傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

居候になればよかった

 半月後に職がなくなることが確定した。

 新卒で就職したころ、ひどく景気が悪かった。いくぶん回復してきた時分に転職を決めた。内定をもらって退職の手続きを取ったところで、転職先から内定を取り消された。

 その足で転職エージェントを訪ねた。エージェントのオフィスを出ると、やけに空腹を感じた。戦前から営業しているような定食屋に入り、かつ丼をむしゃむしゃ食べた。食べながら親しい幾人かに連絡すると、うちひとりから、仕事帰りに落ち合おうという返信が来た。どこへ行くのかと思ったら東京湾の隅に連れて行かれた。海に向かって叫ぶとよい、と勧められた。まあ騙されたと思って、と言われて、した。けっこうすっきりした。むかついたねと友人は言った。でも、死にやしないよ。そうだねと私はこたえた。これくらいじゃ死にやしないね。

 私の失業の一報を受けて連絡してきた人々はあきらかにおもしろがっており、私もだんだん、ちょっとおもしろいような気がしてきた。葬式みたいな顔してたって何も動かないよな、と思った。やけになっていたのかもしれない。

 蓄えはたいしてなかった。家賃の安い部屋を探して引っ越すべきか、というようなことを友人知人に話すと、うちに来ればいいじゃん、と言う者が幾人かあった。住みこみで赤子の世話をしてほしい、だとか、ごはん作ってくれるなら半年はOK、だとか。田舎の空き家を貸そうという人もあった。

 私は晴れやかに礼を言い、リストを作成した。預金や社会保障のあとに、いざとなったら泊めてくれるという人々、食べ物をくれるという人々、海に向かって叫ぶ提案をしてくれた人などを書き込んだ。失業くらいのピンチなら他人の同情でしのげそうな気がして、自分の資産に感心した。それまで気がつかなかったけれども、私は経済的価値のない「資産」をけっこう持っているようなのだった。

 結局のところ、辞める手続きをした職場の籍がなくなる三日前に次の職が決まったので、経済的なダメージはなかった。なんなら有給消化中に行くつもりだった旅行の費用が浮いた。浮いたぶんは私の失業に同情していろいろの提案をしてくれた人たちに食べ物や菓子や酒を振る舞うのに使った。もしも、と彼らは言った。これから先、同じことが起きても、どうにかなるよ、うちに来たらいいよ。

 そのとき私のしたことは、要するにただの転職である。けれども、あの半月間は私の、カネにならない資産を可視化した。もちろんそれはそのときだけのもので、貯めておくことのできない資産だから、今はあるかもわからない。失業騒ぎから何年かして、私は彼らに問いかけた。何かあったとき私にしてほしいことはある?彼らはそれぞれの要望を言った。自分にできることがあったから、私は安心した。

 自分ひとりで生きられないときには人の同情や好意を使用するのが正しい。なければ公の制度を使用するのが正しい。けれども、人の世話になるくらいなら死ぬという人もなかにはいて、ひとり、ほんとうに死んだ。

 仕事やめたんだ、と告げられたので、そうかそうかと私はこたえた。スマートフォンの向こうから、借り上げ社宅を出るのが月末で、とちいさい声が聞こえ、そうかそうかと、私はこたえた。うちに来たらいいよ。

 そんなわけにはいかない。スマートフォンの向こうの声はそのように言って、すこし笑った。じゃあ、と私は幾人かの名を挙げた。みんな、きみを住まわせてくれるよ、連絡した?

