは路地を走らない。安全でないからだ。

 妹は小学生の時分に隣町まで自転車を飛ばして迷子になって警察官に送ってもらったことがある。両親にしこたま叱られた妹を尻目に、本は安全でいいなあ、とわたしは思っていた。毎日派手に冒険をしても、危険な目には遭わないのだもの。

 でも、いまの世界の多くの人にとって、知らないことばは、安全じゃないのかもしれなかった。今の時代にあって、「共感させない」文章は、もはや悪に近いのかもしれなかった。わたしはごく少数の親密な人々以外からの「共感」がほしいと思うことが少なかった。だからわたしは今の時代に合わないのかもしれなかった。わたしは未知を、発見を、驚きを愛していた。文章を読めばそれが手に入ると思って、自分でもそれを提供したいと思っていた。でもそういう需要は遠からずなくなるのかもしれなかった。わたしはぼんやりと自分のポートフォリオをながめ、身の振り方について思案した。

呪いをかけられなかった娘

 三十歳前後からまわりの女たちの半分くらいが変な感じになった。結婚するとかしないとかできないとかしたくないとか、そういうことをやたらと言うようになった。わたしは全員に「そお」とこたえた。そんなの好きにすりゃあいいじゃんねえ、と思った。日本における結婚は自由意思に基づく契約行為である。契約内容は民法で決まっていて、その効力は当人二名のあいだに及ぶ。それから養育される子どもや相続が発生しうる親族には関係がある。でもそれ以外にはまったく関係がない。どうして契約主体でない他人の結婚をとやかく言うのか。まして友人の結婚相手なんか完全にどうでもいい人である。そんなのをやいやい話の種にするなんて変だなと思った。

 結婚しないのかとわたしに訊く友人もあった。わたしは何も考えず「しない」とこたえた。どうしてと問うので「必要ないから」とこたえた。あれはないわ、と同席していた別の友人があとから言った。あれは嫌われるわ。

 なにが「ない」のか知らない。知らないが、わたしを嫌うのであれば会う必要もない。生きていれば誰かに嫌われたり好かれたりする。そんなのはしかたのないことである。でも少し気をつけようと思った。よぶんなことは言わないようにしようと思った。

 三十代終盤にかかると今度は子どもがいるとかいないとかキャリアがどうこうとか生活ぶりがどうこうとか、そういう話をよく聞かされるようになった。わたしは全員に「そお」と言った。みんなおたがいのことをよく知っているみたいだった。SNSで見ているのだと誰かが言った。どうしてSNSをやらないのと誰かがわたしに尋ねた。わたしは「必要ないから」とこたえた。それから、しまった、と思った。十年たってもまったく成長していない。わたしには理解できないが、自分が必要としているものを他人が(たとえばわたしが)必要としていないこと、それをはっきり言われることを嫌う人が世の中にはいるのである。わたしはそれを十年前に理解したはずだったのだ。そして気をつけようと思ったはずなのだ。忘れていた。

 友人が勉強しなさいと言って本をいくつか貸してくれた。そこには「女はきれいでいなくてはならないというのは呪いです」「女だから料理ができなくちゃ、家をきれいにしていなくちゃ、というのは呪いです」「女に生まれると自信がなくなるようなしくみがこの世にあるのです」「女たちよ、呪いから自由になりましょう」というようなことが書いてあった。つまりさあ、と友人は言った。あなたはここに書かれている「女」じゃないのよ。だから呪われし女たちがあんたを見て腹を立てるのよ。女のなりをしているくせに「女」じゃないから。

 わたしは戸籍も性自認も女性である。女ものの服を着て化粧をしている。でもわたしは「女」じゃないのだ。呪いがかかっていないから。どうしてかしら、と友人が訊く。どうしてあなたには呪いがかからなかったのかしら。それはねとわたしは言う。わたしには魔女がいなかったからですよ。

