傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

可愛いだけが取り柄でしょ

 犬を飼おうと思う。

 わたしがそのように言うと彼は首を曲げてこちらを見たあと、ゆっくりと元に戻した。そうして、いいんじゃないですか、と言った。この人が敬語を使うのは、わたしに何かを言い聞かせたいときと、もっと突っ込んで聞いてほしいときである。そこでわたしは尋ねる。うちに犬がいたら、あなた、あまりよい気持ちがしないかしら。もちろんここはわたしの家だから、好きにするのだけれどもねえ。

 わたしたちはこの一年ほど、週末にたがいの部屋を行き来している。わたしたちはいずれも一人暮らしで、少なくともわたしはそれをやめるつもりがない。住まいは都市のマンションであって、庭などはないから、犬と暮らしたいなら小型の犬種を室内で飼う。ここまでは確定事項である。

 彼は言う。犬は嫌いではない。アレルギーとかもない。犬のいる家に行く程度なら、とくに問題は感じない。見ているぶんには可愛いと思う。進んで飼いたいとは思わないけど、それはたぶん身近に動物がいる生活をしたことがないから。

 じゃあなんであんまり好ましくない顔をしているの。わたしが質問を重ねると、そりゃあねえ、と彼は言う。僕は犬を可愛がる余裕なんかないからね、でも犬のほうは、あれは群れて暮らす生き物だろう、だからしょっちゅう泊まっていく人間がいたら、認めて慣れるか、敵対するか、どっちかしかないんじゃないか。だからこの部屋に犬が来たら、僕は犬に認められるために何かをする必要があるんじゃないか。

 詳しいね、とわたしは言う。おっしゃるとおり犬は群れるし、しょっちゅう来る人間なら何らかの感情の交換を必要とする。そういう傾向にある。そうはいっても世話はわたしがするので、あなたに具体的な面倒はかけない。だからさ、まあ可愛がってやってよ、わたしの犬を。まだいないけど。

 余裕がない、と彼は言う。あのね、僕にとっては、あなたがもう犬のようなものなので、二匹目はいらないんですよ。そんな余裕はない。時間とかの余裕じゃなくて、気持ちの余裕がない。

 わたしは少し呆れる。そして言う。わたしのどこが犬なのよ。彼は言う。犬みたいなものだよ、だってきみは、子どもを産む気がないし、たぶん産めない。四十過ぎて男つくって、男のぶんの家事労働をやる気がなく男からカネを引っぱる気もない。そういう女に対して、可愛がる以外の何をしろというんだ。ほかに取り柄がないだろ。犬と同じだ。

 わたしは反論を試み、それから急に弱気になって尋ねた。取り柄、ないですかね、ほかに。彼は即答した。ないよ。ないでしょう。強いて言うなら「俺は女のいない男ではない」という自意識をもたらすくらいかな。あとは何もない。ゼロだ。

 わたしは少し黙る。取り柄ということばでかちんときたけれど、これを役割と言い換えれば、たしかに「可愛がる」「可愛がられる」以外にわたしが彼にしていることはない。若いころからずっと、わたしはそうだった。感情によって結びついた関係がもっとも純粋で素晴らしいのだと思っていた。家事労働やカネの都合で一緒にいるなんてつまらないことだと思っていた。わたしはそんなことはしないんだと決めていた。そうしてそのまま変わっていないつもりだった。でも男たちにしてみれば、若いころのわたしには留保があったのだ。「そうはいっても子どもを産んでくれるかもしれない」「気が変わるかもしれない」という留保が。

 きみは正しい、と彼は言った。人間は経済的にも精神的にも自立して意思に基づいた関係を築くべきだ。自分の稼ぎがあって自分の身のまわりのことができて、嫌いになった相手とは早々に別れてしかるべきだ。女だから家事をしなければならないなんてことはない。自分が女だからといって男のカネをあてにして生きるつもりは毛頭ない。うん、きみは正しい、とても正しい、俺もそう思う、賛同する、賛同して、でも、きみの犬まで可愛がる余裕は、ない。