 その質問への返答は避けられた。スマートフォンからはただひっそりと笑いの気配が伝えられた。消える予告のような気配だった。それから声が聞こえた。とりあえず田舎に帰る。とりあえず生家に帰るという、よくある選択肢が、その人にとってはひどく良くないことだと、私にはわかっていた。うちに来ればいいと思った。

 でも来なかった。私の部屋だけでなく、誰の部屋にも来なかった。どこへも行かずに、生まれた家で死んだ。死者のスマートフォンを見た死者の姉が上京して生前連絡していた十人ばかりを訪ね歩いた。私のところにも来た。彼女は死者とそっくりにちいさく笑って、言った。どうしてあの子は、マキノさんの家に行かなかったんでしょうね。

 そんなのはわかりきったことだ。私は思う。死者は私たちの誰の世話にもなりたくなかった。そういう人だったのだ。他人の同情を買って居候していると後ろ指を指されるくらいなら生きていたくなかった人。同情もさせてもらえなかった側の人間がどれほど苦しむか、想像してもくれなかった人。冷たい人だ、と思う。私はきみのようにならない、と思う。自分で自分を支えられなくなったら他人の同情につけこんで居候して暮らそうと思う。

退屈?教養が足りない。

 職場のみんなの夏の休暇の日程が決まった。私は少しずらして九月に取ることにした。お盆に休みを取らなければならない理由がないので、九月でもよろしい。これはまったき真実であって、誰にも気を遣っていないのだけれども、八月に新婚旅行に行く部下がどうも自分のせいだと思っているようで、ほんとすみません、と何度も言う。まったく済まなくない。私はしみじみと言う。休暇は労働者の権利で、調整するのは私の仕事のうちだから、何も気にしなくて良いのです。一週間以上の旅行につきあってくれるなんてこと、家族だって稀なんですから、新婚旅行の次の機会は十年後かもしれませんよ、夫婦そろって取れる休みも貴重になるだろうし。

 じゃあ、槙野さんは、ひとりでどっか行くの?横にいた同僚がそう訊くので、そう、と私はこたえる。誰かと行ければ万々歳、デフォルトひとり旅。社会人になってから人と二泊以上の旅行をしたのは数えるほどしかない。だから友だちの長期海外出張や駐在があったら狙いを定める。向こうはずっとその国にいるので、行けばかまってくれるから。

 なんだかねえ、と私はこぼす。旅行、好きなんだけど、ちょっと飽きた。悪い意味で慣れた。どこに行ってもけっこう楽しめるけど、その反面、だいたいこんなものだろう、と思ってしまう。死ぬまでに個人旅行で行ける範囲に行き尽くしてしまうんじゃないかって、心配になる。ほかの娯楽もそう。本を読んでも若いころほど衝撃を受けない。何か見に行っても息をのむようなことはあんまりない。バンジージャンプとかグライダーとかのスリルも悪くないんだけど、本格的にやろうという気にはならなかったなあ。

 退屈なの。同僚は尋ねる。退屈しそう、と私はこたえる。世界を知ったつもりなんかないけど、死ぬまでに体験できることの見通しがついてしまったような気はして、そのうち退屈しそうで、怖い。それはねえ、と同僚が言う。教養が足らないんですよ。

 何に対して、と私は訊く。あなたの容量に対して、と同僚はこたえる。若者が旅行して楽しいのなんか当たり前だよ、世界を知らないんだから。何やったって怖いし、何やったってうれしい。ちょっと失敗すると「二度と旅行なんかするか!」ってぷりぷり怒ったりもする。要するに経験が少なくて敏感なんだ。だからあんまり工夫は要らない。ふだんとは違う世界に投げ込めば心は動く。動きかたは人によるけどね。

 年くって若いころと同じように旅行したってそのまま同じように楽しくなるわけがない。だって、未知じゃないんだから。力量がついちゃってるんだから。いろんなことが怖くなくなったなら、いろんなことが新鮮じゃなくなったってこと。そこで必要なのが教養です。

 年をとったら自分が何に関心があるか、何を喜ぶかなんて、わかってるよね。わかってなかったら人生を振り返った方がいいよ。そして自分が喜ぶことの範囲を広げていかないと何も楽しくなくなるんだよ。

 旅行先で町歩きして買い物してたなら、建築やプロダクトデザインの勉強をしたらいい。美術好きなのに美術館が新鮮じゃなくなったならスレちゃってるんだろうから、現代ばかり見てた人は古典にするとか、ちょっと視点をずらしたほうがいい。自然なんて一定の不自由さに耐えられる人間にとってはだいたい気持ちいいものなんだから、退屈するとしたら動植物や環境についてよく知らないからじゃないか。あとは体力と生活力が足りてない。体力があれば砂漠でテント泊とかインドの田舎とか、最高に楽しい所に行ける。そもそも語学ができないよね、槙野さんは。下手な英語で押し切るのも最初は楽しいけど、それにも飽きるよね。