 「女」たちに最初に呪いをかけるのは両親である。わたしの世代が子どもだったころ、子育てはほぼ母親に丸投げされていたから、最初の呪いをかけるのは多くが母親だった。母親たちは「よい女の子」を育てようとする。かわいくて愛されて選ればれる、きちんとした女の子を育てようとする。それが昨今「呪い」と呼ばれているものの内容なのだと思う。すなわち、母親は魔女、娘は姫、そして魔女はかつての姫である。

 わたしには魔女がいなかった。母親はいたけれど、彼女には魔女になる能力がなかった。「どんなひどい親であっても子どもは親の愛を求める」という言説があるが、あれは嘘である。わたしは自分の親みたいなのに愛されてもしょうがないと思っていた。わたしの母親はわたしにカネのかかることを禁じ、延々と家事をさせた。また、たとえば洗面や入浴のさいには洗濯かごにはいっている親や弟が使ったあとのタオルを使うようにしつけていた。それは家庭内の労働力を得てコストを下げるためだけのおこないではなかった。彼女はわたしに「身分」をわからせたかったのだと思う。わたしが十五歳になったころ、彼女は叫んだ。お母さんのことバカにしてるんでしょ! あんたはずっとそう! よくわかりました、とわたしは思った。よくわかりましたねえ、バカのわりに。

 だからわたしには呪いがかからなかった。「よい女の子」に育てようとして手をかける「よい母親」がいなければ、呪われた女は育たない。

なりふりかまわず手当たりしだい

 自宅のある階でエレベータを降りようとしてそれに気づいて指が痛くなるほど強く「閉じる」ボタンを押した。見るな、見るな、こちらに顔を向けるな。エレベータが一階に降りても恐怖は消えず、あとも見ずに走った。

 LINEでつかまった女友達に通話を頼んで、言う。ユキコがマンションの部屋の前で待ってるんだけど。いや別れた、ていうか、そもそも、つきあってない、いずれにしてももう会えないって言ったんだけど、オートロックって役に立たないね、ドアの外から動かなかったらどうしよう。

 女友達は言う。管理会社に連絡しなよ。管理人さんか警備員さんに声かけてもらったらいいと思う。

 僕は少しむっとする。こいつ、わかってねえな、と思う。そして言い聞かせる。そんなことしてユキコの親や会社が知ることになったらどうするんだ。かわいそうじゃないか。もちろん僕だっておおごとにはしたくない。

 女友達は言う。そしたら誰かに頼んでユキコがその場から離れたかチェックしてもらいなよ。人間はトイレ行くし飲食が必要だからユキコだって必ずその場を離れるよ。そしたら家から貴重品一式持ってウィークリーマンションにでも移って引っ越し物件をあたって、「おまかせ引っ越しパック」を手配しなよ。

 僕は黙る。どうもおかしい。尋ねる。ユキコからなんか聞いてるんだ?

 そりゃあねえ。女友達の声は平坦だった。わたしはたしかに、ユキコとそんなに仲良くはないけど、でもユキコは去年実家に戻ってきてから、もう手当たり次第なんだよ。木村くん、自分だけだと思った? 男だけだと思った? そんなわけないじゃん。全員が対象だよ、たぶん。うん、昔はそんな人じゃなかったよね。 わたしも「えっ」と思ったし、残念だよ、でも今はちがうんだから、しょうがないよ。ユキコはあのグループLINEのほとんど全員になりふりかまわずしがみついているんだよ。女にも男にも「相談」のLINEを送りまくって、女からは同情とケアを、男からは恋愛っぽい関係を、引っ張りだそうとしているの。とてもつらいのだろうと思う。でもわたしには何もできない。そういう状態のユキコの誘いに乗っかった木村くんにできることもない。

 あのグループLINEって、メーリングリストを引き継いで誰かが作ったんだよねえ。塾が一緒だったっていうだけで、よく保ったよね。わたしたち可愛い中学生だったよね。でももうそうじゃないんだ。ユキコはまだ法律上結婚しているのに誘いに乗るなんて、木村くんも焼きが回ったんじゃないの。

 木村くん、あのグループLINEに元カノが二人いるでしょう。二十代半ばあたりでそういう関係になった人たち。それはもちろん問題ないよ、でも、中学生のときの塾のメンバーにあらためてアプローチするくらいには彼女を途切れさせたくない人なんだなってことは、わかる。彼女たち、すごーく未練があったみたいだよ、木村くんに。

