傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

嘘つきサキちゃんの不払い大冒険

 サキちゃんは小さいころから嘘つきでした。妹と口裏を合わせて凝った嘘をつくので、近所の人々から「あの嘘つき姉妹」と呼ばれていました。

 嘘つきには、自分がついた嘘を嘘だとわかっている嘘つきと、自分がついた嘘をそのうちほんとうだと思いこむ嘘つきがいます。サキちゃんは後者でした。完全にほんとうだと思いこむと嘘がばれないように操作することができません。サキちゃんはそのさじ加減が絶妙でした。嘘を嘘と自覚しながら意識の中ではほんとうと思い込む。サキちゃんはそういうタイプの嘘つきでした。

 サキちゃんの妹はやがて、それほど派手な嘘をつかなくなりました。姉妹が中学生のときのことでした。嘘つき姉妹は解散し、嘘つきサキちゃんだけが残りました。サキちゃんは妹を軽蔑しました。正直になった妹は地味で、ださい連中と一緒にいて、いつだってキラキラのすてきなグループにいたサキちゃんとは格が違っていたからです。

 サキちゃんは大学生になりました。それから、自分にはお金がないことに気づきました。人並みの、そこいらのぼんくらな学生たちと同じくらいしかお金がないのです。なんということでしょう。そこでサキちゃんはITベンチャーを立ち上げました。サキちゃんは小さな仕事からはじめて、着実に顧客を取りました。就職超氷河期と呼ばれた時代ですが、サキちゃんは平気でした。自分の会社をやっていく自信があったからです。

 サキちゃんはITのことはよくわかっていません。ただサキちゃんは、人に「すごそう」と思われる能力が段違いに高かったのです。その内容はもちろんハッタリという表現でおさまるものではなく、嘘でした。嘘つきサキちゃんは、ついに嘘で稼ぎを得ることに成功したのです。

 手順は簡単です。サキちゃんは仕事を取ります。それを下請けに出します。一人あたま数万円から十数万円の少額下請けです。誰かがその作業を請け負います。サキちゃんはその仕事を右から左に納品します。下請けにもちゃんとお金を払います。愛想よく挨拶して、食事を奢ってあげたりします。

 サキちゃんはすてきな女性です。キラキラしていて、でも親しみやすく、初対面の人でもきゅっと距離を詰めます。小さなころのサキちゃんの嘘は、お金のためのものではありませんでした。人に気に入られるためのものでした。愛されやすさを、サキちゃんは修得していました。疑い深い人間であればそれがあまりに表面的であり操作的であることに気づきますが、サキちゃんはそんな心のまずしい人間に用はありません。サキちゃんはやさしくて愛情深くて自分を気に入ってくれる人だけが好きなのです。

 やがてサキちゃんは、学生アルバイトの下請けだけでなく、プロのフリーランスや小さな法人の信頼をも得ることに成功します。サキちゃんの仕事の額面はだんだん大きくなります。そしてちょうどいいタイミングで、その一部にお金を払わなくなります。

 お金を払っていないことを、サキちゃんはメールに書きません。払ったとか払わないとか書くのはしろうとです。相手が「それなら待とうかな」と思うような文言を、相手のタイプによって使い分けます。相手がいよいよ怒ったら、まるで相手のほうが悪いかのように思わせる表現を送ります。サキちゃんのすごいところは、相手がものすごく疲れて、これ以上かかわりあいになりたくないから数万円を(あるいは十数万円を)諦めようと思うようなコミュニケーションを取る能力があることです。サキちゃんはまず愛され、それから「もういい」と思われることに長けていました。

 サキちゃんはこのようにして最初の「成功」体験をしました。頃合いをみて会社をたたみ、引っ越しをしました。そして別の会社を立ち上げました。原資はもちろん前の会社の不払い分です。より規模を大きくし、より操作を徹底し、サキちゃんはさらに「成功」します。しかし不払いの額面が大きくなったので一度訴えられそうになりました。サキちゃんはぎりぎりのところで逃げました。

