傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

バスタブの桃

 丸ごと皮を剝いた桃を片手に湯船につかる。指の腹に果汁がじんわりしみる。肩から下の温度を感じながら白い桃を眺める。それからがぶりと噛みつく。わたしが動くと湯気がぼわりと揺れ、浴室に桃の匂いがたちこめる。入浴剤ともハーブのオイルともちがう、気性の激しい果実の香り。わたしは鼻孔をひらき、口をひらき、まぶたをゆるめ、歯を剥きだしにして桃を食べる。

 わたしが小さかったころ、「お行儀のない日」という祝日があった。親が口にする冗談みたいなもので、国民の祝日ではない。でも未就学の小さな子どもにとって、自宅での特別な日はそれと同じようなものだ。「お行儀のない日」は一年に二回くらい来た。今にして思えば、それは母とわたしをとても親密にした。

 わたしの基本的な生活習慣を躾けたのは父だった。父はまめな男で、家にいるときはしばしば掃除をしていた。手を洗うついでにシンクに残った食器を洗うような人だった。幼いわたしは父に爪を切ってもらい、髪を結ってもらい、歯の仕上げ磨きをしてもらい、日焼け止めを塗ってもらった。そうして何百回も「夜は決まった時間に眠らなければならない」と諭された。わたしは父を好きだったけれど、ちょっと煙たくなることもあった。だって、お父さんには、嫌いな野菜さえないんだもの。

 母は生のトマトと加熱したにんじんが嫌いで、気を抜くと箸の持ち方が変になってしまう人だった。家庭における母は豪快な料理を作って笑っている係で、台所以外では家事をせず、よく飲みかけのコーヒーカップを置きっ放しにしていた。しかもほとんど必ず少しコーヒーを残していた。父はそれを洗いながら、食器は一度使ったら洗うものだ、と言った。はあい、と母は言った。そしてまたカップを置きっぱなしにした。母なりにきちんとしようと努力していたけれど、どうしても追いつかない。そんなふうに見えた。

 父の泊まりがけの出張をねらって、母は宣言した。「お行儀のない日が来ました」。わたしはものすごく喜んだ。わたしたちはベッドの中でチップスを食べたり、おたがいの顔に母の化粧品で落書きをしたり、落書きした顔のままファンキーなダンスを踊ったり、夜中までテレビを観たり、パジャマを着ないで眠ったり、した。

 お父さんには内緒よ。外ではやらないのよ。母はそう言った。わたしの答えは決まっていた。はあい。とても良いおへんじ。だって、「お行儀のない日」は特別で、頼まれたって母以外の人と過ごしたいものではなかったから。わたしと母のふたりきりの日、外の人はみな知らない日であってほしかったから。「お行儀のない日」、母はいろんなことを提案したり、許したりしてくれたけれど、悪いことはひとつもなかったと思う。わたしたちの秘密はとても無害なものだった。誰にも迷惑をかけないこと、でも人には言わないこと、お風呂の中で桃を食べるようなこと。

 不器用な子どもが桃の種のまわりをかじると顔も服もべたべたになる。母がお風呂に桃を持ち込んだのはそのためだったのだろうと思う。ベッドでチップスを食べたのはシーツを洗う直前のことだし、夜中までテレビを観ていいと言われても、幼いわたしはわりとすぐに眠ってしまったはずだ。子どもはほんとうに起きっぱなしになりたいのではなく、起きていてもいいというシチュエーションにはしゃぐだけなのだ。母はああ見えてけっこう合理的に判断していた。そう思う。

 頭まで湯につかる。バスタブの底の栓を抜く。居間でぼんやりする。寝室で眠る夫も二歳の息子も、わたしがお風呂で桃を食べたことを知らない。わたしは自分の子とふたりきりで特別な「祝日」を過ごすことがあるだろうか、と思う。あるにしても、わたしと母のことは秘密のままにしたい、と思う。わたしも母親になったけれど、だからといって母の子でなくなったのではない。子どもであるわたし、保護される側のわたしがいなくなったのではない。お母さんはお母さんのままだ。まだ六十代なのに、ときどき台所のコンロに火をつけたことを忘れるようになり、親族の総意で家をオール電化にしたけれど、お母さんはお母さんのままだ。なんにも変わっていない。