 それでさ、木村くんみたいな人って、年とっても同じようなことするんだよね。つまり、常に誰かが自分を追いかけて、自分に執着して、自分の世話を焼きたがって、自分のアテンションをほしがる状態をつくる。関係が安定するとだめなんだ、常に相手から大量の感情が自分に来ていないといやなんだ。わたしは、想像で言ってるけど、木村くんって、たぶん、そうでしょ。女と寝て向こうが彼女面するようになったら別れるんでしょ。

 木村くんが二十代後半から三十代まであのグループLINEのメンバーに手を出さなかったのは、単にほかで交際相手を調達できたからじゃないかと、わたしは思うんだよね。でもユキコが結婚相手とうまくいかなくて実家に帰ってきて「相談」してきたら、ほいほい自分の部屋に呼んだんだよね。四十路ともなると木村くんもモテ度が下がってきたのかね。それでも誰かが自分に執着して自分がその相手を捨てる立場にならないと気が済まない? わたしに「相談」してうまくもっていけば次の相手になると思った?

 通話を切った。LINEのアカウントを非表示にして連絡先を消した。これで先方から連絡があってもこちらからは見えない。あの女は今ごろ僕のアカウントに向かってテキストメッセージを送りつけているだろう。明日になっても明後日になっても一ヶ月経っても未読無視が積み上がるばかりだ。僕に二度と連絡できないと知って、後悔するだろう。なんせ、とっくに賞味期限切れの、しかも顔面偏差値40の女だ。

 指をスライドさせて新しいアカウントを表示する。そしてテキストメッセージを送る。家に帰れなくなって困ってる。

ユキコはいい子、いつも、ずっと

 ユキコはまじめな女の子だった。わたしたちは中学生で、同じ塾に通っていた。保護者が熱心に勉強させている家庭の子が行くたぐいの塾で、入塾試験が難しいと評判だった。わたしは間違って入ってしまったみたいな感じで、いつもびりに近かった。ユキコは精鋭の中にあって上位25%のクラスにずっといる成績優秀な子どもだった。

 ユキコはきれいな女の子だった。ひょろひょろと背ばかり伸びて、中学一年生としても幼い印象だったけれど、細面の整った顔だちで、所作が端正だった。毎朝きっちり編んだ三つ編みを崩すことなく、塾の入り口のベンチで親の迎えを待っているときにも背筋がぴんと伸びているのだった。

 わたしとユキコはクラスがちがったけれど、親の迎えがときどき遅れることは共通していた。塾の入り口にはそうした子どもたちを想定してか、いくつかのベンチがあり、わたしたちはそこで仲良くなった。ベンチのそばには紙カップが出てくるタイプの自動販売機があった。仲良くなった夏にわたしが飲んでいたのはカルピスサワーで、ユキコが飲んでいたのははちみつレモンだった。

 わたしは月に二度はユキコの家に行った。ユキコはこぎれいな個室を与えられていて、折りたたみ式のプラスティックの小さなローテーブルを出してくれた。わたしたちはそこにノートを広げた。ユキコのお母さんが子ども部屋を見に来たときのアリバイづくりだった。わたしたちはひそひそ声でそれぞれの学校の話をし、ローティーン向けのファッション誌を両側から見た。

 ユキコはときどき居眠りをした。わたしはそれを見ていた。ユキコのお母さんが来たらすぐ起こそうと思っていた。でもユキコはいつもすぐに起きてしまって、実際にそれが必要になった記憶はない。ユキコは子どもなのに疲れていた。ユキコはすごくよく勉強していた。小学校から私立に通っていて、中学校はさらに別の学校を受験したのだと言っていた。わたしはユキコが眠っているのを見るのが好きだった。年齢よりも幼い、痩せているのに丸顔の、その眉間のこわばりが外れて、赤ちゃんみたいな顔になるんだ。