 なるほど、とわたしは言う。彼は首をこちらに曲げたまま目を閉じている。眠ったふりをしているのか、ほんとうに眠ったのかはわからない。わたしは無遠慮にベッドを出る。シャワーを浴びながら犬のことを考える。居間のどこにケージを置くか、子犬のしつけはプロの手も入れたほうがいいか、出張を極力減らすために職場でどのような約束を取り付けておけばいいか、そういうことを考える。わたしの犬、わたしがこれから出会う可愛い犬。わたしは彼と違って、彼だけを可愛がれば気が済むということはない。

親密さの設計

 二十歳のとき、「作戦を立てずに生きていたらいずれ人間関係がなくなるな」と思った。わたしは基本的にひとりでいたかった。自分の家族を持つにしてもひとりでいる時間はほしいと思った。昔の村社会みたいなところに所属するのはいやだった。でも完全にひとりになるのがよいのではなかった。

 個人としてぶつかるあらゆる問題のもっとも身近な対処例は親だ。わたしの親はたがいにいくらか親密に見えて、あとは数名の親戚があった。母親には年に二度ばかり会う友人が一人いて、ほかにも少しは知り合いがいるようだった。父親は会社の人間関係と自分のきょうだい以外に親しく口を利く相手はいないようだった。会社の人間関係は退職したらそれきりだろうというのもよくわかった。両親にももちろんその両親がいたが、いずれもすでに亡かった。

 わたしは思った。この人たちみたいなのは、無理だ。両親のたがいの親密さもさほど強くないように思われるのに、近所づきあいもないような地域にいて、会話をする相手が片手に余る数で、しかもそのうちいくつかは期限つきのものだなんて。わたしは孤独を好むタイプだけれど、それで何十年も過ごすのは、無理だ。彼らは孤独を好んでいるのだろうか。わたしの親だから、そうなのかもしれない。わたしより強く孤独を好んでそういう状態を選んだのかもしれない。

 友人にそう話すと、そうじゃないでしょ、と言う。あなたの親もわたしの親もそのあたりについてはなんにも考えてないよ、たぶん。なぜかというと彼らの親密な関係は、イエ制度の名残りと滅私奉公の会社勤めにともなって与えられるもので、それ以外はおまけだからだよ。彼らが若いころには濃い近所づきあいだってあったでしょう。要するに考えなくても与えられた役割をやっていればまわりに人がいてくれると錯覚できた最後の世代なんだよ。うん、そう、それは、錯覚だよ。わたしたち、彼らが年をとってからしがみつかれないように用心しなくちゃいけないよ。あの人たち、まわりに誰もいなくてさみしくなるに決まっているから。さみしいと人はおかしくなるからね。

 そりゃあ怖いなあとわたしは思った。両親は、べつにそれほど嫌いではないけれど、自分の親密な相手としてカウントするのはいやだった。だって、やっと反抗期を終えて、切り離したばかりなのだし。

 わたしは二十歳で、学生だったから、いっけん友人は多いように思われた。でもそれは環境のなせるわざだ。わたしの獲得したものではない。わたしの父親には親しく口をきく相手がほとんどいないように見えたけれど、それでも彼の勤務先の人々はたがいを親密な相手のようにあつかっていた。さらにその前には、一定の年齢になれば職場の「女の子」と結婚するしくみになっていて、わたしの母親と所帯をかまえた。そんなのは時代遅れだ。わたしが働きはじめたときに存在すると思わないほうがいい。あと、そんな職場もそんな結婚も、わたしは、いやだし。

 ということは、わたしはこれから、自力ですべての親密さを獲得しなければならないのだ。わたしはそう思った。機会を作って、選択して、選択されて、獲得・維持しなければならないのだ。わたしは少しぞっとした。それからひらきなおって条件を列記した。毎日、毎週、毎月、毎年、それ以外のパターンで、どういう人に会いたくて、どういう人に会いたくないのか、考えた。そしてそのような関係の獲得のためにさまざまな試行を繰りかえした。