 サキちゃんはそれを繰り返します。地元の松山にはじまり、名古屋、仙台、福岡、札幌と移り住み、それぞれの地で会社を立ち上げ、そして畳みました。サキちゃんはそのあいだに結婚し、離婚しました。子どもはいません。サキちゃんは、子どもはほしくない。サキちゃんは自分より愛されるものなんて欲しくないのです。

 サキちゃんの被害者は、一度ずつしか被害に遭いません。そして被害額は訴訟しても損をする額面のうちです。だから今のところサキちゃんは無事です。どうしてわたしがそのことを知っているのかって? それはわたしがかつての「嘘つき姉妹」の片割れ、忘れられた「嘘つきマキちゃん」だからです。わたしはこつこつと姉の所行を記録しています。いつか地獄に落としてやる。

わたしの部下は口を利かない

 榊さんは口をきかない。そういう人なのだそうである。聴覚障害ではない。発声器官に障害があるのでもない。特定の場面、たとえば学校や会社などで口をきけなくなるのだという。榊さんは一度も口を利かないまま同じ会社の別のフロアで何年かアルバイトをして、仕事ぶりが非常によいので、正社員になってもらったのだけれど、部署の上司が転勤することになったというので、人事からわたしのところに話が来た。「口きかない部下って、受け入れてもらいにくいんですよ。でもあなた気にしないでしょ」という。会議で発言できないとなると、担当できる仕事はかぎられるが、それでもいいのだという。

 そんなわけで榊さんと面談をした。面談といっても、言語を発したのは榊さんの上司(転勤予定)と人事担当とわたしである。榊さんは音声を発しない。あいさつも無言の会釈である。そうして目をいっぱいに見開いてわたしを見ている。表情はほとんどない。ぴしりと背筋が伸びて、手以外が動かない。ときどきまたたきをする。人事の評価を見ると、頼んだ仕事のアウトプットは非常に早く、英文の書類も扱えて、資格も持っているとのことである。

 少し驚いたが、よく考えてみれば口を利かなくてもできる仕事はあるのだ。口頭で決めた内容をメールで送ったりもしている。そうして、わたしはチームのメンバーと親睦を深めたいという考えはとくにない。休暇の日程調整や業務上の相談は就業時間内でしている。榊さんの場合、そういうのもメールで送ってくるのだという。それならば、問題ないのではないか。

 そう思って榊さんにチームに入ってもらった。メンバーには簡単に説明した。全員「ふーん」という感じだった。つまりそれは、とひとりが質問した。とてもとても内気ということですか。不安感が原因ではあるらしいんだけど、内気といっていいのかはわからない、とわたしはこたえた。いや、と質問者は続けた。つまりですね、もしもその人が、非常に内気で繊細であるならば、まわりで大きい声出したり大きい音出したりするのも控えたほうがいいかなって思ったんですね。

 人事を通して榊さんに文書で尋ねてみると、たしかにとても怯えやすいが、子どものころからたくさん訓練しているので通常のオフィス環境には適応できており、音などについてメンバーに負担をかけたくない、という回答があった。なるほど、わたしは当人が口を利かないというシチュエーションしか考えていなかったが(他人の内面に疎いのだ)、気づく人は気づくものである。わたしは声が大きくて所作が雑だからできるだけびっくりさせないように気をつけようと思った。

 そうして一年少々が経過した。とくに問題はない。榊さんの仕事の範囲は限られるが、その範囲では安定して有能である。とにかく静かで、手首から先だけ動かすような独特のタイピングで大量の書類を作る。メンバーによると、ときどきランチや仕事帰りの夕飯にも加わっているらしい。一緒にどうと訊くとこっくり頷いてついて来るそうである。「榊さんはお蕎麦を一本ずつ食べます。麺がすすすと吸い込まれていくのです。無音です」ということであった。