 ユキコのご両親はユキコが疲れていることをたぶん知っていた。塾にいるほかの私立の生徒の親はわりとナチュラルに「区立の子」「D(塾でいちばん成績が低いクラス)の子」を自分の娘や息子から遠ざけていた。あからさまな蔑視ではなくて、「うちとは違うでしょ」という態度で、それを子どもがまねるのだった。

 でもユキコのご両親は「区立でDクラスの子」であるわたしを許容していた。ユキコのお母さんは、一度だけその理由みたいな話をした。晩ごはんをご馳走になって、ユキコが席を立ったタイミングだったと思う。小さい声だった。ユキコはいい子すぎるの。がんばりすぎていると思うの。だから、なんていうのかしら、ユキコがほかの環境の子とお友だちになるのが、おばさん、とっても嬉しいの。

 ユキコは私立の女子高校に、わたしは都立高校に進んだ。それでもユキコとはときどき会った。ユキコはいい子のままだった。名門高校から名門大学に入り、早すぎも遅すぎもしないタイミングで彼氏を作り、三年つきあった相手と二十七歳のときに結婚した。ほどなく赤ちゃんが生まれた。実家に帰りがてら、わたしにも赤ちゃんをだっこさせてくれた。その後、しだいに連絡が間遠になった。三十代半ばを過ぎると、わたしからの年賀状にも返信がなくなった。

 そのユキコから突然連絡があった。実家に帰ってきているというのだ。わたしは大急ぎで予定をあけてユキコに会った。ユキコは『VERY』みたいな格好をしていた。夫が毎日のように暴言を吐くこと、最近は「手をあげる」こと、子どもが自分を軽んじて一緒に来てくれなかったことなどを、ユキコは話した。

 わたしはユキコの話をたくさん聞いた。その日だけでなく、いくつかの平日の夜と休日の昼に。会うよりもLINE通話が多かった。ユキコはなかなか通話を切らせてくれなかった。一時間でも二時間でも、ユキコは話した。夫がいやがるから女友達にも連絡をあまりしなかったこと。夫は子どもができるまでとてもやさしかったこと。夫の好みがとてもうるさいこと。子どもが幼稚園のころまで後追いをしてたいへんだったこと。

 わたしはDV被害者に対する公的支援を調べ上げてユキコのLINEに送った。仕事と家族の事情で忙しいと嘘をついて通話を避けた。同じ塾だった別の友達からユキコがいろんな女たちに「相談」して通話を切らせてくれないこと、いろんな男たちに「相談」して「恋愛」をしていることを聞いた。

 ユキコはいい子だった。とてもいい子だった。きっと今でも。

シンデレラボーイの妻

 夫のことをよく知らない。

 夫と知り合って十五年、結婚して十二年になる。わたしは夫の仕事の内容や給与や日常のルーティンや食べ物の好みを知っている。何に対してセンシティブで何について無関心かだいだい把握している。暇になるとすることのパターンもわかっている。小学生の息子に対する教育方針を話し合う過程で新しくわかることもある。夫婦の会話は多いほうだと思う。

 夫は繁忙期だけ帰りが遅い。この時期は夜半まで帰らない。息子が宿題の話をする。自分のルーツを知る、というような宿題が出ているのだという。ルーツ、とわたしは思う。

 そして思い出す。わたしは夫の過去を知らない。夫の親や親族に会ったことがない。夫の古い友だちに会ったこともない。それどころか新しい友だちにも。わたしは夫のことを、実は知らない。わたしと一緒にいるのではないときの、夫のことを。

 そんなことって、あるんですか。友人が言う。あるんですとわたしはこたえる。結婚前に親族とは疎遠だと聞いたので、そのうち事情を話すだろうと思ってそっとしておきました。それきり忘れていました。考えないようにしていたのかもしれない。結婚式はハワイで挙げました。招待客はわたしの親きょうだいだけです。そのあとわたしの親しい友だちも何人か紹介しています。だから夫はわたしのことを知っています。でもわたしは夫の関係者に会ったことがないんです。出身地と出身校と職歴は聞きました。それだけです。就職試験で提出するくらいの情報量ですよね、これって。