 大人になってから母と過ごす時間にはだいたいほかの家族がいて、母とふたりで話すことはあまりない。けれども、次にそういう時間ができたら、きっと言おうと思う。わたしが小さかったころ、お母さんとわたし、お風呂の中で桃を食べたよね。お母さん、とっても楽しそうだった。

関係のない人

 業務用のソフトウェアを企業に売る仕事をしている。わたしの所属する会社がそのソフトウェアを開発しており、わたしは営業である。ソフトウェアの使用を検討している会社に出向き、彼らの話を聞き、マッチしているようなら導入のための計画を立て、導入に障害がある場合にはその相談にも乗る。費用をじゅうぶんに出せないなど、導入がそぐわない場合には、ご縁がなかったということで引き上げる。導入が成れば先方はわたしの会社の長期的な顧客になるが、わたし自身の仕事はおおむねそこまでである。ソフトウェアの使用時に何かあった場合にはサポートのチームが対応する。わたしが導入後の企業と直接つきあうことはほぼない。

 ほぼ、とつけたのは、今日、導入後の企業から連絡があったためである。通常はゼロだ。先方の人事異動で新しい担当者がついて、引き継ぎがされていないままわたしの名刺を使ったというようなことかもしれない、と思った。なにしろ先方がわたしの会社のソフトウェアを導入してくれたのはもう八年も前のことなのだ。わたしは当時のメールを検索し、古い名刺を確認した。けれどもメールの送り元も、その署名も、わたしの記憶と手元の名刺にあるとおりなのだった。わたしはいささか不思議に思いながら、サポートチームの連絡先を再度送った。

 そのクライアントから返信が返ってきた。しかしながら、何を書いているのかどうもよくわからない。ものすごくあいまいな文面を三度、読んだ。クライアントが三度目のメールでようよう書いた名前は、僕の聞き覚えのないものだった。メールにはこう書いてあった。弊社のカワラブキが何かいたしましたでしょうか。

 知らない名前である。否、半年前、そうだ、半年前に、駅で唐突にその名前を名乗られたことがあった。半年前、外で昼食を食べて自社に戻っていたところ、知らない人に話しかけられた。その人はこう言った。あの、カワラブキです、ご無沙汰しております。

 わたしはその名前を知らなかったから、お人違いではないでしょうか、というようなことを述べて、立ち去ったのだと思う。たしかそうだったと思う。こまかいところは覚えていない。人間は意味のないことからどんどん忘れる。正確には、記憶されてはいるが想起されない、と本で読んだ。

 しかたがないのでクライアントに電話をした。メールに残したくないと先方は感じていて、しかもわたしが聞いておいたほうが良さそうな雰囲気だと感じたからだ。根拠はない。勘である。

 はたして、先方はカワラブキさんとわたしの間に何か深刻なことがあったと捉えていたようだった。わたしがカワラブキさんを誰とも知らず、半年前に話しかけられたことをようよう思い出した程度だとこたえたら、絶句していた。カワラブキさんは八年前、わたしが営業でその企業を訪れたときに同席した女性だそうである。当時はアルバイトの学生で、その後就職したということだった。クライアントの話とわたしのおぼろげな記憶を照合するに、わたしはカワラブキさんと何度か顔を合わせたようだった。短い世間話くらいはしたかもしれない。なにぶん八年前のことだ。直接のクライアントはともかく、同席しただけの人のことなど霧の向こうのようである。