 それから二十年が過ぎた。わたしには二度目の夫がいて、小学生の子どもがひとりいる。子どもが小さいときにはなかなかひとりになれず(夫はひとりの時間を持っていたから、わたしにもよこせと主張して何度もけんかした。二度目の離婚をするかと思ったほどだ)、しかしその後は、その期間のぶんまでひとりを満喫すべく、自由な時間を手に入れた。親戚づきあいはほぼ絶えた。近所づきあいならぬマンションづきあいが少しある。一年から二年に一度の頻度で集まる友人グループがふたつ、一ヶ月から一年に一度の頻度で個別に会う友人が合計七人、勤務時間外につきあいのある同僚が三人、インターネット上でのみメッセージを交換する相手が何人かいる。

 年末になると、わたしはわたしのその時点での自分の親密さに関する理想を書きだす。その横に現状を記述し、差分を埋める方法を考える。そうしてその次の年に実行する。

 そのように話すと友人は両手をぱっとひらき、ゆっくりと閉じて、言った。えらいねえ、親密な関係を自分で設計していて、立派だねえ、どういうわけか、親密な関係は「自然に」与えられるものだと思っている人、いっぱいいるからねえ。

この町を出て、永遠に戻らなかった

 東京の下町に生まれた。放課後の主な居場所だった区立図書館には「郷土の本棚」というのがあって、区内の歴史の本だとか、区内を題材にした落語を集めた本だとか、区内が登場する近代文芸のオムニバスだとか、そういうのが並んでいた。気が向いていろいろ読んだら、都市計画の大家が私の出身地一帯を指して「東京のスラム」と称していた。私は十二歳で、スラムということばを知らなかったから、辞書のコーナーに行って引いた。そこにはなんだかたいへんな印象の漢字が並んでいた。都市、貧民、貧困、密集、荒廃、失業。

 私が子どものころに住んでいた小さな一戸建てはトタン屋根で、隣もその隣もそうだった。雨が降ればばらばらと大きな音がするもので、窓をあけて手を延ばしたら隣の家の壁に触れるものだった。戸主が年をとって銭湯に通うのがきつくなるとようよう自宅に風呂をつくる、そういう町だった。敷地の大きい家はたいてい町工場を兼ねていた。町にひとつだけある大きな高層団地に住む同級生の部屋に遊びに行って階段をかんかん音たてて登ったらトタンの波が見えた。瓦葺きの家をかまえるのはけっこうなお大尽であって、あとは町工場と、当時出たてのマンションがいくらかあった。

 同世代ばかりの場でそのような子ども時代の話をすると、「いくらなんでも盛りすぎ」と言われた。「今のアラフォーで東京出身で子どもの時分にトタン屋根とか、ぜったいありえない」と言われた。ありえないと言われたってあったのだからしかたない。私は笑って、あなたがたは東京を知らないねと言った。私はトタン屋根の家から大人用の自転車の錆びたやつをむりやり使って浅草や上野に通っていたし、たまには銀座にだって行ったよ、銀座は自転車とめるところがすくないから気をつけなくちゃいけないんだよ。

 自転車をこがない、図書館にも行かない放課後には、よその家にいた。友だちの家はたいてい町工場だったから、敷地の隅に子どもたちがうろうろしていてもまったくかまわれないのだった。大人たちはトイレを貸してくれて、水道を使わせてくれて、たまにお菓子をくれて、飼い犬を河川敷に連れて行って一緒に走ると喜んだ。町には川がいくつもあった。護岸された大きな河、雑草が茂る土手のある河、もっと細い用水路めいた河。川沿いに住む大人たちは、私の背丈が伸びたとか、よく本を読むとか、むつかしいことをしゃべるとか、足が速いとか、そんなつまらないことをいちいち口に出してほめた。

