傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

邪悪

 子の保護者と思われる女性が子の髪をつかみ強く揺さぶった。あんたは、あんたは、と女性は叫んだ。比較的すいた、平日昼間の電車のなかでのことだった。車内には私をふくめ、仕事中の移動と思われる格好をした大人、学生らしき若者、老夫婦などがいた。全員が一斉に、女性と子を見た。女性は子の前に立っていた。子の隣の席に座っていた私には、髪の抜ける音が聞こえた。その音に被せるように女性は叫んだ。親に向かって、親に向かって、親に向かって。
 子への暴力が見受けられ、保護者の精神の不安定さが推察され、しかも駅員を呼ぶ時間はない。したがって赤の他人である私が介入することはやむを得ない。そう判断して母子の間に割って入ろうと立ち上がると、私の足に、足が当たった。子の髪をつかんでいる女性の足ではない。子の足だ。私は子を見た。女の子だ。十歳か、十一歳くらい。きれいな身なりをしてスマートフォンを持っている。冷静な顔でうっすらと笑っている。髪を掴まれ怒鳴られているというのに。
 子は私を蹴ろうとしたのではなかった。私の脚には一度しか当たらなかった。その女の子は、母親の脛の同じ場所ばかりを、繰り返し蹴っていた。私はぞっとした。この女の子は、慣れているのだ。髪を掴まれ引き倒させることに慣れているのだ。自分に暴力を振るう母親は自分の目の前に立つから、だから、脚なら蹴ることができる。そして、母親は、自分が反撃さえできないほどの圧倒的な暴力を振るうことは、ない。この女の子はおそらく、そのことを知っているのだ。そうしていちばん痛いところを狙ってためらいなく蹴っているのだ。興奮も怖れも憎しみさえも感じさせない、「いつものルーティン」みたいな顔で。
 大人と子どもが双方暴力を振るっている場合、止めるべきは大人だ。私はむりやり間に入ったために妙に距離が近いところにある母親の顔を見て、話しかけた。失礼いたします、ご事情はわかりませんが、そのようななさりようは、
 私の台詞の終わりを待たず、女性は私を睨んだ。そして存外冷静な声で言った。この子がわたしを蹴ったんです、親のわたしを蹴ったんです。この子が先にやったんです。そうですね、と私は言った。蹴られて、痛かったですよね。人を蹴るのはいけないことですね。しかしやり返すというのは、
 私のせりふはほとんど聞いてもらえなかった。女性は私への関心を失ったかのように完全に無視し、ボクサーのようにからだの位置をずらして子にふたたび向かい、髪を掴んで揺さぶり、言いつのった。あんたって子は、あんたって子は、電車の中で、やめろって言うのに、スマホなんかいじって、足ぶらぶらさせて、何も言うこと聞かないで、親に向かって、親を馬鹿にして、いつも馬鹿にして。謝りなさい。謝りなさい。
 女の子が言った。お母さんが言うことはいつもおかしい。ぜんぜん理屈が通ってない。乗り換えをスマホで調べることの何がいけないの。電車の席で座って足を動かすことの何がおかしいの。お母さんはおかしい。お母さんは理屈が通じないんだから蹴るしかないじゃん。
 その母親の一瞬の動きに、私は出遅れた。よりひどい暴力が想像され、おそらく私は、それに怯えたのだ。私が停止しているあいだに、学生らしい若者が親子の間に入った。無言だった。親子は動きを止めた。そのおかげでか、何も起きずに済んだ。
 気がつくと向かいの席に座っていた老夫婦が立ち上がっていた。目をそらさずこちらをじっと見ていた。母親はそれにたじろぎ、子から手を離した。老夫婦の隣のスーツ姿の男性が私を見て一度うなずき、移動した。単にかかわりたくなかったのかもしれない。けれども私は、車掌に知らせようとしてくれたのではないかと思った。
 私はその数分の出来事で、たぶんひどく弱っていた。私はおそらく、同じ車両に乗り合わせたすべての人が母子の間の暴力を問題視し、各自の善意をもって対応していると思いたがっていた。目の前の暴力と悪感情の表出は異常事態であって、誰もがそれを止めようとしてくれる。ここはそういう世界だ、暴力が当たり前の世界なんかじゃないんだ。そう思いたがっていた。おそらく。
 ドアが開いた。母親はしばらく身じろぎせず、ドアが閉じる直前に唐突に子の手を引いて降りた。子は平気な顔をしてついていった。とくに抵抗も、反抗もしなかった。追って降りようとした私の目の前で扉が閉じた。閉じたのだからよほどの音声でなければ聞こえないはずだ。それでも、絶叫が聞こえた。親に向かって、親に向かって。謝りなさい。謝りなさい。謝れ、今すぐ謝れ。