 榊さんは無表情だが、無感情なのではない。一度だけ、小さく小さく口をひらいて、ありがとうございます、と蚊の鳴くような声を出したことがある。その後の発言を待っていたが、化粧の上からでもわかるほど顔色が真っ赤に変わって目にいっぱい涙がたまり、それから驚くべき早さで元の白くて動かない榊さんに戻った。べつに泣いてもいいんだけどなとわたしは思った。業務上のやりとりでわたしからのハラスメントがあって部下が泣いたという状況なら第三者に査問に入ってもらうが、そうではないのだ。泣くくらいなんだというのか。わたしは頻繁に手洗いに行くが、それと同じように泣きやすい人もあるのだろうと思う。他人が泣いてもわたしには関係のないことである。ぜんぜん気にならない。

 でも榊さんはたぶん「社会人なのだから絶対に会社で泣いてはいけない」と思って、ものすごい気合いを入れて涙を止めたのだと思う。そのほうが適応的ではある。適応的ではあるんだけど、なんかみんなもっとラクにやれないのかなと思う。わたしは身体をしめつける服装がとても嫌いだし、気がつくと口があいてるんだけど、会社ではちゃんとした格好をして、口があきっぱなしにならないように気をつけている。ほんとうは榊さんが好きなときにおしゃべりにトライして副作用として泣いて、その横でわたしが原始人みたいな格好で口をあけっぱなしで仕事してるんでも、いいと思うんだけど。

蟻の女

 これからこの女とセックスするんだと思った。これは知らない女で、今からやってカネをもらうんだと思った。そう思わなければ50センチ以内に近づくことができなかった。実際のところ、セックスなんかぜったいにする気はなかったし、その「女」は僕の母親で、その場所は僕が高校生のころまでいた、いわゆる実家で、そうして僕はこう言ったのだ。肩もんであげようか。

 女親の肩を揉むことが僕には知らない女とセックスするよりはるかに大変な行為なのだった。かわいそうにね。かつて僕にカネを払ってホテルに連れ込んだ女がそう言っていた。お母さんに一度も頭を撫でてもらえなくて、かわいそうにね。でもわたしはあなたのこと嫌いだから帰るわ。

 そのころ僕は大学生で、女と寝てカネを稼いでいた。僕はたいそうな大学に通っていて気が利いて顔も悪くない若い男で、だから上等だった。僕は高く売れた。女なんか簡単だった。僕みたいなのを好むタイプをフィルタリングしてまるでその女を欲しているかのように振る舞えば必要なカネが手に入った。僕は学生生活のすべてを、つまり学費と家賃と生活費と遊興費を完全に自分の稼ぎでまかなっていた。

 顧客はどういうわけか比較的若い女が多かった。最初は正気かと思ったけれど、そのうち慣れた。どうやら昨今男を買うのは誰にも相手にされなくなったババアではなく、ねじまがった二十代女子であるらしかった。僕は女には内面なんか存在しないと思っているから(だって、あいつらの行動って蟻とそんなに変わんないじゃん。蟻に内面とかあるか? )、実年齢はどうでもいいんだけど、身体が若いのは助かった。若いほうがまだ見苦しくないし、だいいち、三十すぎたババアは、くせえだろ。鼻だけ息止めてやるのは手間だし。

 新しい蟻がやってきたので食事に誘うと蟻は露骨にいやな顔をした。さっさとやれと言わんばかりだ。欲求不満があまりにひどい。僕は笑う。メシくらい食わせろよと思う。世も末だと思う。女というものは、いつも、こんなにも、醜い昆虫だ。僕が気の利いた会話を展開するとため息をついてきみの話は押しつけがましいと言った。失礼な蟻だった。安っぽいキャリアウーマンもどきの蟻。腹が立って頭に血が上ってやりたくなったんだけど蟻は目と鼻の間に皺を寄せて僕を押しのけてホテルの部屋の扉まで後退して後手に持ったかばんを漁ってカネを撒き、帰れ、と言った。蟻は出張でこのホテルに泊まっているから自分が帰るわけにいかないのだった。せこい。所詮は蟻だ。