 生まれた家と疎遠な人はいます、と友人は言った。だから親族に会わせないというのは、うん、わかります。事情を話さないのも、その人の選択です。たとえ結婚相手にだって言いたくないことはあるでしょう。ふたりがよければそれでいいんです。しかしいくらなんでもほかに親しい人がいるでしょう。友だちとか、仲の良い同僚とか。会う以前に会話に出てくるでしょう、親しい人の話、するでしょう、恋人とか結婚相手に。しないんですか、彼は。

 しない。一度もしたことがない。上司の愚痴や同僚への評価は口にすることがあるけれど、親しいようすではない。夫には友だちがいないのかなと思っていた。わたしがそのように説明すると友人はちょっと黙り、悪いことではない、と言った。友だちが必要ない人もいます。しかし過去の話がゼロというのは、えっと、ちょっと、想像がつかないです、えっと、たとえば、子どものころ卵アレルギーだったとか、バスケ部だったとか、過去につきあった相手と別れたのは主に相手の浮気によるとか、大学生のときにはじめて海外旅行をしたとか、そういうのも話さないんですか。話さないということが可能なんでしょうか。

 可能なのだ。だって彼はそうしてきたのだから。わたしたちはわたしが二十四、彼が二十八のときに出会って、彼が話題にするのはその後のことばかりで、そうして十五年を過ごした。彼はわたしの昔を知っている。わたしは彼の二十八より前のことを何も知らない。

 友人が言う。彼はラッキーですね。お話を伺っていると、彼には人間関係の資産がほとんどなかった。理由はわからないけど、徹底してゼロだった感触があります。でも彼はあなたと一緒になって急にリッチになったのです。シンデレラみたいだ。

 人間関係は資産ですよと友人は言う。子育てを手伝ってくれたのは誰ですか。あなたのお母さんと、それからお父さんですよね。ああ、お兄さんとその配偶者もいろいろ良くしてくれたんですか、うん、従兄弟同士も仲がいいと。それであなたのお友だちが家に遊びに来たりもするんですよね。いろいろな話をして笑ったりする。マンションの自治会のおつきあいもあるんですよね。そういうのは、資産です。親密さは人生の資産です。なくても平気な人はいるけど、彼は平気じゃないから結婚したんでしょう。そしてあなたは彼に個人的な関係性のすべてを提供した。彼の親密な対象、彼の助け合う相手のすべてをプレゼントしたんだ。なんという玉の輿。あなたはまるでシンデレラにプロポーズした王子さまですよ。

 夫はシンデレラになりたかったんでしょうか。わたしは言う。わたしが、夫を好きになったから、わたしの都合で、親しい人間関係のある世界に引きずり込んだのじゃあないですか。ほんとうは夫は、そんなの必要なかったかもしれないじゃないですか。

 それはわからないですねえと友人は言う。シンデレラじゃなくって、かぐや姫だったとしても、もう月に帰るのもめんどくさくなってるんじゃないですか。子どももいることだし。

送り盆の日

 ときどき、自分の頭に不満を持つ。私が考えたいこと、覚えていたいこと、想像したいことに脳が追いつかないときに、不満を持つ。頭が悪い、と思う。誰と比べて、というのではない。私の欲望に対して、私の頭が、悪い。

 夜の夢はあまり見ない。年に何度か、ほとんどはとても単純な、パターン化された夢を見る。半分ちかくが逃げる夢で、半分ちかくが人の死ぬ夢である。要するに私は、逃げてきて、そして、死んだり死なれたりするのが怖いのだろう。ひねりがない。恐怖にクリエイティビティやオリジナリティがない。

 人が死ぬ夢は近ごろ簡略化されて、すでに死んだ人が出てくるようになった。死んだ人が隣にいて、私はその人が死者だとわかっている。そういう夢である。複雑なストーリーなどはない。ただの一場面である。

 人と並んで歩くときの位置は決まっている。私が左側である。どういうわけか自分でもわからないが、ずっとそうしている。右に人がいると落ち着く。何十回も何百回も隣を歩いた人々の記憶は、だから私の右側にある。相手の左半身ばかりを覚えている。この点は相手が生きていようが死んでいようが変わらない。ただし死んだ人の姿は更新されない。