琥珀を削る仕事

 学生時代にときどき、出版前の原稿に赤ペンを入れるアルバイトをしていた。最初は誤字脱字の修正を頼まれて、そのうち用語の統一や読みやすさに関する提案も入れるようになった。自分の専門に近い(いかにも売れなさそうな)書籍について、誤字脱字の修正をし、あるいは助詞や時制の訂正提案をおこない、文章のうつくしいところにコメントを入れてそれを損なう要素を削る。それをなんと呼ぶのか私は知らない。校正というのはもっと厳密で隙のないものだろう。読みやすさのためのコメントなんかしないだろう。専門用語の統一なんかは校閲といってもいいのかもしれないけれども、その適切さを担保する資格は私にはなかった。だって、ただの大学生だ。

 あなたは安いから、と、そのアルバイトを回してくれる会社の人が言っていた。あなたはね、日本語がなかなかおできになる、そうして学生さんだから安くて便利です。ありがとう。お金を払いましょう。

 私はうれしかった。私が安くて、便利であることが。だって、私の仕事が発注者にとって安いのは、私にととって苦ではないことがお金になって、同じ時間で他の人よりたくさんできるということだから。

 学生時代の私は、始終いろんなアルバイトをして、手を伸ばせば天井に届くトタン屋根の納屋に住み、野菜が高騰したら川の上流に出かけて野草を摘み、そうしてとても、贅沢な若者だった。生きて学ぶお金だけが欲しかったのではなかった。服とか買うのだし、それでもってちゃらちゃらと着飾ってデートをするのだし、年に一度は古着を駆使した完全なフォーマルでクラシックのコンサートに行くのだった。ちょっと元気がなくなると、鏡を見て、綺麗だね、と自分に言ってあげた。綺麗だね、可愛いね、とても素敵だね。もちろん、特別に綺麗でも素敵でもなかった。そんなことは知っていた。知っていて言うのだ。

 友だちや恋人や、そのほかさまざまに親しくしたい人との時間にも、不自由は感じなかった。コンビニエンスストアで缶ビールを調達して大学の隅で乾杯するのもいい。河原でワインボトルをあけるのもいい。たまには張り込んで大人たちのいるお店に行くのもいい。誰かの家でもいい。私の住んでいた納屋でさえ、親しい人たちは誰も悪く言わなかった。私が網戸の穴を縫って塞いだのに気づいて指でなぞり、いいね、と言ってくれた人もいた。縫い目がちゃんと四角形をしている、と。私はうれしかった。

 あのさあ、恥ずかしくないの。そう訊かれたことがあった。私の経済状況や生活ぶりを恥ずかしいと定義する人のいることを、二十一の私だって、いくらなんでも知らないのではなかった。知っていて、けれども、理解する気がなかった。そんな質問で傷がつくプライドが、もしも自分にあるとしたら、今すぐドブに捨ててやる。そう思った。

 珍しいですね。

 恥ずかしくないのかと訊かれた話をすると、仕事をくれる会社の人はつぶやいた。マキノさんは要らない部分を一瞬で削るから安くて早くて上手いのに。あのね、削りなさい、そんな質問をする人間に関する記憶は。

 私、もしかして、必要なものも、削っていやしませんか。たとえば、健常なプライドとか。そのように尋ねると彼は鼻で笑った。彼がどういう人かはほとんど知らなかった。文章の仕事をくれる会社の「嘱託の年寄り」と名乗っていた。カタカナ語の発音がカタカナではなしに綺麗な英単語であって、おそろしく痩せた、指の長い人だった。