 友だちは自分の家の工場の従業員のバングラデシュ人と将棋を打ち、私はチェスはさっぱりできなかったからバングラデシュ人の片言の英語をさらに心もとない日本語で復唱する係をやった。バングラデシュ人は住み込みで、「バングラさん」と呼ばれていた。バングラさんは「将棋とかわかんないけど、ムードでプレイしてる」と言った。私はバングラさんに中学校の教科書を見せ、バングラさんは英語の教科書をひらいてげらげら笑った。

 やがて町工場は次々につぶれた。友だちの工場は大きくてうまくいっていたからつぶれなかったけれど、バングラさんたちを雇うことはできなくなった。バングラさんが住んでいた工場の二階は友だちが使うことになった。友だちと私は中学三年生だった。肉屋のコロッケを私に差し出して、友だちが言った。バングラさんは強いからだいじょうぶだ。あんたも強いからだいじょうぶ。中学が終わったらこの町を出て、もう戻るな。この家は、わたしが守る、あんたはこの家の人間じゃないから、あんたの家はろくでもないから、そしてあんたは強いから、外に出て、もう戻るな。

 私は自分の気質に合った学費の安い高校に合格し、下町の区立図書館よりはるかにたくさんの本があるいくつかの図書館へのアクセス権を手に入れ、世界がどのようにできているかを学んだ。家にはろくに帰らなくなった。三年後にはもっと遠くの大学に入って「ろくでもない」生家の人間がつきまとうことのできない環境を手に入れた。そうしてたくさん仕事をして大人になって仕事をしていたら新しい仕事があるというので東京に居をかまえた。

 引っ越しが好きだから数年ごとにわけもなく居所を変える。幾度か住んでみても東京の西側はどうも水が合わない。東側だって今はきれいなマンションがいっぱい建っていて、トタン屋根なんか探したってなかなか見つからない。それでも私は近くに河のある部屋を探して住む。稼いでマンションを借りて朝な夕なに川沿いを歩く。もちろん夜中にも歩く。私はうんと昔にあの町を出て、永遠に戻らないのに。

生徒会長から雲をもらった話

 西脇くんは生徒会長でわたしは書記だった。中学生のころのことだ。わたしたちは素直ないい子で、クラスで推薦されて先生からもやってほしいと言われて全校生徒の前で選挙に出て生徒会をやっていた。わたしはピアノが得意で芸高の受験準備をしていた。西脇くんは進学校に行くつもりであるらしかった。わたしたちの中学校はどちらかといえばガラの悪い下町の公立校で、わたしたちはだから、相対的に優等生だった。

 西脇くんは背の高いがっしりした男の子で、もじゃもじゃの髪を中学校の校則ぎりぎりまでのばしていた。黒縁のめがねをかけていて、そのめがねは上等のものだった。わたしは工芸に詳しくなかったけれど、それでもわかった。

 そのめがね、いいね。わたしが言うと西脇くんはそれを外し、制服の裾でていねいに拭いて、見る、と言った。わたしはありがとうと言ってそれを見た。一見ふつうの黒いフレームのめがねだったけれど、流麗なフォルムをしていた。わたしがそれをほめると、西脇くんはうつむき、ほしくてほしくて親に頼み込んだ、と言った。

 わたしが芸高を受験すると話すと、西脇くんは細く長いため息をつき、選ばれた人だ、と言った。まだ選ばれていないと言ってわたしが笑うと、西脇くんは首をうしろに向けて、だって、目指せるじゃないか、と言った。芸術をやりますって、宣言できるじゃないか。もう選ばれてる。

 西脇くんは絵が少し描けた。でも絵を描くための教育を受けているのではなかった。そしてそれでもわかるような飛び抜けた絵の才覚があるのでもなかった。成績は学年でいちばん優秀で、実直な生徒会長だった。西脇くんは自分のことをよくわかっていた。美しいものを好きで、でも進学校に行くのが妥当であることを。