 そうしてそのカワラブキさんは、「詳しいことは話したくないが、八年前に営業で来ていた男性にとてもひどいことをされ、深く傷ついた」と話して、会社を休んでいるとのことだった。わたしは仰天した。わたしはたしかに八年前にその会社に営業に行った男だが、カワラブキさんの存在さえ認識していなかった。関係がないのだから、傷つけることはできないのではないか。

 その後、クライアントから再度電話があった。とてもとても恐縮していた。カワラブキさんがわたしにされた「ひどいこと」というのは、「自分の名前を覚えていなかったこと」だそうだ。何やら思い立ってわたしの名前をSNSで検索し、わたしが営業先に出ていないときは決まった時間に外で昼食を摂ることを察知して、それで近辺にいたのだそうである。

 カワラブキさんが何をもってわたしに執心したのかはわからない。何らかの思いがあって、それで八年も連絡しないというのも、わからない。SNSの実名アカウントの投稿内容をつぶさに見るくらいならメッセージを送ってくればよいと思う(それが可能な設定である)。何から何までわからず、なんだかとても気味が悪くなって、わたしは反射的に、お気にならさらず、とクライアントに言った。ぜんぶ忘れますので、どうぞお気になさらないでください、わたしにはかかわりのない方なのですから。

分散派の言い分

 彼女には恋人がふたりいる。恋人がいない期間もある。恋人がひとりだけということはない。生物として活性化すると恋をするので一人では足りないのかな、と思って話を聞いていた。でもどうもそうではないようなのだった。彼女は恋をするとあわててもうひとり、好きになれそうな人を探すのである。

 このたびはその「もう一人」が見つからないのだそうだ。恋人のふたりも見つからないなんて、わたし、もてなくなった、と彼女は言う。ほんとうにつらい、と言う。ひとりでもいいじゃんか、と私は言う。私は、恋は一対一でするべきだなんて、ぜんぜん思わないし、恋人を何人つくろうがその人たちの勝手だと思っているけれど、でも無理に見つけることもないとも思うよ、一人に集中するのもなかなか乙なものですよ、私たちは仕事も忙しいのだし、体力も衰えつつあるのだし、恋をいくぶんか減らしたってよろしゅうございましょう。

 いやだ、と彼女は言う。忠誠を誓うのはいやなんだ、と言う。忠誠、と私は言う。私の知っている夫婦に、夫が妻の手を取ってその甲にキスするのが習慣になっているふたりがいるんだけど、そういうのかしら。でも彼らだって忠誠なんか実は誓っていないと思うけどな、そういう様式を楽しんでいるだけで。

 彼女は言う。わたし、ひとりだけを愛したら、たぶん、死ぬ。人を好きになって、最終的にどうするかっていうと、一緒に死ぬしかない。わたしはそう思う。ほかに結末が思いつかない。だって、こんなに好きなのに、あの人はわたしじゃないんだよ。ちがう細胞でできていて、同じ空気を吸っていない時間がうんと長くて、何もかも話すことさえできないんだよ。わたしたちは違う服を着て、ちがうことを考える。笑うタイミングだって同じじゃない。どうして笑っているのかわからないことさえある。みんな、よく平気な顔して歩いてるね、好きな人と死ぬこともしないで。わたしは、本気でそう思う、若いころから今まで、好きになったら一緒に死ぬ以外にどうしようもないと思ってる。だからぜったいに誰にも忠誠を誓いたくないの。

 なるほど、と私は思う。彼女は浮気者だから恋人をふたりつくるのではないのだ。彼女はあまりにも恋慕の情が強いので、それを分散しなければならないのだ。彼女の情愛、彼女の執着、彼女の独占欲はそれほどまでに強いのだ。

 私は過去に彼女の好きになった人の口のききかたを覚えている。彼女が何年ものあいだ「彼はこう言った」と語りつづけていたからだ。彼女は彼の語彙をコピーする。彼女は彼の助詞の使い方を再現する。彼女は彼の口にした愚かしいせりふもしっかりと再現する。彼女が見ているのは幻想ではない。恋に幻想はつきものだというのに、現実ばかりを彼女は見ている。汚いところや卑しいところを見ても彼女は彼を嫌いにならない。あばたもえくぼ、ではなくて、あばたはあばたに見えていて、なおかつ好きなままなのだ。