 僕は流暢に語った。一万円札の散った床を見ながらベッドに膝をついて腕をだらりと落としたまま延々と語った。僕の母について。僕の母が決して僕に触れなかったことについて。清潔な部屋と栄養バランスの整った食事と完全な学習環境を提供し、僕が六歳になるまで冷徹な子守を雇って、僕に一度も触れたことのない、母について。

 蟻は鼻と目のあいだに皺を刻んだままティッシュペーパーにぺっとつばを吐き、僕を見たまま着衣の乱れを直して、かわいそうにね、と言った。かわいそうにね、お母さんに撫でてもらったことがなくて、でもわたしはあなたのこと嫌いだから帰るわ。ファミレスで時間つぶして東京の顧客のとこ行って新幹線で寝て帰るわ。

 カーテンをあけると西新宿は早朝で、やたら光っていた。ビルばかりだからだ。ビルはガラスをいっぱい使っているから。

 僕は女の取ったホテルで女の食べるはずだった朝食を平らげて大学に行った。カネはもらった。仕事、すなわちセックスあるいはそれに類する行為はしなくて済んだ。女は関西在住だそうだからもう来やしないだろう。つまり、OK。まったくOKだ。

 そんなのは僕の学生時代のありふれた夜のひとつで、今どうして想起したのかと思ったら、あの蟻の女に母の話をしたからなのだった。なんで話したのかと思う。たぶん、人間っぽいことしたらエージェントにクレームがいかないと思ってやったんだと思う。

 東京に両親がいるのに家出して何もかも自分でまかなって卒業してめでたく外資に就職してそのままドイツに渡って二年後に帰国した。つまり、今。

 両親は完全に老人に見えた。彼らはあきらかに僕をもてあましていた。肩もんであげようか。そう言うとお願いしようかしらと母は言った。気がつくと僕は「大人になった息子の穏当な肩もみ」を終えていた。それじゃあねと僕は言った。ありがとうと母親は言った。父親は黙っていた。僕は不意に理解した。僕は二度と彼らを訪れないだろう。僕は二度と彼らを求めないだろう。僕は二度と、あの蟻たちを必要としないだろう。

愛されにくさへの手当て

 わたしは愛されにくい。ほとんど誰もわたしを愛さない。しかたがないから愛されにくくてもできるだけ楽しく生きていく方法を考えようと思った。十五のときのことである。

 わたしは空気が読めない。口頭での会話が苦手で、人と話す場面でがちがちに緊張する。クラスの子たちは半笑いで気持ち悪そうにわたしを避けた。話ができない人間は基本的にだめだ。でもたまに問題ない人もいる。ろくに口をきけない女の子はクラスにもう一人いたけれど、彼女はとても華やかな容姿だったから、可愛い可愛いと言われて何人かの女の子たちに取り囲まれていた。

 わたしは美しくない。ごつごつしたからだつきで痩せても太っても女の子っぽくならない。顔は左右非対称で目が奇妙な垂れ方をしていて鼻が曲がっている。肌がでこぼこで毛穴もすごく目立つ。態度とあいまって「気持ち悪い」という表現がもっとも適切だ。生理的な嫌悪感をもよおされやすい容姿なのだ。

 わたしはそれを認めた。しかたないと思った。女の子なのにねえ可哀想にねえというのが口癖の、四十過ぎてもつるつるした肌のきれいな母にうんざりしたためでもある。母は、わたしの世話をしたけれど、わたしのことを気持ち悪いと思っていた。

 母に愛されないから、母を憎むことにした。あんな低俗で愚かで不勉強な女はいないと思うことにした。母がわたしの容姿をけなすと、うるせえゴミクズ、と心の中で言って、じっとりと母を見てやった。そのうち母はわたしと口をきかなくなった。わたしは気づいた。母はわたしが怖いのだ。わたしがたくさん本を読んでいて、うまく話せなくてもものを考えるのは得意だとわかっているから。