 そうかあ、と私は言う。たしかに足らないわ、教養。つけなよ、と同僚は言う。年取って衰えるのは体力と鋭敏さ、増えるのは頭と気持ちの容量。容量が増えただけ教養を足してやらなきゃ、そりゃ飽きる。しまいには生きてるのに飽きるよ、だからその前にがんばれ。楽しむのにも素養がいるんだ、ぼけっとしてて楽しませてもらえると思ってるやつは間違ってる、そして、過去と同じ工夫と労力でいつまでも楽しめると思うのもおんなじように間違ってるんだよ。

 あのう、と新婚の部下が言う。僕わりと旅行するんで、新婚旅行先もぶっちゃけ新鮮じゃないんですけど、僕はどうしたらいいですかね。なんか勉強とかしたほうがいいんですかね。私はあきれかえって、言う。そんなの必要ないに決まっているでしょう。新婚旅行の目的は旅行じゃありません。おたがいに集中してりゃあいいんです。何を考えているんですか、まったくもう。

休養の条件

 夏の休暇の予定表が回ってきた。私の職場には盆休みというものがほんのひとつまみしかなく、各自が有給を取る。お盆に合わせたい者とそうでない者がほどよく分散すると管理職は安堵の息をつき、休暇希望日程が集中していて支障が出そうな場合にはメンバーに調整を依頼する。休みを取ろうとしない人には有給の残りをチェックして勧告する。私には信じがたいことだけれども、少数ながら毎年、休もうとしない人がいるのだ。

 休まないなんて、何を考えているのでしょうか。休暇希望一覧に確定部分を書き込んだ状態で上長に提出し、ついでにぼやく。休暇は取るべきです。うちの会社だと、冬の休暇は固定だから、夏だけが自由に取れる休暇じゃないですか。休みを秋に延ばす人もいるけど、要するに年に一度のお楽しみじゃないですか。旅行や帰省をしたり、だらだらしたりすればいいじゃないですか。どう考えても休暇シーズンには働いているより休んでいたほうが良い。でも休みたがらない人がいるのです。休暇は労働者の権利じゃなくて義務にしてほしいくらいです。休まない人に、私が叱られるから休んでくださいって頼んでいいですか。

 上長は私の提出した書類をながめ、いいよお、と言う。うん、僕に叱られるからって言っていいよお。でも槙野さんもちょっと配慮が足りないかもね。

 配慮の内容には人間の能力が出ます、と私は応える。配慮が足りないとしたら私の能力が足りないのです。努力をしたいので、効率よく努力するためにどのあたりの能力が足りないか教えていただけませんか。いいよお、と上長は言う。槙野さんさあ、楽しかったはずのことが楽しくなくなったこと、ない?

 あります、と私は言う。何もかも楽しくないのは疲れているときです。そういうときは休暇を取ってずっと寝てます。どこへも行きません。買い出しにも行かないでネットスーパーを使います。ひどいときは本も読みたくなくて、天井を見てぼんやりして伸びたり縮んだりしているうちに一日が終わります。なんなら数日終わります。

 うん、と上長は言う。それはねえ槙野さんが疲れた状態はイヤだと思っていて、疲れを取りたいから、することなんだよね。疲れたから休む。健全だ。でも休んだらまた疲れに行かなきゃならない。疲れて休んで疲れて休んで疲れて、死ぬまでそれを繰りかえす。槙野さんはそれでOKだけど、OKだと思えない人もいっぱいいるんだ。それなら疲れないようにしようって、自覚しているかどうかはわからないけど、そっちに舵を切る人もいるんだ。