 ええ。マキノさんはときどき、必要な部分まで削っていますよ。そんなのはわたしが、あなたの赤ペンの跡を消せば済むので、問題はない。彼はそう言い、そうですか、と私はこたえた。

 彼が納品のときにいつも出してくれるコーヒーは美味しくなかった。コーヒーという体裁だけを整えたような代物だった。私は贅沢な若者であったから、まともなコーヒーがどんなものか知っていた。私のアルバイト発注者はそのコーヒーもどきの入った、古くて大きい、どこかの遺跡から出土したのじゃないかと私がいつも思う、こまかい罅模様の入ったみどりいろのカップを持ち上げて、言った。

 削りどころをちょっとでも間違ったら大損するような、ダイヤモンドみたいな人生なんか、目指すものじゃありませんよ。マキノさんはね、その中に含まれる傷や不純物がうつくしく見えるような、趣味よく削られた琥珀みたいな、そういう成果を出してくれたから、わたしたちの会社は、安いなりにあなたにお金を払ったんだ。できればこれからもそのような仕事をしてください。あなたがもうすぐ学生でなくなって、文章の仕事をしなくなったあとでも。

大人になれば世界は

 目を閉じて、ひらいて、そうして同じものが見えることを、いつも不思議に思っていた。世界がなくなっていない。それはとてもおかしなことであるように思われた。私にとって世界は、またたきのあいだに反転していてもおかしくはないような、あやういものだった。目の前の世界はあまりにあやうく、本に書かれたお話は紙の中に区切られているから安全に感じられた。それだから私は世界から隠れるように、暗いところで字ばかり読んでいた。

 高校生にもなるとしかたなく「世界は明日も同じようにある」と仮定して行動するようになった。そういう素振りをしないと不快なことや不便なことが多すぎるからだ。私は一晩寝て起きたあとにも物理法則が変化しないと確信しているふりをした。私は自分のことばが人に通じていると思い込んでいるふりをした。それらはあくまで芝居だった。いくら芝居をしてもほんとうにはならない。芝居が上手くなるだけだ。

 将来なりたいものなんかなかった。将来なんてものがあることが理解できなかった。どうしてみんなそんなものがあると頭から信じられるのだろうと思った。例によって芝居をして進路というやつを決めたけれども、入学式が始まっても自分が大学生になると思えなかった。自分が連続した主体として存在していること自体に納得していないのだから、他者や組織から、たとえば「大学生」と名付けられるなんて、ブラックホールの中に関する想定と同じくらいに不確かなことだった。実は今までも高校生じゃなかったんですよと言われたら「そうか」と思ったことだろう。

 大人になれば世界は確固とするのだと思っていた。私はきっと精神が幼くて、だからいろんなことに確信を持てないのだと思っていた。大人になれば私は、帰宅して扉をひらいたら奈落に落ちる可能性について考えたりしなくなるのだと思っていた。十九の私にとって、それは突飛な空想なんかじゃなかった。扉をひらいたら玄関があるのと同じくらい「起こりうること」だった。明日になれば東京のあちらこちらの中空に丸い穴があいて、そこに人がどんどん吸いこまれていくかもしれない。五秒後になれば新しい法律によって死刑を宣告されるかもしれない。振りかえれば私とそっくりな人がいて、「この私」はまったく違う存在になっているのかもしれない。

 それらは空想ではなかった。懸念だった。交通事故と同じレベルの想定だった。どうしてみんなにとっては(たぶん)そうじゃないのか、実は少しもわからなかった。世界は私が受け止めきれない多様な残忍と美に満ちていて、そのいずれもが私を怯えさせた。残忍なことだけでなく、美しいことだって、私はとても、怖かった。何もかもが脅威であり驚異だった。だからいつも、とても疲れていた。