 わたしのお母さんは西脇くんをわたしの最初の彼氏だと思っているけれど、そんなのではなかった。西脇くんもわたしのことを恋愛とかそういう感じで好きなのではなかった。好きという感情が未分化な中学生でも「これはちがうよな」と思ったし、その後も折に触れて「やっぱりそういう感じではない」と思った。西脇くんのほうはもっと露骨で、高校で好きになった女の子がいかにすてきかという話をわたしにしていた。西脇くんは奥手でなかなか女の子に手を出せず、わたしにせっつかれて話をするときにも真っ赤になって広い肩やら大きな足やらをじたばたさせるのだった。そんなだから二十歳過ぎまで女の子とつきあったことがなかった。

 わたしは芸高から美大に進んだ。山の中にある敷地の広い学校だった。西脇くんとはときどき連絡をとっていた。美大の文化祭に行ってみたいというので、当時の彼氏と駅まで迎えに行った。どうして彼女を連れてこなかったのと訊くと耳たぶまで真っ赤にして、あの、あの人は、あの、そんなのじゃないから、とこたえるのだった。わたしと彼氏はすごく楽しくなって西脇くんを両側からつつきまわした。

 わたしたちは文化祭を回った。わたしが仲間たちと大学の敷地内に作った小屋を見せると(全員音楽をやっていたのに文化祭では学校のお金で木材を発注して敷地の中にクレイジーな小屋を建てた)、西脇くんはひどく笑い、それから、いいなあ、と言った。いいなあ。うらやましいなあ。

 これ、あげる。西脇くんが唐突にそう言ってわたしにこぶしをつきだした。包み紙をあけるとごく小さなつや消しの不規則な楕円を細い細い鎖でつないだピアスが出てきた。先端にはうす青いガラスがついていた。何もかもが小さくて、全長は三センチもなかった。

 わたしと彼氏は西脇くんを見た。金の楕円は雲で、と西脇くんは言った。雲が雨を降らせているんだ。わたしたちは感心してその精緻な細工を鑑賞した。好きな女の子にあげたらいいじゃんとわたしが言うと、あの子はピアスあけてないからと西脇くんは言った。自分でつけたくないの、と彼氏が言った。耳に穴あけるなんて簡単なことだよ。あけてやろうか。

 つけたくないことは、ないけど、と西脇くんは言った。僕は男で、こんなだから、つけられない。そういう、つまらない人間なんだ。でもどうしても買いたかった。イスラエルの作家が作ったんだって。

 いつかイスラエルに行きなよ、とわたしは言った。そうする、と西脇くんは言った。大学を出たあと、西脇くんはほんとうに海外出張の多い商社に就職した。たまにSNSで見る。わたしのピアスホールはとうにふさがっているけれど、金の雲は捨てずにとってある。とても美しいから。

好意なし、友情あり

 いや、みんな、だいたい、おたがい、知ってます。部下がそう言うので、ははあ、とわたしは返した。間抜けである。部下は笑った。うちのチーム、お互いの私的な事情はだいたいわかってます。もちろん、濃淡はあるけど。「あの人は今年お子さんが受験だ」とか、「あの人はがんが見つかったけど今のところ仕事は可能」とか、「あの人が母と呼んでいる人は二人いる」とか「あの人の前夫は暴力を振るう人間だった」とか、そのくらいはわかってます。なんならわたしがソシャゲに毎月何万も課金してて、そのためにランチは滅多に外食しないってことも、みんなわかってます。マキノさん、メンバーがお互いのプライベートを把握してるって、知らなかったんですか。