 夢の中で死んだ人と歩く。だいぶ前に死んだ人である。ときどき見る夢なので私は驚かない。いま夢を見ているなと思う。右隣を歩く人を認識する。相変わらず死んでいるなと思う。だいぶ前に死んだ人である。まだ若かった。夢の中の視界には薄ぼんやりと死んだ人の左半身がうつっている。背丈の差で顔はよく見えない。誰かと並んでまっすぐ前を向いて歩いているときの視界、誰かと親密になるたび、まるでそれが永遠であるかのように繰りかえし作った視界である。

 親しかった人の顔を、私は忘れる。私はものすごく忘れっぽい。およそ何でも忘れる。先日、都合で数年前に住んでいた町に行ったら、当時の自宅が駅のどちら側にあったかも思い出せなかった。道なんかぜんぜん覚えていなかった。私はそれくらい忘れっぽい。だから会わなくなった人の顔を忘れるのも自然なことである。夢の中で歩きながら私はそう思う。私はもう忘れたから、今となりを歩く人を見ても、その顔はないのだ、と思う。顔のない姿を見てやろうと思ってくるりと身を翻し視界の中央に死んだ人をおさめる。右半身がなかった。右手、右足、胴の半身、頭部の半分が、なかった。

 覚えていないのだ。目を覚まして私は思う。私は、死んだ人の顔どころか、歩きながら視界に入っていた部分以外のすべてを、覚えていないのだ。正面から向かい合ったこともたくさんあったのに、そのほかの角度でだってたくさん見たはずなのに、ぜんぶ忘れてしまったのだ。歩いているときの、左側以外のすべてを。

 日常は永遠のにおいがする。そんなはずはないとわかっているのに、特別なところのない日の繰り返しは永続性の影を帯びる。私たちは勘違いする。たとえば百回繰りかえしたことを、永遠に繰りかえしたのだと感じる。たくさん繰り返し、しかもそれが少しも特別ではなかったこと。私の場合にはそれが並んで歩くことで、だからそのときの視界にある姿だけはまだ忘れていないのだろう。

 私は夢に意味を見いだす趣味がない。私はつまらない科学の子である。夢は私の頭の中身であって、そのほかの何でもない。夢見が悪いのは、だから頭が悪いのである。私は頭頂に指を置いて、言う。おまえが悪い。あんなに忘れて、でもまだぜんぶ忘れていない、おまえがぜんぶ悪い。

 暦の上でお盆が来たって私は何もしないのだが、先の土曜日の迎え盆には道ばたでそこいらの人が焚く迎え火を見た。東京のお盆は新暦でやるものだ。そして私はお盆に迎え火送り火をやる人がいるタイプの町を好む。そのようすを見ることがなかったとしても、お盆の前にはスーパーマーケットで麻幹を売っている。迎え火で燃やす、あれである。そういう光景を見るから、脳の死んだ人のための領域が活性化する。かくしてお盆は正しく死者を迎える日になる。

 これから忙しくなるな、と思う。私は年をとった。これからはもっとたくさん身のまわりの人が死ぬだろう。私の頭の中の死者のための領域はさらに狭くなり、夢はもっとおぼろになる。ひとりふたりの死者のためにきちんと夢を見ることもなくなるのだろう。そのときまではきみの夢を見よう、と私は思う。右の半身をなくした、かわいそうな死者の夢を。

可愛いだけが取り柄でしょ

 犬を飼おうと思う。

 わたしがそのように言うと彼は首を曲げてこちらを見たあと、ゆっくりと元に戻した。そうして、いいんじゃないですか、と言った。この人が敬語を使うのは、わたしに何かを言い聞かせたいときと、もっと突っ込んで聞いてほしいときである。そこでわたしは尋ねる。うちに犬がいたら、あなた、あまりよい気持ちがしないかしら。もちろんここはわたしの家だから、好きにするのだけれどもねえ。