 私はめんくらって、でも、疲れない方法なんて、ありません、と抗弁する。抗弁はひとことで退けられる。死んじゃえばいいじゃん。死んだらなんにもしなくていいじゃん、何ができるできないって考える必要もないじゃん、考える主体がなくなるんだから。でも死ぬの怖いし苦しいから後回しにするとしよう、まあね、なかなか死ぬのはね、決め手がないとね、うん、そしたら次どうするかっていうと、麻痺する。

 麻痺、と私は言う。麻痺、と上長は言う。いちばんわかりやすいのは酒、アルコールは脳を麻痺させる、そのほかにも自分を麻痺させるために使える薬物がある、そういうものを、テンションあげて楽しむためにじゃなく、リラックスのトリガーとしてでもなく、自分を麻痺させるために使う。でもね、もっといいものがあるんだ、依存対象は薬物だけじゃないんだ。

 あのね、休むっていうのは、自分と対話することなわけ。いっぱい休むと自分の状態がクリアになる、感覚が正常に働くようになる。家族と過ごしたり旅行したりするのもそう、自分の近しい人との会話は自分の仕事以外の環境について考えさせるし、旅行は言うまでもなく僕らがものを考える重要な場になる。そして仕事に没頭して仕事のことだけ考えていればそれらから逃げることができる。

 私はぞっとする。それから確認する。自分について考えたり感じたりするのがいやだから、休まないんですか。僕の想像だよう、と上長は歌うようにこたえる。仕事はいいねえ、仕事してれば叱られないもんねえ、仕事してればだいたいOKだもんねえ、いろんなものから免除されるもんねえ、休日返上なんて忠実な感じもするしねえ、「仕事と自分とどっちが大事か」なんて質問は愚問だってたくさんの人が言ってくれるしねえ、自分に大きな傷がついていたって、大きな空洞があいていたって、ほんとうは生きていたくなかったって、感覚や感情から逃げていたって、仕事さえしていれば、ちゃんとした人に見えるんだものねえ。

美しいものはいつでも遠い

 梅雨だからといって四六時中雨が降っているのではない。今は雨が洗い流したあとに陽の差している美しい午前で、窓の外のごみごみした風景でさえ、内側から発光しているように見える。目の前の景色なのに遠いところのように見える。美しいものはなぜだか遠くにあるように感じられる。すぐに落とすから、化粧は日焼け止め程度にする。ヒールのないサンダルを履く。

 自宅を出る。はす向かいの建物の外階段に青年がふたり座っている。今日は平日だけれど、言うまでもなく、平日に働いている人間ばかりでこの世ができているのではない。青年たちは飲みものを片手に笑顔で語らっている。彼らの視界にわたしが入る。彼らはちょっと首をのばしてわたしを見る。わたしは軽く会釈する。ひとりが会釈をかえす。はす向かいの建物はタイル張りも愛らしい古い個人住宅で、しばらく人の気配がなかった。新しい住民が入ったのだろう。わたしは歩く。角を曲がるとにぎやかな外国語が聞こえる。外国人向けの語学学校があって、生徒たちがたむろしているのだ。彼らはわたしを見る。彼らはみな若い。

 わたしは歩く。道路にはみ出して植木鉢を置いている家の、その植木鉢のあいだにちいさな椅子があって、朝な夕な老人が座っている。彼はゆったりとたばこをふかし、そのほかにはなにもしない。わたしは会釈する。彼も会釈をかえす。わたしはいつか彼と話をしてみたいと思う。わたしには自分よりうんと年上の人間と話す機会がない。初老の者として、老人の先輩に聞いてみたいことがいくつかある。若い人たちの美しさを見てどのように感じるのだろう。人生が目の前を通り過ぎてしまったと感じたのはいつのことだろう。それとも、いまだにそうは感じていないのだろうか。

 わたしは歩く。川を渡る。澄んでいるとはいいがたい東京の川の、それでも昔よりずっときれいになった水面が、直射日光を受けて繊細にまたたく。わたしは区立体育館に入る。プールの入り口に向かう。受付が顔見知りの人でなかったので、こんにちは、と言う。一瞬の硬直ののち、こんにちは、と言ってもらえた。わたしは会釈する。わたしは受付を振り返ってから更衣室に入る。