 わたしは母を見限った。きょうだいはいないし、父親は家庭にまったく関心がない。友人はできたことがない。祖母は少しやさしかったように思うが、わたしが七つのときに死んだ。十五年生きて、誰にも愛されない。死にたいような気もしたが、死ぬのは怖いからやめた。

 わたしは会話の練習をした。台本を作って暗記し、鏡に向かって何度も話した。可愛い女の子の写真を実物大にプリントアウトし、それを箱に貼って練習に使った。よく使う台詞のパターンを作り、それを状況に合わせて発声できれば、会話ができる。わたしは十五歳から二十歳すぎにかけて懸命に訓練し、果敢に実践した。もちろんみんながわたしを気味悪がって無視したり、ひそひそ笑ったりした。でもそんなのはどうでもいいと思うことにした。学校を出たら一生会わない。おまえらなんか練習台だ。そう思った。服装はスタンダードをきわめた。地味目の普通。店員の目もぜったい気にしないと決めてばかみたいな量の試着をし、毎日化粧の練習をした。大学生になると、少しはましに見えて舐められにくい格好を確立した。

 その結果、わたしは視線を微妙に外したまま棒立ちになって無表情でぼそぼそ話している不気味な人として、特定の何人かと会話ができるようになった。十代後半を費やした血のにじむような努力の成果としてはたいしたことがないようにも感じるが、でもいい、と思った。SNSも使った。口頭で話すよりは上手くことばを出せるし、容姿も関係ないからだ。そうしてSNS上で話す相手を幾人か見つけた。

 それから大学を出て就職した。上司も同期もわたしをいじめないが、好みもしなかった。誰にも誘われないし、昼休みはいつもひとりだ。よろしい、とわたしは思った。迫害されないだけまし、舐められないだけ上等、業務に支障がなければ重畳。

 わたしはわたしと口を利く人がいないか、時間をかけて探した。わたしのような愛されにくい人間が他人に近づくとき、ぜったいに持ってはいけない感情がある。執着だ。考えてみてほしい。たとえ気持ち悪くない人だって、ちょっと相手をしたからって全力でしがみついてきたら、怖いだろう。わたしは大学生の後半、毎週禅寺に通って自分の執着心を見つめた。今でも一人で座禅している。座っているといろいろな雑念が浮かぶが、いつも、ほとんど必ずいつも、「愛されなかった」という感情がやってくる。すごく強い恨みの感情だ。わたしは思う。「愛してほしかったのに、愛されなかったな」と思う。「恨めしいな」と思う。それを何百回も何千回も繰りかえすと特定の人にしがみつこうという気はなくなる。

 今でも親密な友だちはいない。恋人もできたことがない。でも、愛されないことを気に病まなくなった。何人か口を利く人がいて、人間扱いされているから、なんだかそれだけですごく幸福であるような気もしている。そもそもみんなだって、ちゃんと愛されているか、わからないではないか。

知らないなんて許せない

 ソーシャルメディアをぜんぶ閉じた。ものを書いたときの通知に使用するSNSアカウントを一つ残したが、そこでも一切の相互性を排除した。誰もフォローしない。リプライはしないし、見ない。シェアや「いいね」はもとよりほとんどしないが、徹底してゼロにする。

 インターネットで文章を書いて十数年になる。書いているのはフィクション、それから人が書いたフィクションに対する感想文である。ふだんはコメント欄のないブログで延々と書いている。たまに注文原稿の依頼が来る。注文に沿うように努力をするが、いつも注文どおりに書けるのではないし(あきらかに書けない内容の依頼だと辞退する)、しょっちゅう依頼があるのでもない。だから私はプロではない。基本的には自分のために無料の文章を大量に書いている愉快なアマチュアである。

 私は社交をしないのではない。インターネットでもいい文章を見たら賞賛の感想文を書いてアップロードして本人にURLを送りつけたりする。一方、私のところに知らない人から身の上話などが送られてくることもある。「ほほう」と思って読む。他人の身の上話は嫌いではない。