 知らなかった。私は人の気持ちに疎い。同僚の誰と誰の仲が良いか程度のことさえわからない。自分の気持ちしかわからない。私が管理する部署の人員はやや若年が多いが、おおむね老若男女いて、険悪ではないが、仲良しでもないように思う。年齢や性別や家族構成で分けてみても特段の共通点はない。職場を離れて話したいというリクエストがあれば昼食をともにする。部内で私が仕事の後にときどき一緒に出かけるのはこの目の前の部下だけである。あとは年に一回の会社主催の歓送迎会。ザッツ・オールである。

 私が若いころお世話になった上長が「だって自分の人事を査定する人間と仕事外で仲良くしたいわけないじゃん」と言っていて、実にまったくそのとおりだと思って、自分が管理職になってから真似をしている。私はその上長がわりと好きなので、たまにお願いして食事につきあってもらうのだが、それは私の都合である。

 私は世の中の人間の九割に関心がない。嫌いという関心を持つ人もあるから、好意的にかかわりたい相手は一割弱である。他人の割合は知らないが、統計データがあるような性質のものではないから、自分を基準に考えるよりない。そんなだからだいたいの人間は自分に関心がないと考えて生きている。九割が相互に無関心であって、話してもすぐ忘れる。そういうものだと思って生きている。

 ただし、個人的な関心がなくても職場において私的な事情を共有したほうが好ましいことはある。集中的に休暇を取るだとか、仕事の負荷を調整しなければならない事情があるとか、そういうときである。私としては管理する部署の全員が好きなときに有給を全日程消化してほしいのだが、弊社にはそこまでの余裕はない。法的にも有給の時期は相談して決めてよい。それで部下に相談をする。そうすると時に私的な事情があきらかにされる。「そこまで話さなくてもいいのになあ」と思うこともあるが、そんなのは部下の勝手である。私は「気が進まなければ話さなくていいですからね」と何度も言い、彼らは平気でべらべらしゃべる。「彼氏と旅行に行くんで休みます。彼氏の写真見ますか」とか(見て何になるのか)。

 ですからね、と部下が言う。それはマキノさんに対してだけしていることじゃないんです。お互いに話しているんです。グラデーションはあるけど、全員かなり踏み込んだところまで自己開示してますよ、うちの部署は。そうなのと私が言うとそうなんですと部下は言う。そしてちょっと笑って、マキノさんは鈍いなあ、と言う。

 休暇取得のためだけに話しているのでは、たぶん、ないんです。同僚っていうのは、選んだ相手じゃないけど、でも、いい人たち、多いじゃないですか。そうしたら、互いに調整できることは、したい。思いやりたいです。せっかく人生のひととき同じ場に居合わせたんだから、助け合いたいですよ。みんなマキノさんよりは他人のこと考えてるんですよ。

 美しいなあ、と私は思う。そしてこの美しさは実は当たり前なのかもしれないなあと思う。私は複数の人々がいがみ合う人間関係を実は見たことがない。一方的な暴力やハラスメントはたくさん知っているが、内輪揉めみたいなのはほとんど見たことがない。

 私がそう言うと部下はまた笑って、それはマキノさんが気づいていないだけですよ、と言う。けっこうけんかもしてます、悪口言いあってる人たちもいます。マキノさんが気づいてないのは友だち少ないからですよ。部内にわたししか友だちいないじゃないですか。あのね、嫌いな人はいても、その人の事情は了解しているんです。仲良くない人でも、助け合うの。わかんないかなあ。

 よくわからないと私は言う。しかたないですねと部下は言う。

憤怒の才能

 嫉妬って怖いですよね。歓送迎会でよく知らない人がそう言うので、そうなんですね、と私は言った。とくに意味のない、社交上のせりふである。歓送迎会はまとめてやるので、ふだんはかかわりのないよその部署の人がいるのだ。

 そうなんですね。私が相槌よりやや疑問に寄った四文字を発すると、そうですよと彼は言う。俺すごい嫉妬されるんで困ってるんですよ。

 彼はそのように言う。恋愛相談だ、と私は思う。唐突だと思う。私の理解によれば、嫉妬というのは「あなたは私だけに恋していると私は思い込んでいたのに、そうじゃなかったんだ、あなたは別の人を好きなんだ、その人は私ではないんだ。私の世界はまちがっていたんだ、そんなの認めたくない」という感情である。