 それから二十年を経て、私はようよう理解した。大人になっても世界は変わらない。私は腕時計の螺旋を巻きながら、時間軸が反転して時計の針が巻き戻り誰との約束も果たすことができなくなることを考える。待ち合わせのレストランはきっともう潰れてないのだと思う。食事の相手が中座すれば、彼はそのまま砂漠に向かって旅に出て永遠に戻らないのだろうと考える。それは起こりうることだ。今でも。

 大人になっても世界は確固となんかしなかった。ただ私が、その脅威と驚異を、受け止められるようになっただけだ。私は(不確かなままの)他者に助けられ、(不確かなままの)自分を鍛えた。今にして思えば若いころのエネルギーの総量はいかにも少なすぎた。あれではこの世界の中で立っていられるはずもないのだ。

 そう、私の世界は相変わらず不確かだ。脅威と驚異はむしろ増した。だって長く生きていれば災害も起きるし人も死ぬ。たとえば東京のある家のなかに丸い穴があいて、そこに吸い込まれて、死ぬ。その人がスマートフォンを使って私と通話したすぐあとに、それは起きたのだ。警察はそれに縊死という名前をつけていた。世界はたとえばそのように不確かで、この先もきっとそうなのだろう。

 ここにいます、と目の前の人が言う。はい、と私はこたえる。古くから私を知る人は私にとっての世界の不確かさを把握しているから、ときどき目の前にいながらにして「ここにいます」と言う。

 目の前からいなくなったあと、スマートフォンに、また会いましょう、とメッセージが届く。「また」なんて、この不確かな世界のなかでももっとも不確かなことばのひとつだ。けれども私はもう「また」なんか怖くない。私は世界の脅威と驚異の中を二本の足で歩くことができる大人になったのだ。だから、私は返信を書く。またね。またね。また会いましょう。

恋愛前夜

 その日はやけに酔った気がしたし、なにかしら不快にも感じられ、帰るなり浴槽に湯をためてじっくり浸かり睡眠導入剤を服んで眠った。いつも薬を使うのではない。眠れない予兆があるときに使う。自己管理というやつだ。

 起床すると頭に煙が詰まっているようで、通勤電車で本を読むことができない。三十八度を超えると本が読めなくなることを経験的に私は知っているけれど、今は平熱だ。仕事はできる。少しくらい不調でも仕事のクオリティは自分で設定した下限の線以降には落ちない。そういうしくみを自分の中に作ってある。自己管理というやつだ。頭のなかの煙は喉から落ちて上体のなかに溜まり、ぼわぼわと動いているように感じられた。

 陽のあるあいだ、神経から皮膜が剥がされてむきだしになるようなぞわりとする感触を幾度か覚えた。軽い吐き気と陰鬱な快感をともなう数秒の経験だった。

 夜になるとからだの中の煙は質量を獲得して薄汚れた真綿のようになり、全身の皮膚のすぐ裏にまでおよんでいるようだった。その奇怪なぬいぐるみめいた身体を引きずって職場を出ようとすると外は嘘みたいな大雨だった。

 あきらめて職場に戻った。軒先に立っているあいだに跳ねてきた雨粒でずいぶん濡れていた。靴を脱いで足を洗うことにした。私の中の胡乱な綿のかたまりと空が落ちてきたような雨の、その唯一の境界線である皮膚が、強くこすればちぎれそうに感じられた。足の指のあいだの皮膚を水で撫でるとどうしてか喉から口の中におかしな甘ったるさが詰まった。

 主観的には数分、時計をみると小一時間のあいだ、職場で雨宿りをしていた。ざわめく足の皮膚を靴に押しこんで歩き駅に着くと豪雨の影響で電車が正常に動いていなかった。泊まっていこうと思った。このあたりのどこかにホテルをとればいいと。一時間も二時間も電車に乗るなんてうまく理解できなかった。もう歩きたくなかった。朝からろくに歩いていないのに。いつもは何キロも平気で歩くのに。