 帰ってくると、はす向かいの家の外階段には青年がひとりだけ腰掛け、頬杖をついてぼんやりしている。わたしはその下を通り過ぎて自宅に入る。単身者が多数を占めるこのマンションで、わたしは少数派に属する。単身者が多い集合住宅は徹底して他者に無関心で、わたしには都合が良い。妻にも都合が良い。

 定年退職してから二年少々が過ぎた。すなわち、わたしがいつでも女の格好をするようになって二年、妻とふたりでこの建物に引っ越してきて二年、近隣にあった古い持ち家を処分して二年、娘が寄りつかなくなって二年である。

 物心ついたときから、女の格好をすると落ち着く。化粧は楽しい。妻はわりあいに若い時分からそのことを知っている。会社勤めのあいだ、わたしは休日にしかるべき場に出かけ、そこで女の格好をしていた。あるとき妻がその場を見たいというので、連れていった。妻は顔面蒼白となり、しばらく塞いでいたが、そのうち元気になった。

 わたしは長い長いあいだ男の格好をして、そのことに疲れた。ほんとうに疲れた。定年が来たら昼日中から女の格好をすると、ずいぶん前から決めていた。だから娘にも見せた。娘は嫌な臭いをかがされた人のように身を引いた。妻があとから聞いたところによると、女装が嫌なのではないという。都内とはいえ離れたところに住んでいるから、世間体を気にしているのでもないという。醜いから嫌だというのだった。美しい者だけが好きな格好をしていいなんて法があるか、あの子の言うことはむちゃくちゃだ。妻はそう言って怒っていたが、わたしは腹が立たなかった。親の醜いところを見たくないというのはある種の愛情である。わたしが男の格好をして娘に会いに行けば済むことだ。

 そう思ってもう二年、娘と顔を合わせていない。わたしにも後ろめたさがあったのだと思う。妻はよく行事食をつくって娘に届けている。正月にはおせち、三月にはちらし寿司、五月にはちまき。わたしたちに男の子はいないから、昔は作っていなかった。娘に会う口実がほしくて作るのだろうと思う。娘は元気にしているという。元気ならいいと思う。わたしは長いスカートの裾をさばき、サンダルのストラップを外す。わたしの老いた足首、わたしの無骨な足指。ようやく好きな格好ができるようになったとき、人生はすでにわたしの目の前を過ぎてしまっていた。そう思う。だって、美しいものたちが、こんなにも遠い。

世界を見るための窓(無料)

 ちょっと、あんた、最近つきあい悪いわよ。そうよそうよ。同僚がふたり寄ってきて、言う。それから笑う。彼らは私の親しい同僚で、三人で、あるいはそれ以上で、ときどき食事をともにする。

 現代の、少なくとも中年以下の女性がほとんど話すことのない人工的な女ことばを、彼らはときどき使う。たとえば、ストレートに告げるとちょっと重く聞こえそうなことを言いたいときなんかに。彼らのうちひとりは男性でひとりは女性、性別と外見以外はよく似ている。人なつこくフットワークが軽い。合理主義で現実的。人を見限るときにはその判断に時間をかけず、早々に切り捨ててしまう。それぞれが社外に配偶者とひとりの子を持っている。料理が好きで掃除は嫌い、寒さに強く暑さに弱い。

 仕事帰りに彼らと合流する。彼らのうちのひとりが尋ねる。ねえ、なんで、ときどきオネエ口調になるの、今日この人を誘ったときみたいに。ひとりがこたえる。ふだんの俺じゃない人を出したいんだと思うよ。誰でもそうだと思うけど、俺の中にはふだん出してる俺とはちがう部分があって、シチュエーションが許せばそいつを第二の人格みたいに使う。自分の中にふだんの自分とはちがうキャラクターを置いておくのって、なかなかいいよ。ひとりで考えるときにも複数の考え方を対比させることができるから。