 ではなにがいやでソーシャルメディアを全部閉じたかといえば、「自分の話をしろ」という要求がいやで閉じた。

 私は、本を読んで「まるで私のために書かれたかのようだ」と思うことがある。ぜったいにそんなわけがないのに、「私の話だ」と思う。「私のステイシー・レヴィーン(作家名)の話をしていいですか」などと言う。ほんとうはまったく私のではない。赤の他人である。これ以上ないくらいきっぱりさっぱり無関係の他人である。

 そんなだから、「自分のための文章みたいだ」と言われることにはまったく抵抗がない。どうぞこの野良ブロガーの文章をあなたのためのものと思ってください。私も赤の他人の小説家の文章を「私の」と言ってにこにこしています。めでたし、めでたし。

 問題はその逆だ。「こうした文章を書く人が赤の他人であってはならない」というような欲望である。そんなやついるのかと思われるかもしれないが、いるのだ。その人にとって私は自分の一部、あるいは好みの文章を「供給」する道具のようなものである。私にメッセージを送るとき、彼らは巨大な、理不尽にひどい目に遭ったという感情を、そのメッセージにこめる。

 彼らはソーシャルメディアアカウントを持っている。彼らはそれでもって私をフォローする。私は彼らを知らない。彼らは私にメッセージを送る。私は「読んでくださってありがとうございます」と言う。あるいは何も言わない。彼らはまたメッセージを送る。そこには激しい怒りと苛立ちがこもっている。私が彼らのための物語を書かないことを、今週の更新が彼らの気分を良くする作風でなかったことを、私が彼らのメッセージに丁寧な返信をしないことを、私が彼らのアカウントをフォローしないことを。彼らはたとえばこのように書く。

 無視するとはどういうことでしょうか? ○○さんの@には返信していました。公共の場でそんなに差をつけるのがどういうことか考えていらっしゃいますか?

 あるいはこのように書く。

 お返事をいただけないほど怒らせてしまって本当に後悔しています。最後にこれだけは聞いていただきたいのですが、

 怒っていない。怒る材料がない。だって、知らない人なのだ。

 槙野さんがわたしを知らないことが耐えられません。知られる価値を生み出せなかったわたし自身を許せません。

 知るわけがない。赤の他人である。知らない人である。私はプロではなくて愉快なアマチュアだから、営業のためにソーシャルメディアを使う必要がない。だから相互性を一切排除した。無視していればいいと言う人もあろう。私だって罵詈雑言なら平気で無視する。でもあの巨大なエネルギーを無視することはできない。ああいうものに対して無感情になることができない。

 私はあの怒りに見覚えがある。自分のものだと思っている相手が離れていこうとするときに見せる怒り、自他の境界が危うい人の発する怒りである。それを話したこともない他人にやっているのだ。自我の一部としてインターネット上の「供給」を切り貼りしている人がそれを取り上げられたように感じてすごく怒っているのだと思う。取り上げられたら自分の存在があやうくなるからあんなにも感情が巨大なのだ。私はそれを無視できない。相互性を排除することで「私はあなたではありません」「私はあなたのものではありません」と示すよりない。

あなたはこうしてキモくなる

 人間関係におけるキモさというのは、僕が思うに、舐めながら期待しているときに生じるんです。なんていうのかな、「この程度の相手であれば、自分をよく扱うだろう」という感じ。好意が発生するときにはしばしば期待がともなうものだけど、そこに相手を見下げた感覚とか、所有感みたいなのが入ると、一気にキモくなるんです。

 僕、モテるんですよ。こう見えて、実はすごくモテるんです。なんでだかわかりますか。「ちょうどいい」からです。それで、誰にモテるかっていうと、自信がないんだけどいつか誰かが自分だけの良さを認めてくれると思ってる女の子にモテるんです。自分だけの良さって、何かっていうと、別にないんです。具体的にはとくにない。あってはいけない。なぜかというと、それは自分を好きになった男が見いだすべきブラックボックスだからです。自分の長所を自覚すると、他人と比べたときにたいした長所じゃないってわかっちゃいますからね。彼女たちはただ「わたしなりに懸命に」生きるわけです。そして僕を好きになる。この人は自分を見いだすんじゃないかって思う。わかりますか、そういう期待をぶつけられる側が感じるキモさを。わかってもらえますか、このキモさを。恐怖に近いキモさを。