 私があなたの好きな人のようであったらよかったのか。でも私はそのようでない。あなたはその人を好きになった。私はかなしい。私はくやしい。あなたが私を好きなあなたのままでいなかったことがつらい。私は、あなたのことを、私の心臓であるかのように思っていた。あるいは私があなたの肝臓であるかのように。でもそれは嘘だ。あなたは私の心臓ではないし、私はあなたの肝臓ではない。私は、できるものならあなたになってしまいたい。でもできない。私は私以外の誰かになることができない。

 嫉妬というのは、そういう感情である。いくら配偶者や恋人であっても、なかなか出てくるものではない。ひとことで言うと、どうかしている。恋で頭がおかしくなっている。対処としてはまず、「恋人は私ではないから、しかたない」と自分に百回でも千回でも言い聞かせる。あと座禅のまねごとをする。私は四十年ちょっと生きてきて、恋で頭がおかしくなったことが複数回あるんだけど、自己暗示と座禅以外に有効な対処はなかった。

 あの、つまり、配偶者の方ですとか、彼女さんですとかが、大変な感じなんですか。私がそう訊くと、彼は顔をゆがめて突然嘲笑する。あのさ、恋愛とかぜんぜん関係ないですよ。そういう話題、セクハラなんですけど。えっとお、失礼ですけど、おいくつですっけねえ? 俺が話してたのは、会社の嫉妬深い連中に困ってるって話なんですけど、わかりますかね、足引っぱる側の人の話を聞こうと思って声かけたんですけど。

 私は彼の言葉に含まれる大量の負のエネルギーにショックを受ける。無関係の他人に向けるにはあまりに強い悪意だ。彼はたぶんすごく怒っている。憤怒している。もちろん私にではなく、誰か、他の人に。彼の「足を引っぱっている」人に。私はその代わりなのだ。彼は言う。

 マキノさんそんな仕事できるほうじゃないじゃないですか。てかザコポジションでしょ、こないだ篠塚さんがもっと上いったじゃないですか、負け組決定、で、どう思うんですかね。

 どう思うと言われば、「篠塚さんは仕事ができてうらやましいなあ」と思う。篠塚さんは私より仕事ができて成果を出した。仕事は評価されるものだし、評価があれば上やら下やらに位置づけられて、いつも自分が上じゃないのは当たり前だ。自分の評価が下だったのは、ふがいないけど、しかたない。そう思う。もし自分にぜんぜん需要がなくなったら仕事を変えたらいい。たぶんどこかには需要がある。

 私がそう言うと彼は私のことばに金属質の笑い声をかぶせる。なげーし、と叫ぶように言う。私は完全にうんざりして彼に背を向ける。背後からさらに声が飛んでくる。めんどくせえ女。私はその甲高い声を非常に不快に感じる。声はやまない。俺ああいう女いっぱい見てきたわ、ほんとめんどくせえよなー。

 なんだか怖かった。彼はおそらく強く怯えていて、その怯えの気配のようなものが私を怖がらせた。酔っているからといって済ませるような感情の表出量ではなかった。たぶん彼は、「自分の足を引っぱっているのは自分より評価されていない社員に違いない」と思って、それで「マキノもうだつが上がらないから誰かの足を引っぱっているだろう」と思って、それで怒っているのだ。怒ってあれだけ激しいエネルギーを発することができるのなら、それも才能のうちだ。その才能でもってがんばって成果を出したらいい。そして、私は、その才能を、好きではない。私は彼の怒りの依り代にされるいわれはない。「足を引っぱっている」人に直接怒ったらいい。私はその人じゃないんだから、放っておいてほしい。あとやたらと性別の話をしていたのは不適切だ。だって、性別、ぜんぜん関係ないじゃんねえ。