 わたしたちはこの一年ほど、週末にたがいの部屋を行き来している。わたしたちはいずれも一人暮らしで、少なくともわたしはそれをやめるつもりがない。住まいは都市のマンションであって、庭などはないから、犬と暮らしたいなら小型の犬種を室内で飼う。ここまでは確定事項である。

 彼は言う。犬は嫌いではない。アレルギーとかもない。犬のいる家に行く程度なら、とくに問題は感じない。見ているぶんには可愛いと思う。進んで飼いたいとは思わないけど、それはたぶん身近に動物がいる生活をしたことがないから。

 じゃあなんであんまり好ましくない顔をしているの。わたしが質問を重ねると、そりゃあねえ、と彼は言う。僕は犬を可愛がる余裕なんかないからね、でも犬のほうは、あれは群れて暮らす生き物だろう、だからしょっちゅう泊まっていく人間がいたら、認めて慣れるか、敵対するか、どっちかしかないんじゃないか。だからこの部屋に犬が来たら、僕は犬に認められるために何かをする必要があるんじゃないか。

 詳しいね、とわたしは言う。おっしゃるとおり犬は群れるし、しょっちゅう来る人間なら何らかの感情の交換を必要とする。そういう傾向にある。そうはいっても世話はわたしがするので、あなたに具体的な面倒はかけない。だからさ、まあ可愛がってやってよ、わたしの犬を。まだいないけど。

 余裕がない、と彼は言う。あのね、僕にとっては、あなたがもう犬のようなものなので、二匹目はいらないんですよ。そんな余裕はない。時間とかの余裕じゃなくて、気持ちの余裕がない。

 わたしは少し呆れる。そして言う。わたしのどこが犬なのよ。彼は言う。犬みたいなものだよ、だってきみは、子どもを産む気がないし、たぶん産めない。四十過ぎて男つくって、男のぶんの家事労働をやる気がなく男からカネを引っぱる気もない。そういう女に対して、可愛がる以外の何をしろというんだ。ほかに取り柄がないだろ。犬と同じだ。

 わたしは反論を試み、それから急に弱気になって尋ねた。取り柄、ないですかね、ほかに。彼は即答した。ないよ。ないでしょう。強いて言うなら「俺は女のいない男ではない」という自意識をもたらすくらいかな。あとは何もない。ゼロだ。

 わたしは少し黙る。取り柄ということばでかちんときたけれど、これを役割と言い換えれば、たしかに「可愛がる」「可愛がられる」以外にわたしが彼にしていることはない。若いころからずっと、わたしはそうだった。感情によって結びついた関係がもっとも純粋で素晴らしいのだと思っていた。家事労働やカネの都合で一緒にいるなんてつまらないことだと思っていた。わたしはそんなことはしないんだと決めていた。そうしてそのまま変わっていないつもりだった。でも男たちにしてみれば、若いころのわたしには留保があったのだ。「そうはいっても子どもを産んでくれるかもしれない」「気が変わるかもしれない」という留保が。

 きみは正しい、と彼は言った。人間は経済的にも精神的にも自立して意思に基づいた関係を築くべきだ。自分の稼ぎがあって自分の身のまわりのことができて、嫌いになった相手とは早々に別れてしかるべきだ。女だから家事をしなければならないなんてことはない。自分が女だからといって男のカネをあてにして生きるつもりは毛頭ない。うん、きみは正しい、とても正しい、俺もそう思う、賛同する、賛同して、でも、きみの犬まで可愛がる余裕は、ない。

 なるほど、とわたしは言う。彼は首をこちらに曲げたまま目を閉じている。眠ったふりをしているのか、ほんとうに眠ったのかはわからない。わたしは無遠慮にベッドを出る。シャワーを浴びながら犬のことを考える。居間のどこにケージを置くか、子犬のしつけはプロの手も入れたほうがいいか、出張を極力減らすために職場でどのような約束を取り付けておけばいいか、そういうことを考える。わたしの犬、わたしがこれから出会う可愛い犬。わたしは彼と違って、彼だけを可愛がれば気が済むということはない。