 けれども、もちろん私は電車を待つ。たとえ自分の中身が古い綿みたいになっても自宅に帰る。野垂れ死にしない。自己管理というやつだ。

 革の鞄の持ち手が冷たい金属のように感じられる。自分がふわりとかすみ、斜め上から電車に乗っている自分を見ているような気になる。

 最寄り駅に着くころ、からだの中の綿のようなものはとろけて泥になっていた。歩くとたぷんたぷん波打ち、腕のなかでふるえ、足の中で揺れた。顎が上がり、顔が歪んでいるのがわかった。醜い、と思った。たぶん、今、私は、醜い。液体を入れた袋みたいに頼りない指で苦労して靴を脱ぎ玄関から直接バスルームに入り服を着たままシャワーを浴びる。すこしばかり自分の輪郭がはっきりする。冷蔵庫をあける。水をのむ。一気に飲みたくなるのを抑え少しずつ飲む。いつから水を飲んでいないんだろう。いつもしょっちゅう水を飲むのに。水はなくなり、容器を床に転がしたままからだをベッドに引きずりこむ。すみやかに眠る。

 目をさますと世界は少しマシになっている。時計を見るといつもより長く眠りいつもより早く起きていた。焼いたベーグルの半分、コーヒー、豆のサラダ、葡萄がどうにか胃におさまる。この二日の食事の合計はいつもの一食分程度だ。よろしい、と私は思う。皮下脂肪があるのだから食欲不振ごときで死なない。数日のことなら飢えない程度に食べて眠っていれば問題ない。私は健康だしタフだ。

 吐き気は減った。けれどもまだ確実にある。私は息を吸う。私は息を吐く。まともに見える身なりをする。電車に乗る。本はまだ読めない。音楽は私の友だちではないーーふだんは。ときどき必要になる。音楽を聴く。仕事をする。問題ない。音楽を聴く。ときどき過去の感傷の感情の部分だけが押し寄せる。エピソードは出てこないのに遠いところにあるなにかに心をもっていかれる感触だけが生々しくやってくるのだ。動画と音声が同時に再生されず真っ黒な画面で音声だけが再生されているような、故障。やるせなさがさまざまなバリエーションで満ち、引き、また満ちる。私は泣く。職場に着くと社会性のゲージが自動的に上がり私はまともな大人みたいな行動しかとらない。自己管理というやつだ。人目がなくなると何粒か泣き、さっとおさめる。

 帰りの電車でも音楽を聴く。帰りの電車でも泣く。少し気持ちが良い。少し気持ちが悪い。皮膚の下は液体から固形に変わり、ざりざりと音を立てているように感じられる。これはなんだろう、飴かな。飴玉が詰まっているんだ。こすれて砂糖になって落ちる。からだは軋み、ひどく甘い。

手札を並べよ

 なあ、焼豚。その場に集まっていた友人のひとりが言った。学生が「起業するから大学を辞めます、起業の内容はこれから考えます」って言ったら、どう回答する?つまり、教授として。教授じゃない、と焼豚は応えた。准教授。

 焼豚というのはもちろんあだ名だ。この場にいるのはみな中学校の友人で、全員がそのころから彼を焼豚と呼んでいる。やきぶたともチャーシューとも読む。彼は質問した友人を見て、きみの息子じゃないよな、まだ小学生だもんな、じゃあ親戚かなんかの子か、と確認し、それから、平坦な声で宣言した。

 そういう若者には、外野がとやかく言ったって意味はない。親戚でも親でも教師でもだめ。親はまあ、かじられるスネを提供している場合には経済力でもって若者の行動に影響できるかもしれないけど、内心を変えさせることはできない。十八を過ぎてそんな状態だったら、本人が自分で気づくのを待つしかないんだ。僕はそう思う。

 冷たい、と別の友人がつぶやいた。ちょっとは諭してあげて、焼豚先生。諭さない、と焼豚は繰りかえした。人間関係とかの悩みで大学に来るのが辛くてたまらないとか、自分で始めた商売にのめりこんで学籍を持っていたほうが有利なのに辞めようとしてるとか、そういう学生なら、たくさん話をして一緒にいろいろ考える。でもふわっとしたイメージで辞めるって言ってるなら、大学を出ることのメリットを簡単に告げて、それで終わり。