 女性たちに「自分を下げろ」「相手にとってちょうどいい女であれ」っていう声、ありますよね。あれはキモい。そして俺にはあのキモさの正体がわかる。単に異性に優越感を感じさせろという話じゃないんです、あれは。「無根拠な期待を煽れ」「その上で相手に自分を見下させて、安心させろ」という意味なんです。煽る期待の中身は、期待してる本人もわかってない。わかってたらいけないんです。せいぜい「この人とつきあうのかも」くらいじゃないと。

 つきあうって、何だよ、って思いませんか。俺は思う。その中身を決めてから手に入れるべく交渉すりゃあいい。でも彼女たちは決めない。決めるのはいやなんです。せいぜい「誠実なお付き合い」「結婚もあるかも」くらい。薄ぼんやりしてて、意思じゃなくて「そうなるのかな」っていう感覚。主語が自分じゃない。なぜかっていうと、責任を取りたくないから。誰かに決めてほしいんだ。キモさの一番のポイントはこれです。決めないであいまいに、でも強烈に、期待している。

 自信がないくせに他人に期待するなよ。そう思いませんか。自信がないんだったら、他人にも期待できないだろうに。何でそういう認識になるんだ。

 ああ、そうか、「自信満々で主体的な女」は「望ましい女」じゃないから、「自信がない」をキープするわけか。なるほどね。男なら「自信満々に相手を見下しながら、自分を持ち上げてくれるのを期待する」と思うのはまあよくあることで、普通にキモい。でもそのキモさはわかりやすいから、キモ度が低いんですかね。それとも俺が男だから男のキモさが相対的に低く感じられるんですかね。

 いやあ、でも、キモい男も、いるな。言われてみればいる。います。「自分程度であっても、こいつなら」と思って口説きにかかるみたいな男、いる。あのキモさは「ちょうどいい」的な期待をしている女たちと同じだな。色恋はじゃあ、関係ないのかな。えっと、ちょっとは関係ありますよね、自分がその気になってない相手からの色恋の気配は、それなりにかなりキモい。でもそれだけならたいしたキモさじゃないんだよなあ。見下しと期待ですよ、やっぱり、キモポイントは。そいつらはさあ、断ると怒るんだよ。プライドが傷つけられるんだよ。幼児がゲームに負けた時みたいにさあ。俺なら、振られたときは悲しい。おいおい泣く。自分キモいって思う。くやしくもなる。でも怒りはしないです。だってしょうがねえから。でも彼女たちは怒る。なぜかっていうと、自分は振られる立場じゃないとどこかで思ってるからです。

 俺だって、他人を見下すことはあります。ていうか、よく見下す。でもそれは俺の基準で見下してるだけだから、俺の勝手なんです。嫌いとか軽蔑するとか、そもそも関心を持たないとか、そういうのは、俺の勝手じゃないですか。でも、キモい女の子って、ああ、男もか、キモい人たちって、なんか薄ぼんやりした階級意識みたいなの持ってません? 俺はどうもそんな気がするんだ。薄ぼんやりしてるのに強固なまぼろしカーストを持ってるんだ。つまんねえ中学生みたいなさあ。わかります? その階級意識で「同じ階級のちょうどいいもの」を選択してて、それが俺なんです。だからキモいんだよ。てめえの中のわけわかんない階級を押しつけるなっていう話ですよ。

今じゃなければ、さよならだ

 子どもが泣いている。大人たちは笑っている。子どもは三歳半である。身も世もない、それはそれは悲しそうな泣きぶりである。

 女友だちが寄り集まって小さい子たちを連れてピクニックに出かけた帰り、電車に乗って順次解散しているところである。いちばん小さな三歳半の子は、そのほかの誰と別れるときにもバイバイと言って平気で手を振っていたのに、ひとりだけとても好きな女の子がいて、ぜったいにバイバイしたくないと泣いているのだった。