 それって、片方がメインでもう片方は愛情の放水路みたいなものなの?私がそう尋ねると、彼女はひどくあきれた顔になり、ゆっくりと首を横に振る。あんたは何もわかってない、と言う。放水路?そんなのなんになる。多摩川利根川のどっちが本流かっていうくらいわかってない質問だよ、それは。好きな人は好きな人。何でもしてあげたい。目の前にいたらもうお祭り。花火があがっちゃう。何年つきあっても祭りは終わらない。でも、ふたり一度に好きなのは不誠実だから、わたしはいつの日か、どちらかにふられてしまうの。そうするとだいたい同じくらいの時期にもう一人ともうまくいかなくなるの。

 私は確認する。恋人が二人いたら片方に振られてももう一人いるな、って感じじゃないの?二人もいるのにぜんぜん余裕がない感じなのはどうして?彼女は首を横に振る。二人いてギリギリ死なない、くらいの感じだよ。どうせもう一人の男のほうが好きなんだろう、とか、どうせ俺のものじゃないんだろう、とか言われて悩んでるうちは死なないし、殺さない。自分の感情に潰されることがない。

 そんなにも人を好きになれるのはいいことだなあ、と私は思う。相手の男性はたいてい苦しむんだけど、でもまあ、しょうがないよなあ、と思う。私はどうも彼女を悪いと思えない。「恋はひとりに対してするものと決まっている」という規範があるのは知っているけれど、それに根拠がないことも知っているし、恋はだいたい、したら傷つくものだからだ。

人格を売る

 医者だから高潔な人格者だなんて今どき誰も思わないって、わたし、思ってた。医学生のとき。だってそんなわけないじゃん。わたしたちはただの、そこらへんの、生きるために仕事してるだけの人じゃん。でもさあ、医者は特別にきちんとした立派な人間だと思ってる、というか、そうあるべきだと思っている患者さん、けっこういるんだよ。卑しい人間、あるいは単に「メシを食うために仕事をしている」という人間は、彼らにとってハズレの医者。医療行為ができてもだめ。立派であるべきなのにそうではないから、だめ。泣いたり不安定になったりもしない、人が死んでも動揺しない、でも人情はある、それが彼らの頭の中のあるべき医者なんだ。そういう前提の患者さんがかなりいるんだ。ほんとわかんない、わたしは、仕事として医者をやっているし、患者さんが死んだら動揺する、隠しきれてない。

 わかるわあ。先生は子どもを愛して当然だって、保護者は思ってるみたい。わたしが提供しているのは教育サービスだよ。愛じゃない。愛が業務に付帯するなんてどこにも書いていない。それなのに、みんな、献身的な教師が好き。教師ってさあ、ただの仕事だよ、献身なんかしちゃいけないよ。でもみんなそういう話、好きみたいなんだよねえ、献身とまではいかなくても、子どもが非行に走ったときには夜中でも何でもかけつけてゆっくり話を聞いてあげるとか、担任の子どもが恵まれない立場にあったら自分のお金をあげたりとか、そういうやつでも。わたしは、そんなのおかしいと思う。それをして当たり前だという感覚、むちゃくちゃだと思う。

 でもさあ、その種の幻想をぜんぶとっぱらっちゃうわけにもいかないと思うんだよ。わたしはその幻想に凭りかかって仕事をしている部分もあると思うんだ。彼らの幻想を利用しているなって思うんだ。

 どういうこと。幻想がない人もいるよね。学校でいうと、モンスターペアレントと呼ばれるような人たちは、ぜんぜん幻想持ってない。どちらかというと教師を自動販売機みたく思ってる。百円入れたのに指定のお茶のペットボトルが出てこないから蹴るみたいなかんじ。