 なるほど、と私は言う。なるほど、ともう一人も言う。そうして、私たちは仕事の話をする。私たちは噂話をする。私たちは誰かを褒める。私たちは自分が抱えている問題について話す。そしてたがいの話に感想を述べる。仕事や職場環境についての問題解決はたいてい本人がするので、話を聞いたほうはうなずいて感想を述べるだけである。問題解決を求める同僚ももちろんいるし、そういうときには相談に乗るが、彼らがそれを求めたことはない。私も彼らにそれを求めたことはない。

 なんで話すんだろ。ひとりが言う。相談じゃない話って、なんでするんだろうね。話せばすっきりするからじゃないの、と私はこたえる。問題解決と同じくらい感情の始末って大事だから、抱えてる感情を出すだけでだいぶ身が軽くなるものだと思うよ。それはわかる、と彼女は言う。でも、出すだけなら誰でもいいでしょ。嫌いな人間とごはん食べに行きたくないから、一緒にいて悪くない気分になれる相手であることは前提として、じゃあ、その中でなら、誰でもいいんじゃないかな。どうして、あなたたちなのか。

 窓だからです。もうひとりがこたえる。何の、と訊くと、世界、と彼はこたえる。友人というのは世界を見るための窓なんだ。旅行して見られるのは世界のいろんな景色だよね、それで、世界には景色以外の要素もたくさんある、ものの見方とか、とらえかたとか、そういうやつ。それを見るための窓が、親しく話せる他人だと思うんだ。

 「藪の中」ってあるじゃん、芥川の。映画だとなんだっけ、羅生門?あれって、登場人物三人の視点をぜんぶわかれば、あの短編の世界を理解したことになるわけだよね。それで、現実の世界は短編より複雑だし、人もめちゃくちゃたくさんいるから、ぜんぶの視点は読めない。読んでるうちに寿命が来て死ぬ。だからちょっとしか読めない。

 ちょっとしか読めないのに、油断すると自分と似た人間とばかり仲良くなってしまう。それは自然なことなんだけど、世界をすごく狭いところからだけ見て、それ以外の角度を捨てるってことでもある。それでいいじゃないかという人もいるんだろうけど、俺はそういうの怖いし、つまんないと思う。三十年とか四十年とか生きた段階でいろんなことに飽きてるのに、世界を見る窓を同じ角度にばかりひらいていたら、死ぬまでもたない。退屈になる。退屈はよくない。とくに心が退屈なのはよくない。

 なるほど、と私は言う。私はその、角度のちがう窓なの?そうだよう、と彼はこたえる。自分と似た人間はラクだし楽しいけど、その楽しさがすぐに目減りしちゃうんだ。ちょっと退屈を感じたら、ちがう角度から同じ話をできる人間を投入する。そうすると自分と似た人間もまた別の顔を見せ、おなじみの話題が別の展開をたどる。ねえ、似た人間ばかりとつるむなんて退屈なことだよ、会社の中でもそうだし、外でももちろんそうだ、会話するのが自分と同じような環境で育って同じようなタイミングで同じような職に就いて同じような生活をして同じような思想を持っている人間ばかりになるなんて、どう考えてもホラーだよ、きっと生きるのがいやになってしまうよ。

一時間一万円で買えるもの

 以前職場にいた人から電話がかかってくる。同世代の知人で個人的に電話をかけてくるのは彼女くらいしかいない。ディスプレイには090ではじまる番号だけが表示されていて、だから私は宅配便か何かの電話だと思って、それを取る。彼女が話しはじめて、そうか、と思う。私には電話帳に登録せず拒否もしていない番号があったんだな、と思い出す。

 一年ほど前にも彼女から電話がかかってきたな、と私は思う。今の職場の人間関係がとてもつらいという意味の話を聞いた。ひとわたり聞いてから、私は力になれないと言って、切った。それまでの経験で、問題解決や気分転換のための提案をしても聞いてもらえることはないとわかっていたし、彼女の気が済むまで繰りかえし話を聞くだけの情愛を彼女に持っていないという自覚もあったからだ。