 逆じゃないの、と私も尋ねてみた。キラキラしたイメージに引っぱられて大学を辞めるなんて、どう考えても理路が通ってないんだから、説得できるでしょうに。そう言うと焼豚は私を見て、長いため息をついて、それから言った。理屈が正しければ相手を説得できるなんて幻想はいいかげんに捨てたほうがいいよ。理屈でも感情でも、相手側の受け入れ体制ができていないと浸透しないんだよ。正しさとかやさしさとかは、そのあとにはじめて意味を持つんだよ。

 僕らにはあらかじめカードが配られている。それでもって人生を戦うしかない、手持ちの札の一揃いが。カードの初期値がひどいと苦労する。ここにもいるだろ、屑みたいなカードを配られたやつ。保護者に経済力がなくて高校に行けない、みたいなカード。でも体力があるとか、情緒が安定してるとか、そういう別のカードを戦略的に使って、報われる方向に努力を重ねて幸福な人生を獲得している。僕の手札は極端に悪くはなかったけど、たとえば大学院に入ったのは二十八のとき、大卒後に働いて貯金ができてから。研究者になりたかったけど、まずは就職した。二十二歳以降にかじれるスネはなかったし、不安定な労働をこなしながら大学院に通うだけの胆力もなかった。

 そういうことが判断できるのは僕らが、それこそ中学生のころから、自分の手持ちの札を並べて、自分で考えて決めて、決めた結果を背負って生きてきたからだ。中には「おまえの手札、いきなりロイヤルストレートフラッシュじゃん」みたいなやつもいるけど、有利なカードもうまく使わないと身を持ち崩す。いずれにしても手札を並べて考えなきゃいけない。自分の持ち札を直視しなくちゃいけない。腹立たしいカードも。認めたくないカードも。めくるだけで手が震えて泣きたくなるようなカードも。

 僕は十五にもなったら、全員がそれをすべきだと思ってる。公立の中学校っておもしろいところで、家庭環境も学力もばらばらな生徒が集まってるんだけど、ちゃんと自分の手札を並べて考えてるやつって、環境やなにかが違っても、わかるんだ。僕はそういう連中と仲良くしたいと思ってた。つまり、ここにいるみんなのことだけど。自分を理解して生きる戦略を練るのが思春期の仕事のひとつで、その仕事をまじめにやってるやつが、僕は好きだった。

 十四や十五で早すぎるというなら、いいだろう、十八までは待とう。でもそれ以上はだめだ。十八を過ぎて自分についての理解を怠っている人間が他人の思惑に流されて不幸になろうが幸福になろうが、僕の知ったことじゃない。僕が人生の話をする対象じゃない。

 思春期のうちに手札を並べろ。少年少女として守られているうちに。ぜんぶ引っ張り出して並べて考えろ。自分に何ができて、何ができなくて、何ができるようになる見込みがあって、何が好きで何が嫌いで何が欲しくて何が要らないか考えろ。何にとらわれて何を愛して何が許せないか考えろ。周囲があれこれ言って効果があるのはそれをやりつづけている人間だけだ。