 いくら泣いても大人たちは笑っててきとうにごまかして彼の手を引いて歩く。バイバイと言わなければ別れは来ないと彼は思っていたのかもしれないけれど、もちろんそんなことはない。いなくなる。さっと手を振って泣いている彼を放ってあっというまにいなくなる。

 彼はまだ泣いている。彼は彼女とどうしても別れたくなかったのだ。子どもに未来の感覚は薄い。今でなければないのと同じである。だからどれほど「またね」「来月また来るからね」と言われても、ぜんぜんなぐさめにならない。今じゃないものは永遠の別れなのである。時間の概念ができあがっていないのだから。

 彼があまりに泣くので、私たちは道ばたで少し休憩する。彼の母が言う。子の目の高さまでかがんで言う。お別れしないってことは、追いかけるつもりなの? でも帰った人を追いかけたら、相手はどう思う? 困るよね。いくら好きでもあんまり困らせたらもう会えなくなるんだよ。今どうしても一緒にいてそれから一生会えなくなるのがいい? 今おうちに帰って来月また会えるのがいい?

 この母は私の古い友人であって、相手がわかろうがわかるまいが正しいことを諄々と言い聞かせる人である。三歳半にはまだむつかしいと承知の上で言うのだろう。子どもはまだ泣いている。私たちはペットボトルの蓋をあけてお茶をのむ。子どもにも飲ませる。

 また会えるのがいい。

 子どもが小さい声で言う。私たちは驚く。なんとまあ、この子の中には、もう時間軸があるのだ。来月というのはまだあんまりわかっていないかもしれないけれど、少なくとも今でないものを想定して取引をしたのだ。「また会えるなら、今別れることを受け入れる」という、世界との取引を。

 そうかそうかと子の母が言う。私たちは駅に向かって歩く。私は思う。きみはとてもえらいね。でもさっきまでのきみのほうが、実は正しかったんだよ。私たちには未来なんか本当はない。それはいつも後から思い出すものだ。「来月」がほんとうに来るかなんて、実は誰も知らないんだ。それは私たちの想像にすぎないんだ。もっと細かいことを言うなら、来月が来たときに私たちの全員が元気で、休日が取れて、それで一緒に出かける気になるなんて、ほとんど奇跡みたいなものだ。誰かの気が変わったら一生会わない。私の気が変わるかもしれない。そういうものなんだよ、ほんとうは。

 そう思う。でももちろん言わない。未来への信仰なしに、安定した社会生活はない。だから子どもが未来の概念を獲得するのは必要なことだ。私だってふだんはその信仰を持っているふりをしている。来月とか、次の水曜日とか、明日の朝とか、そういうものを。

 でも私には心底からそれを信じる能力がなかった。「明日が来るとか、嘘じゃないかな」と思わない夜はなかった。さっきまで泣いていた三歳半の子と同じくらいには未来というものを知らないまま生きてきた。私は、もう四十を過ぎたのに。たぶん私は一生こうなのだ。今でない時間の存在を、どうあっても飲み込むことができない。飲み込んだふりをしてスケジュール帳を使って、でもそんなものを実は信じていない。目を閉じてもう一度ひらいたら世界が崩落していてもまったくおかしくないのだと、どこかで思っている。

 そんなだから、私の世界にたしかにあるのは今このときだけである。食べたいような新緑の色、日陰に残る花の色、アスファルトを白く霞ませる強い光、斜め前を歩く母子、子の小さな靴、私たちを追い越していく自転車、日焼け止めを塗り忘れた首筋の熱。私が目を閉じて、また開けば、この世界は、どこかへ行ってしまう、何ひとつ残さずになくなってしまう、だから、今だけだ、今じゃなければ、さよならだ。

 さようならと私は言う。バイバイと親子が言う。曲がり角で振り返る。親子はまだそこにいて、もう一度手を振った。世界はまだある、と私は思った。今のところは。