 このたびの彼女はとても陽気だった。ずっと高揚しているのでなんだか平板にさえ思えるような、そういう陽気さだった。私に関心を示すことなく一方的に話すのはいつものことだ。そういう人はけっこういる。相手に関心がなくても、会話をしている以上、相手の反応を待つ瞬間はある。ところが、彼女の声は私の相槌など聞いていないかのようなリズムで延々と流れていた。私は時計を見た。彼女が話しはじめて八分。完全に一方的な通話としてはかなり長い。

 彼女の話をすこし注意して聞くと、専門用語らしき語がいくつも混じっていた。言い回しはたいそうなめらかで、同じフレーズが何度も登場した。「素晴らしい出会いがあった」と彼女は繰りかえした。その出会いの場について尋ねてみると、彼女はようやく一方的な話を止めた。そうして「カウンセラー養成講座」がきっかけだったと説明してくれた。

 彼女は合計七日間の「養成講座」を終え、「カウンセラー」の名刺を刷ったのだそうだ。当たり前だが商売にはならない。本人が電話で「クライアントさん第一号」として夢中で話していたのは、彼女とも接点のあった同僚のことだった。お世話になった人だから五百円でカウンセリングした、と彼女は説明した。そう、と私はこたえた。彼女が私たちの職場にいたのは十年ちかく前のことだった。彼女が「カウンセラー」になったのは以前私に電話をかけてきてすぐだというから、一年ほど前だろう。私に電話をかけてきた理由は、その「クライアントさん」と連絡が取れなくなったので取り次いでほしいからだそうだ。

 お金なんかそんなにほしくないと彼女は言う。一方で、お金はいずれ湯水のように入ってくるのだと言う。カウンセラー仲間との勉強会が楽しいと言う。みんないい人ばかり、素晴らしい人ばかり、と話す。みんなで目的を達成しつつあるのだという。

 勉強会の会費について、私は遠慮なく尋ねた。一回二万円で、月に二回ほど開催されるのだそうだ。彼女は大人で、自分の稼ぎの範囲の消費をしている、と私は思った。それについてすこし考えた。それから、肯定でも否定でもない相槌をかえした。彼女はまだ話を続けていた。私の相槌は彼女の声にはじきかえされた。私は私の相槌が携帯電話会社がつくった見えない空間の中を永遠に漂うところを想像した。私が彼女に打ったたくさんの相槌が、それぞれ孤独に、どこへも出られずに、ひそかに流れつづけているところを想像した。

 友だちはカネで買える。私だって内面の具合の悪いときにはカウンセリング機関にかかる。そこにはプロフェッショナルがいて私の話を聞いてくれる。たとえばとても辛いできごとがあって、自分の内心が自分の手に負えないとき、そして周囲の人に助けてもらったあとでも始末がつかないと判定したとき、そういう機関はとても便利だ。

 要するに私は、人生のなかで何度か、お金を払って、自分に必要な話相手を借りた。今後も必要があれば借りる。すなわち、一時的に理想の友だちを買うのである。臨床心理カウンセリングとはそのようなものだと私は思っている。

 彼女は私とは別の形で、彼女の理想的な友だちを買ったのだろう。私はそのように考える。買っている自覚がないから悪いとも、わたしには言えない。私は自覚していないといやだけれども、それはただの私の欲望である。彼女の欲望ではない。

 私たちに理想の友だちはいない。当たり前のことだと思う。私たちは他人を頼る。できればたくさんの他人を、いろいろなかたちで頼って、その中にカネを払う相手がいたりいなかったりするのがよい、と私は思う。けれども、それは私の信念にすぎない。そして私は私の信念を彼女に説明する気はない。彼女は私の友だちではないから。

一晩百万で買えるもの

 その家に行って彼女の息子にかまうのは三十分までと決められている。私は小さい子を嫌いではないし、彼女の息子が赤ん坊のころから定期的に遊びに来ているから、たがいに慣れてもいる。それだから三十分が一時間になってもかまいやしないのだけれども、その子の母である私の友人は時計を見て子に宣言するのである。「さやかさんはお母さんの友だちなの。だからお母さんとお話をするの。ひろくんはそろそろ、さやかさんをお母さんに返さなくちゃいけません」。