 まあね、幻想のない人はいる。少しは持っている人が実はかなりの割合で、いる。彼らが治療上の指示にしたがってくれるのは、お医者さんは立派なものだと思っているから。わたしは、「患者が医者の指示にしたがうのは、医療というサービスの受益に必要だから」と思っているんだけど、どうもそういう人ばかりではないみたい。そしてそれが診療を成り立たせている場合がある。かなりの割合である。

 それは、つまり、「立派な人であるはずだから言うことを聞いて薬をちゃんと飲む、みたいな?

 そうそう。立派な人だからこそすんなり言うことを聞く。そういう人かなりいるとわたしは思ってる。だから幻想がなくなってほしい一方で、なくならないでほしい。幻想だけがなくなったら、わたし、医者続けられないかも。自分では優秀なサービス事業者になりたいと思ってるんだけど、「立派な○○先生像」みたいなのをこっそり併売して乗り切っているのかも。

 ああ、それは、わたしもそうだ。子どもと大人という権力の非対称性に「先生のほうがえらい」という幻想をしみこませて、それでもって教室を制御してるんだ。うちの子たちは確実に「勉学を身につけるためには教師の言うとおりに授業を聞くことが必要だ」とは思ってない。「先生に怒られると怖いような気がするし、この場で重要な人物みたいな気がするから、あんまり考えず指示にしたがう」と思っている。子どもがいっせいに蜂起したら、ぜったいにかなわないのに。

 学級崩壊だ。なるほどねえ、学校という場から権威の幻想を剥がすと、そうなるか。

 学級崩壊まじ恐怖、考えうるかぎりもっとも悪い夢のひとつ、学級崩壊に遭わないためならわたし「立派な先生」の人格なんかいくらでも偽装する、仕事に関するポリシーも投げ捨てる、学級崩壊超怖い。

 ねえ、わたしたちの人格は、仕事のための売り物じゃないよ。でもわたしたちはそれをたしかに売っているよ。偽装とあなたは言うけれど、わたしは偽装では済まなかったと思っている。皮膚を青く塗り続けているうちに色素が少しずつ沈着したと思っている。わたしの皮膚はもとの塗料ともちがう、薄汚い色になった。もう洗い落とすことも剥がしてしまうこともできない、わたしの一部になっている。

八木さんのこと

 わたしの仕事を非難するとき、八木さんは必ずわたしの名を呼んだ。ーー藤井さん。独特の間をあけて、ゆっくりと発音するのが常だった。わたしの胃はひゅっと縮みあがり、冷や汗がどばっと出る。今度は何をしでかしたんだ、と思いを巡らせ、ああしておけばよかった、こうしておけばよかった、と後悔した。いちばんしんどいのは、わかっていてもクリアできなかった部分を指摘されるときで、八木さんは決まって「ご自覚もあることと思いますが」と言った。

 八木さんはわたしにだけ厳しかったのではないと思う。長年のクライアントがよこした新人という、ものの言いやすい相手ではあったけれど、誰が同席しても八木さんは辛辣だった。仕事はとてもできた。非常に正確で、抜け漏れがなかった。八木さんに正解をもらえたら、だいたいOKだと思ってよかった。型のあっていない古くさいスーツを着て、おしゃれというものに縁がないから、うんと年長に見えたけれど、ほんとうはわたしより十歳しか年上ではないと聞いた。八木さんが笑うのを見たのはそのときがはじめてだった。八木さんはちいさく笑って、子どもは六歳です、と言った。六歳の子のことを考えて笑ったのだと思った。なにしろ愛想笑いをしない人だから。