愛することなく愛されるということ

 連絡先を流し見る。しばらく連絡していない相手を選択し、定型文をコピー&ペーストする。さまざまなアプリケーションでそれを繰りかえす。一日程度のあいだに、ぽつりぽつりと返答がある。もちろん半分以上の連絡先は沈黙したままだ。
 誰かが僕の近況を訊く。僕はまたしても定型文をコピー&ペーストする。そうしながら相手がどういう人だったかを思い出す。二年前に僕のことを好きだと言っていた人だ。他の女性といろいろあった時期で、だから申し訳なくてつきあえないと言ったら、泣きそうな顔をしていた。可愛い顔だった。
 ある程度の年齢に達すると好意を押し殺して冷静に振る舞おうとする人も少なくない。けれども彼女はそうではなかった。大人げないほど感情豊かで、かわいそうなくらいに素直だった。まっすぐ走ってきてためらいなく自分の心をまるごとつかみ出して僕に差し出したような人。
 ちょうどいい、と僕は思う。僕がふだん使わないのに消していない連絡先はもちろんぜんぶ女性たちのものだ。多かれ少なかれ僕に好意的だった女性たち。なかでも振った相手であれば都合が良い。
 もちろん、女性たちがずっと僕のことを好きだなんて思っていない。そんなに自信に満ちた人間ではない。ただ、もしもその人が退屈していたり、今の生活に不満を持っていたら、以前好意を持っていた男からの連絡はいい娯楽になる。やりとりしている間に思い出すこともあろうというものだ。
 僕は女性たちに親切で誠実だ。一度に何人もの女性とつきあったりなんかしない。やさしく丁寧であることを心がけているし、女性たちにもそう言ってもらえる−−−いろんな意味で。
 やあゴミクズ。
 ロックのかかったスマートフォンの黒い画面に通知が浮かび上がる。指をスライドさせてロックを解除するあいだにもメッセージは一方的に流れつづける。
 相変わらず腐った生活してるんだね。わたしに連絡してくるということは自分を好きな女がいない状態なんでしょ。誰かに好かれていないと保たない依存体質だもんね。いい年してまだ変わらないの?いい年だから変わらないのか。
 あなたは、誰でもいいから自分を好きになってほしい。でも誰に好かれても満たされない。なぜなら自分のことを好きじゃないから。好きじゃなくて当たり前だよねえ、だってあなたってゴミクズみたいだもん。一見やさしいように見えるのは、相手と感情を交換していなくって、そのために冷静でいられるから。好かれたいだけで、好きという感情はあなたの中にない。
 あなたは自分の感情をちゃんと育ててこなかった。感情から逃げ回ってきた。その年齢では育て直すのももう無理だね。そのまま寿命だね。あなたは誰にも愛されずに死ぬ。さみしさをきちんと感じることもできないから、なんとなく辛く苦しいまま、孤独に生きて死ぬ。こうやっていろんな女に連絡しても返信が戻ってくる割合が減っていって、新しく誰かと知り合うことも徐々になくなる。そうして認めてやらなかったさみしさが真綿のようにゆっくりとあなたの首を絞める。さようなら。
 僕は彼女が送ってきた暴言の数々を衝動的に消し、それから、もう一度言ってみろと書いて送った。けれども彼女は僕の連絡を拒否する設定をしたようだった。僕は機種変更前のスマートフォンと古いノートPCを探した。僕は彼女の電話番号も知っていたはずなのだ。それなのに今のアドレス帳にはなぜだか入っていないのだ。電話番号なら着信拒否したって別の電話番号からかければつながるはずなのに。
 探しているうちに頭の中に霧がかかり、からだが勝手に動くような状態になった。僕はただ片端から抽斗を開き、中身を出し、舌打ちをして、次の抽斗に移った。僕は部屋中のあらゆる箱を開いた。ものをためこむほうではないから、たいした量ではなかった。それでも異様な光景だった。すべてが開き、すべてがぶちまけられ、それらはみなゴミクズに見えた。ゴミクズしかない、と思った。
 スマートフォンに新しいメッセージが届いた。久しぶり。元気だった?わたしは相変わらずです。
 僕はゆっくりとそれを読む。五年前に別れた元彼女だ。ほかの男に取られたんだけど、それでも「相変わらず」か。僕は定型文をコピーする。僕はそれをペーストする。それから思う。どうしてこんなに部屋が散らかっているんだろう。わけのわからないメッセージが来て苛ついたからか。そうだった。やれやれ。大きなゴミ袋が必要だ。どれもこれも要らないものばかりじゃないか。