 子にとって食事をしながらのおしゃべりは「遊び」ではないらしく、「ではママとさやかさんは何をして遊んでいるのか」という問答にいささかの時間を費やした。しかたないよと私は言った。ふだんより凝った食事を作ったり、ちょっといいお酒を持ち寄ったりしながら延々と話している、それが実はいちばんの「遊び」だというのは、七歳にはちょっと早いよ。私たちは、山とか海とか行っても結局のところしゃべってるわけだけど、この子にしてみればハイキングや海水浴や、家にいたらカードゲームなんかが「遊び」なんだから。

 友だちというのは本質的には互いの自由意思で話をする相手だってこと、あと何年かしたら、納得してほしいな。彼女は子を横目で見ながら言う。そしてそれは親にももらえない、どこからも買えないものだと、わかってほしいな。わたしの父、この子のおじいちゃんみたいには、なってほしくないな。

 彼女は資産のある家に生まれた。父親は代々持っている会社を大きくし、その後も潰すことなく、不景気だ不景気だと言いながら、派手な暮らしを継続していた。彼女が小学生の時分に、しばらく母親が遠くの実家へ帰省したことがあった。その後祖母が亡くなったから、長い介護であったのだと、もうすこし大きくなってから理解した。彼女の父は妻の長い帰省を「寛大に許す」男であり、同時に、妻の悲哀や労苦をわかろうとする男ではなかった。それが証拠に、と彼女は思った。お母さんは一ヶ月も二ヶ月も行きっぱなしで、わたしが母のところに連れて行かれることはなく、母はただ疲れた顔で帰ってきて、あちらこちらに頭を下げ、また祖母のところへ戻っていった。

 彼女の父親は保育の心得のある家政婦を雇い、豊富な習い事をさせた。そうして気まぐれに、遊びに行くか、と言った。

 父親の主たる遊びはドライブと海釣りで、背丈の低いスポーツカーのほかに、祖父母を含む家族がみんな乗れる大きな車を持っていた。それでもって海辺に走り、船を出して魚を釣るのである。大きな車を彼女は少し好きだった。そこには母や祖父母が乗っているからだ。

 けれどもその日、大きな車に乗っていたのは、知らない男だった。パパの友だちだよと父親は言った。男の名を聞き、自分の名を名乗り、ちいさく頭を下げると、男は大げさすぎない微笑と口調で彼女の利発さを褒めた。無神経な大人がよくするみたいに突然手をつないだり頭をなでたりもしなかった。皺も白髪もあるのに、奇妙な真新しさを感じさせる男だった。お父さんみたいじゃない、と彼女は思った。父母参観に来る誰かのお父さんみたいでもない。

 船を沖に出すとき、彼女は岸辺にいる。船酔いをするからだ。すこし乗せてもらって、それから降りる。今日は母も祖父母もいない。代わりのように、「パパの友だち」が残った。

 パパの友だちって、ほんとですか。そう尋ねると男は、もう敬語が使えるのか、と感心してみせて、それから言った。お嬢さんはとても賢いから、正直に言おう。僕はパパのほんとうの友だちじゃない。パパは僕が働いているお店に来てたくさんお金を遣う。だから僕はパパの友だちのような顔をするんだ。世の中にはそういう仕事があるんだよ。そのことをどう思う?

 それで、七つのあなたはなんと言ったの。そう尋ねると彼女は笑ってこたえた。父をよろしくお願いしますと言ったわ。できすぎているでしょう。でもほんとうなの。

 わたしは大きくなってから、父が銀座で一晩に百万遣うこともあったと聞いた。通い詰めるというほどではないにせよ、いいお得意さんではあったみたいね。高いお店の料金は、美しい女性を侍らせてお酒をのむためだけのお金ではないの。その場が自分にふさわしいもので、その場のみんなが自分によき感情を注いでくれているかのような気分を味わうための代金なの。美しい女性たちが話し相手になる店で影のように控えている男たちは、いっけん裏方だけれど、やっぱり売り物なのよ。休日に客の釣りにつきあうくらいのね。

 父にはもう誰も寄りつかない、と彼女はつぶやいた。お金が減って、母が死んだから、もう、誰も。