 自分にも他人にも厳しいと言えば聞こえがいい。要求水準が高いと言ってもおおよそは褒め言葉だ。でも現実に誰にでも厳しく、いつでも高い水準の仕事を要求したら嫌われ、避けられる。当たり前だ。八木さんはだから嫌われ者だった。八木さんの会社は伝統があり堅い社風で、八木さんはそこにぴったりとはまりこんでいるように見えた。

 八木さんを担当していると言うと、わたしの会社の誰もが同情してくれた。新人の女の子に担当させる相手じゃない、という意見も聞いたことがある。でもわたしは配置換えを望まなかった。換える人員がいないからではない。八木さんが好きなのでもない(はっきり言って顔も見たくない)。八木さんがわたしに厳しいのはただただわたしの仕事ぶりが八木さんの要求する水準に合っていないから、それだけだからだ。

 若いからでなく、女だからでなく、容姿や態度がどうこうではなく、ただ仕事だけを非難する。そういう相手は、実は貴重だ。わたしの入社した時分には、雑談や酒の席で平然と女性社員の顔立ちや胸の大きさを品評する連中がいた。わたしはそれをぼんやりとやりすごしているふりをした。そして忘れたふりをした。でも忘れることなんかなかった。わたしは高校生のころ、「人間手帳」とあだ名されていたのだ。覚えようと思わなくてもたいていのことを覚えている。わたしが偉くなったらこいつら全員くびにしてやると思っていた。若かったのだ。今ではくびではなく減給くらいでいいかなと思っている。

 八木さんは誰にでも辛辣だった。誰に対しても愛想笑いをしなかった。気分で人を叱ることがなく、同じ基準で問題点を指摘した。いつも機嫌が悪そうに見えたが、実際には単に愛想がないだけで、気分屋ではなかった。むしろ一貫していた。八木さんは決してわたしの人格や気持ちを否定しなかった。わたしの属性によってわたしを判断しなかった。ただ仕事ぶりだけを否定した。わたしはだから八木さんを信頼していた。もちろん、ぜんぜん好きじゃなかったけど。

 向こうの送別会もかねて大勢集まるんですけど、いかがですか、あ、八木さんもいらっしゃるそうですよ。同僚がそう尋ねて、わたしは首をかしげた。新人の二倍ほどの年齢になり、わたしは現場に行かなくなった。八木さん、と言うと、同僚はちょっと笑って、あの人には絞られましたよねえ、とつぶやいた。でももうあの人も丸くなったんで、ええ、そうなんですよ、あの会社、組織が変わったでしょう、雰囲気もやり方もずいぶん変わったんです、それで、どうも八木さん、うまくいってないみたいで、まあ、あの調子ですからね、好かれやすい人じゃないんで、でも本人なりにどうにかしたいみたいで、とにかくにこにこしてますよ、にっこにこして、猫背になって、昔話ばかりしていますよ。

 そう、とわたしはこたえる。懐かしいですね、と言う。それからてきとうな理由をつけてその会への出席を断る。わたしは八木さんを軽蔑したくなかった。わたしが仕事を覚えたころの手厳しい教科書、わたしの胃痛の源。八木さんにはいつまでも「できる大人」であってほしかった。愛想笑いして昔話なんかしてほしくなかった。わたしの作った書類を眺め回して、あの怖い声で「藤井さん」と呼んでほしかった。ため息をついて、「何ですか、これは」と言ってほしかった。

弱者になれない弱さ

 目の前の男はぜったいに困っているはずだ。あらためて、そう思う。どう見ても彼のできる仕事がないからだ。以前のことは知らない。合併前は別会社にいた人だし、仕事上のつきあいもなかった。推測するに、そもそもあんまり仕事ができるほうではなかったのだと思う。それでもどうにかなっていたのだろうと思う。企業に余力があるときはろくに仕事をしていない人間が結構なポジションにいることがある。彼はかつて結構なポジションにいて、合併でヒラになった。それでもなお、彼は待遇にふさわしい仕事をしていないのだった。