ジェントルマンの憂鬱

 新しいパターンですね、と私は言った。彼は小首をかしげ、コーヒーをのみ、それから、どういうこと、と訊いた。間を置いたのは訊かなくても勝手に解説するのを待っていたのだろう。
 大量の同期がいるわけではないので、入社時期が近いと社内での距離感も近い。さして親しくなくても、半年や一年に一度はランチでもどうかと声がかかる。彼もそのひとりだ。それを見とがめられて、別の人から「つきあってるんですか」と訊かれたのは一度や二度ではない。彼はごく一部の女性職員にものすごく人気があるのだ。
 私は彼を見る。どうということはない男だと思う。私は彼に魅力を感じない。友だちでもない。だからひいき目もなにもなく、彼が少数の女たちから熱烈に好かれる理由を推測することができる。この男のふるまいには棘がない。他人への気遣いがとてもよくできる。私たちみんなにあるはずの、他人にとって不都合な部分がないみたいに見える。どこもかしこもやわらかな布で覆われているかのようだ。若いころからそうだった。ジェントルマン、と彼を好きな女性のひとりが言っていた。
 ジェントルマンは女性を口説かない。いつも女性のほうが彼に近づく。彼はそれにこたえる。彼は恋人にとてもやさしい—もちろん。彼とつきあう女性には共通点があった。情熱的で、感情豊かで、それをはっきりとおもてに出し、他者との関わりを強く求める。そういうタイプだ。
 関係の終わりかたも共通している。彼女たちに何らかの事情が判明し、その事情の難しさがゆえに、彼は彼女のためにさんざん苦労し、彼女に尽くし、そして刀折れ矢尽きて、やむなく別れるのだ。病気、精神の不安定、実は既婚者。そういった事情は毎回彼女の側にあり、彼は悲劇の主人公に見える。あまりに同じパターンが続くので、話を聞いている私はじゃっかん飽きて、数年前にこう尋ねた。もしかして、事情があってずっと一緒にいられないような相手をわざと選んでるんじゃないですか。そういうのが趣味なんじゃないですか。つまり、「外的困難を前に挫折する愛」フェチ、みたいな。
 彼がそれにどう応えたかは覚えていない。けれども今回の話はいつものパターンから外れていた。自分から振ったというのだ。ようやく明石さんが動いた、と私は言った。正直なところ私、明石さんは一生そうやって受け身な悲劇の王子さまをやってるんだろうなーって、ちょっと軽蔑してました。すみませんでした。謝罪します。それで、今回の彼女とはどうして別れることにしたんですか。
 前の彼女が、と彼は言った。どうしても僕に助けてほしいというから。電話番号は別れた時に削除したけど、Facebookで連絡が来て、入院中なのに旦那さんは相変わらずぜんぜん助けてくれないというんだ。僕が行くしかない。そうやって前の彼女が心に引っかかっているうちは新しい彼女なんか作るべきじゃなかったんだ。
 は?と私は言った。彼はわずかに眉をひそめた。取り消します、と私は言った。さっきの謝罪、取り消します。私の明石さんに対する軽蔑は昂進しました。
 ねえ明石さん、明石さんのことジェントルマンだって言う人がいるんですよ。私はそうは思わない。明石さんはただただ受け身で、自分の感情に責任をもって行動しないだけです。自分の欲望を把握して叶えるのをさぼって、相手の欲望を先回りして叶えて必要とされて、それでいい気分になっているだけです。
 私は思うんだけど、そういうのって、自分の感情がよくわかっていない人がやることなんですよ。自分の感情をほったらかしにしてるから、感情豊かな恋人を作ってなんとなくいい気分になる。相手に向かいあって感情をやりとりすることができないから、悲劇的な理由があると好都合。今回は彼女の側に悲劇的な事情がなかったから前カノの話に乗っかったんでしょ。前カノとはある意味お似合いだから好きにすりゃあいいですけど、新しい彼女はかわいそう。
 前の彼女とやましいことは何もない、でも前の彼女を放ってはおけない、そのために今の彼女を傷つけたくない、だから身を引く。このストーリー、ほんとひどいですね。明石さんは加害者なのに被害者みたいな顔して、しかもそれがやさしさによるものだという理屈をつけている。そんなのジェントルマンじゃない。ジェントルクズです。
 一方的にことばを並べたて、それから私は、彼を見る。さすがに苛ついているようだ。そうだよ、と私は思う。むかついたらむかついたって顔をしてむかつくって言え。そう思う。でも彼は言わない。腕時計を見る。そろそろ、と言う。昼休み終わりますね、と私も言う。立ち上がると彼はすでにいつもと同じく、穏やかなほほえみを浮かべている。