 業務内容の変更および業務量と待遇の切り下げに合意する、または退職する。それ以外に彼の選択肢はない。僕が決めたことではない。経営者たちが決めたことだ。僕の役割は新しく作られる部署の管理職のひとりとしてメンバーと面談をし、合意を得ながら細かな人員配置と作業フローを作っていく、みたいなことだ。

 それで面談をしているのだけれど、始まる前からうんざりしていた。口の悪い同僚は影で彼を「不良債権」と呼ぶ。そういう立ち位置になりたくてなる人はいないし、見ているほうもつらい。早く彼が役に立てる場所に行ってほしいと僕は思う。ミスマッチ自体はただの不幸で、相手を悪く思うようなことではない。僕は、雇用のミスマッチが起きている相手だから面談したくないのではない。若い部下たちが言うように「あの人は横柄だから、やたら威張っているから、嫌い」というわけでもない(嫌われやすいだろうとは思うが)。彼から発される憎悪のようなものを浴びるのがいやなのだ。

 憎悪に満ちた人間は皮膚の表面にそれをにじませている。僕はそういう人間をできるかぎり避けて生きてきた。彼らは「世の中まちがっている」と思っている。「自分はこんなところにいるべき人間ではない」と思っている。「自分はこのように扱われるべき人間ではない」と思っている。僕だってそう思うことはある。その場合は今いる場所の変革のために努力するとか、別の居場所を探すとか、不当な扱いをする相手を遠ざけるとか、する。でも憎悪に満ちた人間たちはそれをしない。とどまったまま、自分以外の何かを憎む。憎悪は減ることがない。増えるばかりだ。そういう人間と対面するすごく疲れる。

 この人にも家族がいるんだよなあ、と僕は思う。こんなにも激しい苛立ちをすべての仕草と声に載せている人間と同じ空間で息を吸って、同じテーブルで食事をとり、同じテレビの画面を見て、あまつさえ口をきいたりするんだよなあ。すげえな。俺には無理だ。心の中でつぶやき、彼を見る。おまえさあ、と彼が言う。だらしなく斜めに腰掛けていて、不快な臭いがする。声ももちろん不快だ。その声がつぶやく。ばかにしてんのか。

 している、と僕は思う。それは今日の議題ではありません、と僕は言う。内心の軽蔑を態度に出してしまったらふだんは反省する。でも今日はしない。俺より十年以上長く生きているはずなのに社会人としての口の利き方も知らない人間への気遣いなんか持ち合わせてねえよ、と思う。

 この人は五十年も生きてきて何をしていたのだろうと思う。何度か機会はあったらだろうにと思う。「今とても困っているから、相談に乗ってくれないか」と口にする機会が。あるいは誰かから「あなたの仕事には問題がある」と言われて「そうなんです、助けてください」と言う機会が。彼はそのすべてを無視し、自分を冷遇する周囲を憎み、自分より年齢やポジションが下に見える人間すべてに礼儀を欠いた口を利くという最悪の鎧をまとってここまで来てしまった。威張る人間はたいてい不安なのだ。自分の何が問題かさえ把握できていないから、誰かに持ち上げられていようとするのだ。感じのよさを身につけ、自分が困っていることを把握し、他人に適切にそれを開示することができない。そのように彼らは弱い。あまりに弱いので弱者としてふるまうことができない。

 人に助けを求める能力を身につけるのはけっこうしんどい。でも絶対に必要なものだ。誰でも持っているべきものだ。僕はそう思う。いい年して困りながら威張るなんて怠惰に過ぎると思う。幼児だってもう少しまともに自分の困り具合を把握している。僕の息子は困っているときにかんしゃくを起こす子だった。僕も妻もその癖にはかなり厳しく対処した。そうしなければ息子がまともに生きていかれないからだ。

 目の前の男を見る。幼稚だ、と思う。長く抱え込まれた未成熟はときに人間を化け物みたいにしてしまうんだ、と思う。同情の対象にさえならない、醜い何かに。